第3・5話

 遠足から帰宅した将成はひとり、部屋のリビングでくつろいでいた。


(……あれ、は……なんだったんだろう)


 同じ班になったクラスメイトの奥村海音。彼のことは以前から知っていた。

 彼はこの話をすると少しだけ嫌そうな顔をする。将成はその顔を見るのが好きでついつい、いじってしまう。

 去年の文化祭でたまたま休んでいたところに女装をした彼が入ってきて、寝惚けていた将成は彼にキスをしてしまった。

 ファーストキスだった。そんなの嘘だとよく言われるが、事実初めてだった。はっきりとしない頭で見えた彼の表情が、初恋のひとに似ていたからと苦し紛れの言い訳を考えてはいるのだが、将成がそのことを海音に話すのはもう少しだけ先の話だ。

 それよりも今日の昼間のことである。


 今日は高校最後の遠足日だった。場所は市内でも有名な遊園地だという。天気は快晴、実に遠足日和といった日だった。久し振りの外出で将成はとても心が躍っていた。クラスメイトたちも同じ気持ちだったに違いない。――ただひとりを除いては。

 海音はひとをよく避けていると思う。もともとひとが苦手なのか、クラスメイトと話していない場面を見ることが多い。極端に人見知りなのか、それとも人嫌いなのか、しくは両方か。将成は彼が知らない間にいじめられているのではないかと懸念し、積極的に話しかけていた。それが一か月ほど現在まで続いている。海音は最初こそ無視していたが、次第に慣れてきたのか話しかけに反応してくれるようになった。これはひとつの成果であると将成は自負している。

 なんとか彼がひとりになるのを防いだ将成であったが、さてこれからどうするか。何か考え事をしているのか海音はだんまりしたままスタスタと進んでいく。将成はどうしたものかと諦めずに話しかけることを止めなかった。その想いが届いたのか、やっと海音が将成のことを見たのだ。

 折角の遠足なのだから楽しもうじゃないか、と将成が聞くと、海音は遊園地が嫌いなのだと答えた。そもそもこういった行事に行くことが苦手そうだったので、その答えを聞いた時、将成は妙に納得した。海音は本当に嫌そうにして、ベンチに腰を下ろした。自分だけでも楽しんできたらいいというが、将成は海音のことが放っておけず、同じようにベンチの隣に座った。

 ――もしかして避けられてる? と思わず将成は不意に頭に浮かんだその言葉を口に出してしまった。海音を見ると、困惑した表情で将成を見つめていた。やはりあの時のことをまだ怒っているのだろうと思っていたが、帰って来た答えは違った。

 では何故? 将成は少しだけ距離を詰めようと、食い気味に質問する。仲良くなりたいんだと伝えてみると、海音は本気で分からないといった顔をした。


 海音に「僕と友達になると色々面倒だよ」と、そっぽを向かれる。


 将成は「そんなことはないよ」と、素直に言う。


 それが引金ひきがねだったのか? 海音は途端に固まってしまった。具合でも悪くなってしまったのだろうか。心配になり将成は海音を見つめる。少しして、動いたかと思えば海音はいきなり自分の耳を両手で塞ぎ始めた。力が入りすぎているように見えて、将成は不安になりその行為を止めようと優しく彼の手に触れた。

 触れたら、ちゃんと放してくれた。小さく震えるその手から、彼が恐怖と不安にし潰されているように感じられた。

 完全に無意識だった。あの時のように泣いているように見えたから。将成は、海音を自分に寄せて優しく抱き締めた。初めは抵抗をしていた海音だったが、次第にその力は抜けていき、気付けば彼は将成の胸の中で眠ってしまった。

 結局遠足が終わる三十分前まで海音は眠っていた。相当疲れていたのだろう、本当にぐっすりと眠っていた。将成は彼が眠っている間、携帯をいじっていた。その時間が苦には感じられなかった。むしろ幸せだった。ひとを避け続けている彼に受け入れてもらえた気がして、嬉しかった。


「――ただいまあ」

 今日の出来事を一通り思い出していると、玄関先から声が聞こえた。将成は声の主を迎えに行く。扉に手を掛けたところで、相手の方が早かったのかドアが勝手に開いた。スラッとした男性が将成の目の前に立ちはだかっていた。

「なにしてんの?」

「お帰り。なにって、兄ちゃんのお出迎え?」

「あ、そ。それはどうも」

 彼はこの家の家主であり、将成の兄、天川たけるである。近くの大学病院に勤務する若手医師で、将成に似て(正しくは将成が彼に似ている)、やはり彼もである。将成自身がそう思うのだから、きっとそうに違いない。

 将成が去年の秋にこの町に引っ越してきた時、一人暮らしを試みようと相談したのだが、家が大破するのではないかと思うくらい反対された。それでも将成は健のもとに行きたいと駄々をこねた。そんな将成を見兼ねた両親が彼に付けた条件が、健の家に住むことだった。なか我儘わがままを通しての転入だったので、将成は両親の意向に沿う他なかったのだ。健とはもともと仲が良かったので、そこが救いだった。

「夕飯買って来たけど、食うか?」

「うん」

 ソファの背凭せもたれに顎を乗せながら、将成は台所に立つ兄の姿を窺う。その視線に気が付いた健は「なんだよ」と少し怪訝けげんそうな顔をして将成を見た。

「いや? 兄ちゃんってかっこいいよねって思って」

「なんだそれ」

「引っ越しの時とかさ、迎えに来てくれたりしたじゃん。ちょーかっこよかった」

「いつの話してんだよ」

 へへ、と二人して笑う。夕飯の準備が出来る間、今の姿勢のまま将成は携帯をいじる。画面には、昼間に隠し撮りをした海音の寝顔の写真が写っていた。あまりにも気持ちよさそうに眠っているものだから、つい撮ってしまったのだ。

「……本当に、似てるんだよな~」

「誰の話?」

 健が用意できた分をテーブルの上に並べていく。将成の独り言に反応して、画面を覗こうとしたので見せないように携帯を隠した。

「んふふ。兄ちゃんには教えてやんない」

「もったいぶんなよ」

「いいじゃんか。兄ちゃんは、俺の絶賛思春期中な空気を感じてればいいんだよ!」

「どういうことなんだよ!」

 こんな他愛のない会話が将成にとって一番幸せな時間だった。


 夕飯を食べ終え風呂に入り、再びリビングに戻るとテーブルの上にはあるケースが置いてあった。きっと健が用意してくれたのだろう。


 中身は、である。


 ひとつひとつの名前の長さと、量の多さに思わず溜息が出る。

「……はあ。……明日の定期健診、頑張れるわ~」

 こうして、心にもないことを呟いていないと

 一回分を服用してソファに転がる。そして再び携帯の画面を付けて海音の画像を出す。

 もしも彼にがバレたなら。どう、言い訳をしようか?

 そんなことを考えながら目を瞑り、深く息を吸い、吐く。

 たとえこのまま寝落ちてしまおうとも。たとえこのまま今日死んだとしても。


 を、彼にバレるわけにはいかないのだと心に決めて。

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