第3話
天川将成。
去年の秋に現れた、季節外れの転校生。
身長は僕よりも十センチくらい大きく、某アイドル事務所にでも所属しているんじゃないかと思わせる色気のあるルックスに、クラスメートの女子たちは一瞬にしてメロメロになった。そうなるのも無理はない。僕だって初めて見た時はそう思った。彼が教室に来てからというもの、彼の
「……なあ」
去年の文化祭が最悪の出会いだったので、いくら彼のルックスが良くたって僕は彼のことを許すことはできない。……許す、というか、忘れることが出来ない。
「……なあってば」
僕にとってはあの時がファーストキスだったのだ。君は、彼女でもないひとにキスされた気持ちが理解できるのか?
「奥村、」
「うるさいな!」
僕は思わず、彼の問い掛けに答えてしまった。今まで、無視をしてまで考え事をしていたというのに、その集中力が一瞬にして解けてしまった。
「わ、悪い。……じゃなくて! なんで逃げるんだよ」
「逃げてなんかない! き、君こそ、どうして僕についてくるんだよ」
「ついてくるって……だって、遠足の班、同じだから?」
そのひとことで僕の中の何かが『ガシャン』と音を立てて崩れ落ちた。
五月も中旬に差し掛かった
「遠足か~。どこに行くんだろうな。な、奥村!」
「僕に聞かないでよ……」
……そして、後ろの彼こそが、僕の最大の悩みの種だった。
あの日再会してからというもの、天川くんは事あるごとに僕に話しかけてくる。後ろの席だからということもあるかもしれないが、それにしたって話しかけ過ぎだと思う。だって僕たちは友達ではないのだから。
「ねえ、天川君。私たちと一緒の班になりましょう?」
と、クラスの女子の中でも力が強い(と思う)子に天川くんが誘われる。そうだ、そうだ。君はそうして女子の中に紛れてそのかっこよさを活かせばいいさ。僕はクラスの中でも地味なグループに入るとするよ。そのグループに入れてもらおうと、席を立とうとしたその時、不意に天川くんに強く引っ張られた。
「俺、奥村と班になりたいんだけど」
「……んっ……⁉」
急に僕の名前を出したことで、僕はクラスの女子から敵視された。心の中で「止めてよっ!」と叫び倒したけれど、悲しいかな、僕の悲痛の叫びは彼女たちにも天川くんにも聞こえることはない。僕は憂鬱な気分になった。
「な、奥村? 俺と同じ班になろうぜ?」
きらきらとした彼の笑顔に僕は更に憂鬱になる。周りは僕に嫉妬の空気をぶつけてくる。これだからモテる奴はいけ好かない。
兎にも角にも僕は何故か天川くんと同じ班になった(成り行きで)。バスに乗るにも隣の席。班行動をするにも隣。天川くんは遠足中、ずっと僕に引っ付いていた。
(……ああ、女子の目が痛い……)
僕の気も知らないで、天川くんは僕の手を引いて遠足で来ていた遊園地の中を歩いていく。もうどうにでもなれと、僕は目を瞑った。
基本は帰校時刻までは自由行動が許されている。つまり、自由なのだ。だから僕は天川くんから少しでも離れようと速く歩いていたのに、結局彼に追いつかれて捕まってしまった。
「折角の遠足なんだし、楽しもうぜ?」
「遊園地なんて嫌いだ。楽しむなら君ひとりで楽しんできなよ。僕は適当に休んでるから」
「えー。じゃあ俺も休むよ」
ひとりだとつまらないだろ? と彼が言う。いや、話し聞いてた? 僕のことじゃなくて君が楽しんでくればいいんだよ。そんな目をしたはずなのに、天川くんはベンチに座った僕の隣に、同じように座った。僕はどうしても離れたくて、端の方に座る。特に話すことも無く、時間だけがゆっくりと過ぎていく。
「もしかして俺、避けられてる?」
――はずだった。少しの沈黙の後、天川くんが口を開く。僕は思わず口をきゅっと
「あの時のこと、まだ怒ってる……とか?」
「怒ってないよ」
本当にそのことについては怒っていない。僕が君を避けている理由は別にある。だけど、君がそれを知ってどうなるの? きっとどうも出来ない。だって君は悪くないのだから。
「そっか。それ聞けてちょっとほっとした。じゃあなんだろう。俺、奥村と仲良くなりたいんだけど?」
「……なんで?」
純粋な疑問だった。クラス一のモテ男こと『ピアノ王子』に、クラスの中でも底辺をうろつく僕など釣り合うはずがない。だから「なんで」と聞いたのだ。
「なんでって。本当のことだから」
「だからなんで? ……僕と友達になると、色々面倒になるよ。あんまりおススメはしない」
しつこいと思って、少しだけ口調がきつくなる。
君がいじめられることは無いと思っていても、万が一ということがある。僕は今日持っていた鞄の持ち手を握り締める。
「ならないよ。だって、今日だってなってないじゃん」
それは君が気にしていないだけ。きっとクラスの女子は君とこの遊園地を回りたかったと思う。君は誰とでも分け隔てなく仲良くなれるひとだから。暗い場所で蹲っている僕とは違うんだ。
暗い思考が心を埋め尽くしていく。中学の頃の自分が、耳元で何かを囁いている。僕は無意識のうちに自分の耳を両手で塞いでいた。
「……奥村」
「――ひ……っ……」
声にならない音が僕の喉元から空気となって発せられる。天川くんが僕の両手を優しく耳から剥がした。力強く外界の音を遮断していた反動か、少しの間耳鳴りが消えなかったけれど、次第に治っていくと天川くんの心配そうな表情が目の前に現れた。本当に心配している、そんな
天川くんの顔を認識した途端、次の瞬間には、ふわりと彼の胸に僕はいた。端から見れば抱き締められた図となる。一瞬で現状を把握した僕は彼から離れようとしたけれど、彼の力は強かった。気のせいか、いい匂いがした。安心する、そんな香りだった。
「だいじょうぶ。誰も見てないから」
何が大丈夫なのか。絶対に誰かには見られている。けれど、この時の僕は可笑しかったから、他人の目など気にならなかった。
ただ、天川くんの胸の中が心地よくて、温かくて、安心してしまったんだ。
気が付くと
「…………え」
「あ、おはよう」
僕は一瞬、何も理解が出来なくなった。
僕はいつの間にか彼の抱擁によって眠ってしまっていたのか? まったくと言っていいほどに何も憶えていなかった。
僕は天川くんの左肩を借りた状態で眠っていたらしい。天川くんは優しく僕に微笑んで「気持ちよさそうに寝てたね」なんて言う。
「なんで、起こしてくれなかったの」
「そろそろ起こさなきゃとは思ってたよ?」
「……そう。じゃなくて!」
「大丈夫、大丈夫。集合時間までまだ三十分あるから」
じゃあ、行こうか。と天川くんが僕の手を取る。ああ、なんだよ。本当に王子様みたいじゃないか。僕はなんでか分からないけれど、この時ばかりは彼の手を振り
「……ごめん」
「ん? 何が?」
「遠足、僕の所為で楽しめなかったでしょ」
「そんなことないよ。そもそも俺、遊園地苦手だし。奥村のお陰でサボれた! 感謝したいくらいだよ」
僕は素で驚いてしまった。
こんなに完璧な彼でも、やはり人間ということなのだろう。遊園地が苦手だと聞いて、どこかで安堵した自分がいた。
彼の手は大きくて、とても温かかった。
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