第4・5話

 今日は久々の定期健診の日だった。将成は不本意ながら兄の勤める大学病院へと向かった。着いてからというもの、採血や点滴、問診を行い、薬を大量に貰い、そうして長い一日を終えた。この定期健診は月に何度もあるため、学校の出席数が極端に少なくなってしまう。これでは何のために転校したのか分からない。それでも将成には野望があった。何としてでも病気を乗り越えて高校を卒業すること。将成は帰りのバスの中で今一度野望を心の中で唱えた。


 学校の要請で定期健診の内容を提出することになっていた。なので、学校前の停留所で降りる。空は、今にも降り出しそうなくらい黒く染まっていた。将成はスクールバッグの中を確認したが、案の定、折りたたみ傘など入っていなかった。

(濡れて帰ると、兄ちゃん怒るんだよな~)

 自分の体の為に、兄である健が怒る。心配しているからこそ、そんなことは理解していたが、仕方がないことは仕方がないのだ。将成は折りたたみ傘を忘れたことを正当化しようと兄に対しての言い訳を考える。答えは、出なかった。

 職員室に向かい、健診内容の書類を提出して今日の将成の任務は初めて終了した。疲れたなと溜息を吐く。ふと窓を見れば雨が本格的に降り始めていた。先ほどまでは小雨程度で済んでいたので言い訳が弱くても通用すると考えていた将成だったが、もはやその言い訳は通用しなくなってしまった。落ち着くまで少し様子を見ていよう。一時間してもまだ止む気配がなければ健を呼ぼう。濡れて帰るよりは幾分かマシだろう。学校の広間にある小洒落こじゃれたテーブル席に将成は腰を掛けた。

 未だ雨が止む気配はない。携帯で時間を確認すれば、時刻は夕方の五時を表示した。そろそろ決断をしないと心配される。気が重いが仕方がない。携帯の画面を開き兄の連絡先を表示する。通話ボタンを押そうとした時、向かい側に人影が映った。

「……奥村……?」

 人影の正体は海音だった。こんな時間まで珍しい、どこかで暇でも潰してたのだろうか? 将成は見つけてしまった手前、引くに引けず海音のいる反対側の校舎へと向かおうとした。声を掛けようとした、瞬間、将成の心が嬉しさから焦りに変わった。

 海音が急にその場にしゃがみ込んでしまったのだ。本当に急なことだったので、将成は動揺して(し過ぎて)雨が降っていることを忘れて向かいの校舎へ走った。


 声を掛ければ、海音の光のない目が、将成を捉えた。良かった、意識はあるようだと安心する。具合が悪いのかと問えば、海音は首を横に振った。どうやら違うらしい。しかし万が一のことがあるので将成は海音の額に手を触れる。触れた感じでは熱は無かったのでホッとする。

 雨が止むまで一緒にいようか、と提案するが、海音は俯いたままだった。とりあえず触らない方がいいかと隣に座っていると、少しして「ぐすっ……」と鼻をすする音が聞こえてきた。何故か海音は泣き始めてしまった。

(何故……⁉)

 将成は本気で海音が泣いている理由が分からなかった。だから、何を思ったのか将成は聞かれてもいないことを呟き始めた。それが引金になったのか、海音は更に泣いてしまった。益々ますます分からない! となだめながら将成は頭を抱えた。

 早く泣き止んでくれないかな、なんて外の雨を見つめながら思っていると「……家に、帰りたくない……っ」という海音の悲痛な心の叫びのようなものが将成の耳に届いた。きっと、これが本音だ。将成は一瞬呼吸を忘れた。


 ……じゃあ、さ。俺んち、来る?


 自分でも意地の悪い科白せりふだと思う。自分の欲が浮き出たような気がして、吐き出した後になって言ったことを後悔した。しかし言ってしまった以上、前言は撤回できない。


 海音は、将成の言葉を受け入れ、二人は止まない雨の中を駆けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る