第133話 バンル視点 隠された感情の在処(2)
自室に戻り、夜灯りの時まではと
この位置だと外だろうか。窓のほうへ目をやる。
上から零れ落ちてくるのははらりと光る魔力。光沢のある白色の中で複雑に揺らめく多色の赤が混じる。
いつもより青みが強く感じられるが、この感じには覚えがあった。さまざまな場面で魔力を溢れさせるレインのもので間違いないだろう。
……なにをしているのかな、あの子は。
妹は時々こちらが理解できないような言動をする。まるで別の常識に従って動いているのではと思うほどであるが、ここまでのことはさすがに初めてだ。
とにかく帰ってきたようではあるので父様たちに伝えるため階下へ向かう。なにがあるかわからないため、姉様とルシヴも一緒だ。
「なぜ家に入ってこないのでしょう」
「そうなんだよね。魔力がいつもと違う感じだから、そのあたりと関係があるのかもしれないけれど」
「お父様たちに判断していただくしかありませんね」
父様の部屋に入り事情を説明すると、両親はさっと窓の外へ視線を向け、わずかに見える魔力を確認した。
イョキを唱える父様がラッドレに触れると、フュンと音がして天井の一部が透ける。そこに映っているのは太い枝に腰掛けるレインの後ろ姿だ。
「……演奏をしているようだな」
もう見慣れたが、レインの持つ不思議な形のアクゥギが暗がりにぼうっと光っていて、そのためにレインの姿がはっきりと浮かび上がっていた。
なかなかに危ない場所でひやりとしつつ、しかしこれほどの魔力を撒き散らしている演奏がどのようなものか、気になってしまう。
それはルシヴも同じだったようで、「外へ――」と動いたところで母様に引き留められた。
心得たように父様が再びラッドレに触れる。すると今度は外の音まで聞こえるようになる。
家のラッドレにこのような機能があるなど聞いたことがないので、おそらく父様か母様が改良したのだろう――などと考えていられたのは一瞬だけで。
アクゥギと同じように慣れたはずだった。
それなのに、このレインの歌声を僕は知らない。
「これは……」
動揺に息を呑む僕たちの前で、母様がひどく哀しげに首を振った。レインの歌に引っ張られたというよりむしろ、自責の念に駆られてといったようすである。
「レインは、これを隠していたのですね」
そこにあるのは、物語でしか感じたことのない、マカベが感じてはいけない情動だった。本能的な叫びだった。
飾らぬ本能など、獣の咆哮に似た醜いものだと思っていた。けれども違う。今聞こえているものは違う。
ただひたすらに静かで、強くて深い。
砂漠の中から星だけを映した砂を一粒ずつ探しては空へ返していくような。繊細で途方もない魔力の煌めきは、どこまでも美しかった。
なにを信じれば、なにを歌えば良いのだろうかと。音楽だけを見続けているはずのあの子が。
身を切り出して震わせた、慟哭。
彼女の寄る辺なさと諦念。
これがずっと、隠されていたなら。
いったい僕たちは、今まで彼女のなにを見ていたというのだろう。
「……お母様は、ご存知だったのですか?」
「いいえ。ただ、あの子は最初から普通ではなかったでしょう? ですからなにかあるのだろうとは思っていました。わたくしはその
このようなときにいちばん強いのが母様だ。父様にすら「普通ではない」と言わせる彼女がそう微笑むと説得力がある。
しかしそれだけではいけないのだ。母様はマカベとして生まれ育ったが、レインは違う。
「母様。一端とはいえ、僕たちはレインの抱える
「バンルの言うとおりです。……あれだけの感情を抑えるのは、並大抵のことではありません」
レインに対する違和感が確信に変わってしまった今、そのままにしてはおけない。それはマカベとして致命的な問題を起こさせないためでもあるし、妹の心を守るためでもある。
けれども母様は淡く微笑みながら僕たちのやる気を摘み取った。
「では、レインから言い出すまではこれまで通りに」
「……ヒィリカ」
「あら、レインが心配ですか?」
息子の目にも無表情に見える父様の、赤い瞳だけが陰を含みながら揺れている。
レインに関することは母様が決定権を持っているのだ。それは彼女がレインを娘にしたいと言い出したからでもあるが、こんなとき、普段は完璧に動いてみせる、僕が目指すべき父様にも僕たちと同じ弱さがあることに気づく。
「彼女はわたくしたちが知ったことに気づかないでしょう。今まで通り隠せていると考えるでしょう。あなたたちは子供になにをと思うかもしれませんけれど、それが彼女の意思で……わたくしたちが思う以上に強くて冷静で、けれどどこか危なっかしいところのあるレインをマカベとして生きられるよう支えていくことこそが、とびきり愛しい子の守りになるはずです」
先ほどからずっと黙っているルシヴに目を向けると、見たことのない表情をしていた。
それもそうだろう。レインの音楽に強い感銘を受けながら、マカベの娘としての在りかたを知らない彼女をいちばん歯がゆく思っていたのはルシヴだ。
彼自身がまだ成長途中にあるのだ。一緒に、これからのことを考えていかなければならない。
「それにね、きっと、あの子はいつか教えてくれますよ」
母様の言った「いつか」がこうもすぐにやってくるとは思わず、妹の退室した居間で五人、顔を見合わせる。
レインの慟哭を聞いた夜が明けた日、動揺を漏らさぬよう挑んだ昼食はあまりにいつも通りで、楽しそうに笑う彼女が本当に楽しそうなようすであるのを見ることが心苦しかった。
こんな日を何度繰り返したのだろうと思えば苦い表情もしたくなるとは思うがルシヴは表情に出し過ぎなので姉様に目配せをして弟の気を逸らす。
そういうふうにしてレインの笑顔を疑う心になんとか折り合いをつけられるようになってきた頃の「新しい曲を作った」宣言だった。
あの哀しみを教えてくれるなら、家族である僕らはそれを受け止めようと決めて、そうして、披露会の日を待つ。
しかしどうだろう。
レインが演奏した曲はあの夜のものではなかった。たしかに今までとは大きく異なる曲調であるし、マカベに受け入れられるようにするにはもう少し工夫が必要だ。これだけを聞けば確認してほしいと頼んできたことにも納得できただろう。
そしてこれもまたレインの一部だと言うのなら、この子はどれだけのものを抱えているのだと言わざるを得ないが、残念ながらそれ以前の問題である。
……あの感情は、こうまでして隠すつもりなのか。
本心を見せつつ大事な部分をしまい込むのは文官たちのあいだでも使われる手法で、だからこそこれはレインの意思なのだとわかってしまう。
けれども受け止めると決めたのは僕らだ。
望まれた通り「新しい曲」がマカベに受け入れられるように音を添えていく。
そうすればレインは驚いたように闇色の瞳を丸くさせ、それからほんの一瞬だけ泣きそうな顔をした。だからその後で見せた笑顔は本物だと確信できたし、ふわりと薫る夜明けの希望みたいだと感じたのは僕だけではないと思う。
僕たちの夜はようやく明けて、きっと、これからなのだ。
披露会のあとは難しい顔で考え込んでいたルシヴだったが、その日以降レインを見る目つきが明らかに変わっていた。
どうやら彼は心を決めたようだ。
なら僕は――と協力してくれそうな友人の顔を思い浮かべる。今日のうちにワイムッフを飛ばし、リィトゥのことを解決しておきたい。
――バンルお兄様。
魔力のこもった声が僕の魔力と共鳴するように揺れる。初めて呼ばれたのだと、確信した日。そう、ここからだ。
いつか、いつか。本当の、家族の話をしよう。
きっとそのときには、僕たちは君の笑顔を見つけられるようになっているから。
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