第132話 バンル視点 隠された感情の在処(1)

「レインが帰ってきませんね」


 妹の不在を知ったのはそんな母様の言葉からだ。

 木立の舎での音楽会を終え、文官として交流会にも参加した僕たちを含めて今夜は各自やることを済ませてからジオの土地へ帰ることになっている。

 教師としての仕事がありいちばん遅いはずの姉様が帰ってきたので、まだレインが帰宅していないのはおかしい。


 レインは聡明な子だ。父様たちが目標を定めておけば自分でうまく調整しているし、一人行動が多くとも誰も気にしていなかった。

 しかし、どれだけしっかりしていても彼女はまだ中級生で、小さな女の子。報せもなく帰らないのも初めてのことなので、そろそろ行方を探さなくてはいけない頃合いだろう。


「シユリは見ていませんか?」

「あら……そういえば、教師のどなたかが、レインがスダ・サアレと一緒にいるのを見たとおっしゃっていたような……」


 その言葉に、父様が軽く息を吐く。

 気持ちはわかる。こと神殿に関してはレインと紐づく話がないよう、僕たち姉弟にも注意せよと話があったばかりであるし、なにより文官として動くようになった僕自身がその必要性をよく感じていた。

 姉様もそのことに気づいたのか、あっと声を漏らす。


 ――気立子であるレインは神殿へ入れるべきだ。


 レインがやってきてから絶えず聞かされ続けてきたその言葉。

 芸術師の家ならまだしも、優秀な文官……それもマカベ夫妻の子となれば当然のことだ。僕らは神に近い場所で、神を楽しませるために生きていくのだから、レインの人となりを知るまでは、ルシヴだけでなく僕ですら納得していなかったほどである。


 彼女の演奏を知り、また母様の熱烈な主張によって、多くの人がレインの価値を認めた。そうして一度落ち着いたはずの話は、招かれざる客たちの訪れからまた増えてきたようだ。


 彼らの言い分は「他の気立子と比べても飛び抜けて魔力が多いのだから神殿で未来のクストを望め」である。

 だがマクニオスの魔力を増やすという意味では、レインがマクニオスへ来た時点で達成したようなもの。それなら魔力の多さを最大限に生かすよりもマカベとしてあの豊かな音楽をこの地に刻むほうが良いに決まっているではないか。

 ……なにより、僕たちはもう、彼女から音楽を奪おうなどと考えることはできないのだ。それほどにレインの音楽に魅入られてしまった。


「……スダ・サアレが、人の関心を集めないような魔法を使っていたのだろうな」

「完全に遮断していたのでなければ、レインの行方に関する噂がこちらへ届くよう配慮してくださったのかもしれませんね」

「そういうことであろう。……ハァ、ただでさえ優秀な当代のサアレたちの中で、スダ・サアレは卓越した才を持っているのだ。私にも彼の本質は見えぬほどに。少なくとも、サアレの領分を超えてマクニオスのために動こうとしているのはわかるが」


 父様にもわからないスダ・サアレの思惑が僕たちにわかるはずがない。

 数年は同じ木立の舎にいたはずなのに、僕はキナリだった頃の彼をまったく覚えていない。より年の近い姉様も、さすがに覚えているとはいえ大勢いるキナリのうちの一人くらいにしか認識していなかったらしい。

 キナリとしては平凡だったはずの彼がサアレに――それも他の三人と圧倒的な差で決まったのだから、いったいどれだけの実力を隠していたのかと皆が囁きあったものだ。

 実際サアレになってからの彼は驚くべき手腕でスダの土地を、そしてマクニオス全体を豊かさの衰えから救った。緩やかな魔力減少は、あともうひとつきっかけがあれば上向くだろうとすら言われている。


 そんなスダ・サアレがレインに目をかけているという。

 彼が本気でそのつもりなら、父様と母様でもレインを引き留めるのは難しいかもしれない。

 本来であれば僕とルシヴこそが彼女をうまく引き留めなければいけなかったのだが。そういう部分では年相応なのか、レインはなかなかに手強い。


 そんなことを考えていると、姉様がそわりと指先だけでツスギエ布を揺らした。話しにくいことを話そうとするときの、彼女の癖だ。


「……これは秘密なのですけれど」

「シユリ?」

「レインがお母様のようになりたいと言っているのはご存知でしょう? ……あの子はおそらく、マクニ・オアモルヘの完成を目指しているのです」


 できるだけ早く、と加えられた言葉に今度は母様が息を吐いた。

 僕はまさかと思う。レインがマクニ・オアモルヘの練習をしていることは知っていたし、熱心に情報を集めていることにも気づいていたが、それは成人までにという目標なのだろうとしか考えていなかったのだ。


「わたくしに相談しにきてくれたのは嬉しかったのですけれど、力不足ですから。神殿にならそういう資料もあるかもしれないとお話していたので、スダ・サアレとワイムッフを送り合っていたはずです」

「姉様、なぜ今までそれを黙っていたのです?」

「ルシヴ。……いえ、そうなのです。ただ、レインが家族を驚かせたいと思う気持ちを大事にしたかったですし、あの二人はやり取りを公にしていませんでしたから」

「……今日のことがなければ、たしかに問題もなかったのだが」


 彼の神殿での講義の噂は知っているし、音楽に関してはかなり貪欲に吸収しようとするレインのことだから、姉様が言う通り音楽の練習について助言をもらっているだけなのだろう。

 けれども事実、二人をよく知らない人からしたら、彼らに交流があると聞けば岩の下での扱いについて交渉しているのではと勘繰りたくなる心の動きも理解できる。


「まったく、アグの土地についても調べなくてはならないというのに、厄介事が多い」

「シルカル様」

「わかっている。家の中でこれくらいは良いだろう」

「それでも、子供たちの前ですよ」


 父様がこのように疲弊したようすを見せるのは珍しいと姉弟で視線を交わす。

 とにかく、レインのことは二人がスダの神殿へ確認してくれるようだ。母様がそのまま父様を部屋へ連れて行ったので、今日のところはそれでおしまいだと思っていた。

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