第126話 わたしの夢(2)

「どういう……ことですか」

「あなたのその身体はあなたのものではないのだから」

「土の国の子、のものなのですよね?」


 言われたことを飲み込めていないわたしはただ口だけで会話を続けていた。薄い膜を隔てたように頭が勝手に言葉を選び発するのを感じる。


「そう、わかっているじゃない。この世界のものをよそへ持ち出すことはできないのよ」

「じゃ、じゃあ。わたしはどうなんですか? よそから持ってくるのは良いと? わたしの身体も連れてきてしまったって、そう言いましたよね?」

「だから言ったでしょう。あなたの想いが強すぎた、と」


 ――想いが強すぎた。

 その言葉が三年前のあの日と繋がって、ぼんやりと膜がかかっていた思考がはっきりとする。感情の輪郭が、はっきりとする。

 意味がわからなかった。認められるわけがない。

 三年間、なによりも日本へ帰るために頑張ってきたというのに。


「それだって普通はありえないことなのよ。身体はもちろん、心だって、理が違うのだもの。こちらの物を飲み込んだ時点で崩れてしまってもおかしくないはずなのに」


 こんなことになるなんて、本当に驚いたわ。そうのたまう神さまにわたしはなにも言えず、ぎりと唇を噛む。


「でも、そうね。わたくしがそのきっかけを与えたことは確かなこと……――そうだわ。あの世界の様子を見せてあげるわ」

「え? ……ひぁっ!?」


 反応するよりも速く、どっと押し寄せてくる感覚。映像。知識。

 泡のように隣り合う世界たち。古代神がどのようにして四つの場所を創り上げたか。生き物の源。

 知らないはずのことを知っている。人が理解できるはずもないことを理解している。神さまの視点だ。頭が物理的にも精神的にも痛い。


「これでも抑えてはいるのだけれど、人にはまだ刺激が強いようね。落ち着いて、抗わずに流れていきなさいな」


 神さまの言うことに従うというより、痛すぎてどうしようもなくて力が抜けていく。

 少しずつ感覚の奔流に慣れてきて、そうすると、神さまがわたしに見せたいと思っている景色に焦点が合うようになった。




 日本では、わたしは行方不明ということになっているらしい。

 ――いなくなってからどれくらい経っているのだろう?

 ――こちらで経った時間と同じだけ。

 ――地球では三年経っていないくらい。


 考えるだけで知りたい情報に焦点が合って、自分が拡張されていく感覚がする。


 家族、恋人、友人。記憶の中の彼らと変わりはないように見えた。わたしがいなくなっても、哀しんではいないようで。……いや。

 違う。

 これはもう、乗り越えた人の顔だ。もうわたしがいないことを受け入れて、前を向こうとしている人たち。彼らはとっくにわたしを失っていた。

 ……わたしとは大違いだ。わたしはずっと、帰ることを諦めていなかったのに。


 だけど、それもそのはずなのだ。逆の立場であればわたしだって諦めてしまうだろう。

 女性の一人暮らしに向いた、セキュリティのしっかりしている夜の自宅から消えてしまう人なんているはずがなくて、あの情報社会で、年単位で見つからないならそれはもうどうしようもないことなのだ。まだどこかにいるかもと考えるほうがどうかしている。


 たくさんの時間とお金をかけていろんなところへ捜索願いを出してくれた両親を知っている。

 言ってしまえば他人なのに、テレビやSNSで情報を発信し続けてくれた恋人や友人たちを知っている。

 好奇の目を向けられる疲労感と、それが報われない絶望感。

 ありえない状況という事実。

 流行り廃りのように消費された日々。


 ここへ戻ってはいけないのだと、本能でわかる。

 ここには、ずっと帰りたいと思っていた場所には、もうわたしの居場所はなかった。


 大切なはずの人たちの笑顔が苦しい。

 張本人であるわたしよりよほど苦労をしたであろう彼らの、それでもと踏ん張る笑顔が。


「……ぅくっ」


 ぐるりと視界がひっくり返るような感覚があって、喉の奥から酸っぱいものが込み上げてくる。美しくないから駄目だと慌ててそれを飲み込んで、ああここがわたしの現実なのだと実感する。


 夢は希望でもあるけれど、残酷な現実そのものでもある。

 それは雨粒のように、木漏れ日のように、この手ではすくえないものなのだ。


 知らない誰かへ向けられる啓太の笑顔に、喉をわし掴みされたような痛みがする。

 ……でも、こんなの。見たくなかった。

 見たくないのに目を離せない。もう会うことのできない人たち。

 わたしの大切な人たち。

 こんな知らない世界へ、来たくはなかったのに。


「あら。あなたの夢だったでしょう?」


 神さまは勝手に人の心を読む。


「歌を届けることが」

「歌を、届ける……?」


 たしかにそれはわたしの夢だ。明日が久しぶりのライブだったはずあの日、早く自分の歌を誰かに届けたいと願っていた。でも。


「ほら、そう願っていたでしょう? だからあなたを連れてきてあげたのよ」


 どうして感謝しないのかしら。そう言いたげに首を傾げた夢の神さまの、なお美しい姿。そのどこまでも傲慢な表情に、なにかがぷつんと切れた。

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