第125話 わたしの夢(1)

 壁や床は青みがかった濃い灰色の岩で、飾り気のない殺風景の真ん中にある大きな切り株の舞台は前に訪れたときと同じ。

 とてもなめらかな表面だと思っていたけれど、暗がりにぼんやりと浮かぶそれらをよく見てみれば恐ろしいほど緻密に模様が彫られていることがわかる。

 それはつまり音が複雑に響くということで。

 魔法のあるこの世界ではきっと、神さまへ届きやすい音となるのだろう。


 こんなふうにじっくり周囲を観察できているのは、ここスダの神殿の儀式場には今わたしを含め二人しかいないからで、加えてそのもう一人はなにやら儀式の準備らしい作業をしているからだ。

 らしい・・・というのも、彼が舞台の周りに置いているのがわたしの想像するいわゆる供物とは違うものなのだ。

 魔力を込めたツスギエ布を織り込んでいるらしい、淡く光るタペストリー。砕いた魔法石を混ぜ込んでいるのか、こちらもほんのり光っている陶磁器。

 シルカルが収集しているような楽器に、おそらく詩集であろう装丁の美しい本。

 マカベの描く写実的な風景画。

 マクニオスの木を模したような装飾具。

 ――とまぁ、質の良いことがひと目でわかる芸術作品がずらりと。木立の舎ではこのような準備についてなにも聞かなかったので、とても謎である。

 それでも神殿の人がこうして丁寧に配置をしているのだから、こちらが本来のやりかたなのだろうと考えて口を出すことはしない。わたしとしては神さまに会えるならなんでも良かった。


 それにしても、講義で来たときはそれなりにあった祭司たちの出入りがまったくない。スダ・サアレが指示してくれたのか、ありがたいと思う。

 これからすることをあまり人に見せたくないのだ。

 夢の神さまと話す内容も、わたしがいなくなるところも。わたしの経歴を少しでもこの世界に残すようなことを。

 そういう意味で、なんというか、スダ・サアレのことは信頼している。彼は今までわたしがどんな醜態を晒しても他人に言いふらすようなことをしなかったし、なにが起こったとしても――たとえば子供が突然消えたとしても、きっと上手く対処してくれる。だから安心してマクニ・オアモルヘができる。




 最初の音を確かめるように、アクゥギをトンと鳴らす。


「……レイン。まさか、時間を置きすぎて曲を忘れたわけではあるまいな?」


 素とサアレとしての威厳を混ぜたような声色に、否定の意を込めて返した「まさか」というわたしの声が思いのほか細い。

 ……緊張、してたのか。

 息を吸って、吐く。そうして身体の中にあった緊張をほぐす。

 礼を伝えるように微笑めば、舌打ちが聞こえそうなほどに嫌そうな顔をされる。――いや、本当に舌打ちをされた。

 マカベの服装でこの態度。この人は形式的な美しさを重要視するマカベの女性と結婚するはずだが、本当にできるのだろうか。ヨナのお相手のほうが良いんじゃないか。

 わたしが場違いにお節介な気持ちを抱いていると、スダ・サアレは「早くやれ」というふうに顎を持ち上げた。


 よし、もう変な緊張はしていない。

 特に勿体ぶることもなくアクゥギの鍵盤に指を乗せ、叩いていく。まっすぐに声を合わせていく。

 わたしの指も、舌も、もうよく回る。

 大事なのは両方がそれぞれ鬼畜仕様な伴奏と歌の調和。それによる魔力の動き。ざわざわ、ざわざわ。頭を空っぽにしてただ音の向かうままに流れて――


 テテ・ラッドレを着けた耳が異様に熱い。

 ふと、わたしの魔力を受けて光を強めた供物たちをぼんやりと眺めている自分に気づく。……終わったのだ。


「あら、愛しい子」


 忘れようもない綺麗な声に、ああ夢の神さまだと嘆息する。続いて宙からさらりと布を垂らすように現れたのは初めて目にする姿。

 前にここでスダ・サアレが呼んでいた風の神さまとは違う容貌で、けれど人ではない者としての神々しさが同じだ。ほんのり帯びている光はまさに夢のような美しさで周囲を照らす。


「お久しぶりです。夢の神さま」

「久しい……? あら、そうね。あなたたちの感覚ではそうなのだったわ」

「……わたし、ずっと、神さまにお願いしたいことがあって。それで今まで、マクニオスで頑張ってきたんです。夢の神さまにまた会えるように――」


 神さまとどれだけのあいだ話していられるかわからないから、言うことはもう決めていた。ここまで来られたら、あとは帰りたいと願うだけだ。


「さぁ、もとの世界に、『日本』に、帰してください!」


 そう言い切ったわたしと、困惑の反応が二つ。

 申し訳ないけれどスダ・サアレのそれは予想していたので良いとして、問題は夢の神さまだ。どうして彼女は困惑しているのだろう。

 わたしの出自を一番よく知っているのはこのひとのはずなのに。


「夢の神さま?」

「あのね、できないのよ」

「……へ?」

「あなたをもといた場所へ帰すことはできない」


 けれども神さまの答えはとても簡単で、そして、ひどく残酷なものだった。

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