第124話 音楽会と密やかな別れ(3)

 音楽会が終われば交流会を兼ねた夕食会だ。

 期間中も夕食はジオの林にある食堂でとるので当然カフィナとも毎晩顔を合わせているのだが、マカベは形式を大事にするため音楽会全体が終了するまでは演奏の感想を伝えることがない。

 代わりになされるのは交流会の下準備としての情報交換だ。

 誰が誰と組んでいたかだとか、どんな大人が見に来ていたかだとか、演奏の順番とか。特に土地どうしの繋がりを気にする最上級生の姿はちらほら見かけた。


 まぁつまるところわたしたちが互いの演奏について口にするのは今が初めてで、カフィナはこのときを今か今かと待っていたらしい。


「大人っぽい雰囲気のときも素敵ですけれど、明るい曲調もレイン様らしい感じがいたしました。今回の演奏は、本当に、聴いているこちらまで楽しくなったのですよ!」


 ――楽しかった。わたしが言われて嬉しい言葉だ。上手だった、感動した、そういうお褒めの言葉よりもずっと。


「あのように魔力を使って音に幅を持たせることもできるのですね。また聴かせてくださいませ」


 そして一緒に演奏させてほしいと顔に書いてあるラティラも。

 嬉しい感想を伝えてくれた二人に、わたしも素晴らしい演奏の感想を伝える。


 ……今度の演奏はたぶん、ないけれど。じくじく痛む心を笑顔で塗りつぶす。

 わたしはちゃんと笑えているだろうか。

 夢の中の世界なのだから、ずっと、別れがたく思うことなどないと考えていた。でも違う。

 ちゃんと彼女たちを大事に思えていたのだという安心感。そして、それを自覚したからこそ覚える寂しさ。この三年間のわたしはマクニオスで生きて、ここでいろんな感情を積み上げてきたのだ。


 ふとこちらを見たカフィナの瞳になにか言いたげな色が浮かぶのを、明るい話題で眩ませる。この子は本当に、人の機微に敏すぎる。

 この期に及んで他の世界から来たのだなんて話をできるはずもなく、さよならだって言うつもりはない。そんなずるいことをしているのなら最後までしっかり隠さなければ駄目だ。


 ざわざわと揺れていた魔力を押し込めるように、わたしは心の中で「さよなら」と呟いた。




 シエネやスィッカ、ヅンレにアグの土地の子たち、将来は神殿でサアレとなるキナリ、教師たちも。社交性のかけらもないわたしだったけれど振り返ってみればずいぶんたくさんの人と知り合ったものだ。

 その一番初めが、この家族だった。


「レイン、そなたはそれだけの技術があるのだから、もっと荘厳な曲を作ったらどうなのだ?」

「あらルシヴ、わたくしはレインの可愛らしさを堪能できて嬉しかったですよ。それに曲だって立場を示すのにふさわしかったではありませんか」

「まぁ、そうですが……」

「すでに最上級生と並んでも劣らないわけだし、そういうのはこれから少しずつ学んでいけば良いよ」


 シユリとバンルがくれる演奏を褒める言葉に感謝を伝えながら、姉に言いくるめられてしまったルシヴが、シルカルとヒィリカにマカベの娘としてのわたしの自覚を促すよう進言するのを横目で見る。

 まっすぐにバンルの後を追いかける彼はきっと、わたしの成長を認めながらもへらへらしている妹の姿に歯がゆく思っているのだろう。その真剣な表情は妹を思う兄のものでもあり、これからマクニオスを引っ張っていくことになるマカベの子としてのものでもあった。

 しかしヒィリカはやんわりと笑み明言を避けている。


「そうですね……来年であなたたちが木立の舎へともに通うのは最後になりますから、ルシヴ、それまではあなたがよく見ていてあげなさい」


 ……結局、微妙な距離感のままだったな。

 彼らがわたしを気遣ってくれていることを知りながら、歩み寄れなかった。

 時おり脳に響く声は関係ない。これはわたしの怠慢だ。


 そして。

 忘れていたというべきか、気づいてしまったというべきか。


 ……い、いや。お礼だけは直接伝えるべきだし、結果の話になる前に逃げよう。わたしはこれから、土の国へ行くつもりなのだ。


「レイン」


 だけど、運命というのは非情だ。銀色のマントを纏った青年が優雅に、しかしはっきりとした意思で近づいてくるのを見て、会話は避けられないことを悟る。


「スダ・サアレ。木漏れ日にか――」

「なぜ神の加護を得ていない?」


 ……ば、バレてる!


「あ、えと。その節はどうもお世話に」

「御託は良い。マクニ・オアモルヘは完成していたはずだが、講義でやらなかった理由は? なぜ後回しにしている?」


 神さまと繋がったかどうかがわかるなんて、想定外だ。若葉色の瞳が金銀の光を揺らめかせ「私が教えてやったのに失敗したはずもないだろう」と言わんばかりの表情に、未挑戦が故意であることに気づかれていると確信する。

 こうなってしまえば誤魔化しても無駄だろう。本当のことをぼかして言うしかない。


「その、あんまり目立ちたくなかったので……」

「今更だろ」

「……う」


 胡散臭いものを見るような目を向けられ慌てて追加の言い訳を探しているわたしを見下ろすスダ・サアレが、人差し指の側面で顎をさすっている。多分なにかを考えているのだけれど、その内容がわかるはずもなく。

 どうやら問い詰めるのはやめたらしい彼の次の言葉を待っていると、ふいにニヤリと笑われた。怖い。


「これからスダの神殿へ来なさい」

「……はい?」

「考えてみれば、あんたに一人でやらせたらなにが起こるかわからんからな」

「え、信用がないですね……」

「今までの自分の行動を振り返ってみると良い」


 返す言葉もない。そんなわたしの様子に頷いたスダ・サアレは口の中でなにかを唱えながら小さく両の指を動かし、すっとわたしを抱き上げた。


「ちょ、えっ」

「黙りなさい。魔法で気配は薄めたが、それだけだ。……目立ちたくないんだろ?」

「こ、このままですか?」

「どうせジオの土地へ帰るだけだろうに。問題あるか?」

「いえ……」


 どうやって人目につかないよう会場を抜け出すか悩んでいたことを考えればむしろ好都合ではあるが、あまりに突然すぎる。というよりこれでは土の国にはいけないではないか。帰ることが最優先だし、申し訳ないけれどそちらは諦めるしかないかな。

 そんなふうに思考する沈黙を肯定と受け取ったのか、スダ・サアレはすたすたと外へ向かって歩いていく。彼は子供を抱えているだけのつもりなのだろうけれど、こちらからしてみれば年下の青年なのだ。少し恥ずかしい。


 サアレとマカベの娘という注目されそうな組み合わせにもかかわらず、わたしたちは誰からも声を掛けられることなく本物の空の下へと出た。

 子供ひとりを抱えたままスダ・サアレは暗い銀色の羽を出してふわりと宙に浮かぶ。とっくに陽は沈んでいてよくわからないけれど、おそらく西であろう方向へと飛んでいく。


 ……まっすぐお家へ帰らないのは、二回目だ。不良な娘で、ごめんなさい。

 スダ・サアレの肩越しに見えるマクニオスの木に向かって、軽く頷くように謝罪の念を送る。


 ――そう。わたしはきっと、浮かれていたのだ。

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