第123話 音楽会と密やかな別れ(2)
「
「リィトゥ様。昼灯の良き日です」
「わたくし、今日の演奏をとても楽しみにしておりました。お一人で緊張なさるかもしれませんけれど……――いえ、レイン様なら問題ありませんね」
その日、会場の席に早めに着いていたわたしは、声をかけてきたリィトゥにえへへと肯定を含んだ笑みを返した。他の芸術はともかく、わたしが演奏で余計な緊張をすることはない。
「ありがとうございます。わたし自身も楽しんで歌いたいと思います」
もう一度「それは楽しみです」と言って自分の席がある中央付近へ降りていくリィトゥの後ろ姿を見ながら、あれっと思う。
最上級生の音楽会は成人の儀も兼ねているため、必ずマクニ・トウェッハ――つまり男女二人での芸術を行わなければいけないのだ。だからこそのお相手探しであり、上級生までの音楽会も重要な行事となる。
そしてリィトゥは最上級生なのだが、聞いたところによると彼女は父であるナヒマに相手を頼んだという。
バンルとは上手くいかなかったのだろうか。
リィトゥがうちの長兄を好いていることは明らかだし、彼女自身も優秀だから二人は釣り合うと思うのだけれど、はたしてバンルにそういう話があるのかどうか。いや、次期マカベと目されているのだからないわけないのだが、そもそもわたしは未だに彼がなにを考えているのかよくわからないのだ。
……シユリにはどうやらお相手がいるようだし、ルシヴはまだ興味がなさそうな感じだって、わかるのだけど。父親に似た万能なバンルに関してはシルカルとヒィリカも放任している気がするというのもある。
まぁこのあたりはわたしが考えても仕方のないことだ。
わたしを中心に、土星の環のようにふよりと浮かぶアクゥギ。その鍵盤に手を伸ばしかけて、いったん止めて。目を閉じながらふぅっと息を吐く。
きっと。これが最後の音楽会だ。
価値観の違いに戸惑うことばかりだったけれど、音楽を通して見たマクニオスでの思い出は心の底から楽しかったと言えるものも多い。
マカベの儀と反対になるように、そっと囁く。――グッバイ、マクニオス。
日本では長い間、ひとりで音楽をしていたのだ。だからこれはマクニオスにきてから知ったことだ。
生活に歌が溶け込む楽しさを。
誰かと音を重ねる楽しさを。
そして、歌が魔法になる楽しさを。
帰るためだと必死になるばかりだったけれど、わたしはここで、歌うことを楽しんでいた。だから今日はその感謝を贈りたい。
木漏れ日は増し 影は薄まってゆく
光のもとへ種を運べ! 空へ繋げ!
歌うのは淡い恋心。それは憧れに近くて、眩しさに目を細めながらも手を伸ばしてしまうようなやわらかな想い。
ミュージカルやショーなどで使われるような曲調を意識していて、観客を巻き込んで会場全体で雰囲気を作る。あまり得意とはいえないけれど、魔力の光を揺らめかせて美しく手拍子を促す。
サイリウムのように波打つ色とりどりの光に、ぱらりと手を打つ音が混じり始めた。通じたことに思わず笑みを深める。
魔法があるからこそできることだ。
この世界の人にとっては普通かもしれないけれど、わたしには特別だった。
日本でやってきた音楽をもとに、マクニオスで学んだ技術や表現を使って彩る。違う文化の、音楽の、良いとこ取りをしたわたしの集大成。
踊り、描け。歌え、歌え――!
音を光に変えていく。色が
ピアノに似ているけれど、湿り気のある甘さと澄んだ倍音が特徴的なアクゥギの音。わたしだけのもの。
この音を手放すことを惜しく思いながら、だからこそ丁寧に鍵盤を叩く。
弾むように、溶かすように。
神さまへの芸術が魔法になるなら。ねぇ、神さま。
わたしは楽しかったよという感謝をみんなに伝えたい。……こんな無言の別れなんて薄情かもしれないけれど、でも。わたしには音楽しかないのだ。
ざわざわ魔力が動いて、音の濃さが増したように感じた。わぁっと上がる歓声を、きらきらした笑顔を、耳と目に焼き付ける。
喜びが溢れてくる。……わたしの音楽を楽しんでくれる人は、いる。
日本へ帰ったら、中途半端な「ちゃんと」ではなくちゃんと、頑張りたい。あの夢のようになんてしない。
淡い想いでは済まないような強い感情に、また魔力がざわざわと動く。少し鮮やかすぎたかもしれない、そんな光は音と一緒にマクニオスの木へ刻みつけてしまおう。
……大人たちも魔力が少なくなってきたみたいなことを言っていたし、ちょうど良いはず。もうどうせジオの土地が序列も一位なのだから多少その割合が増えたところで変わらないよね。
足りないところを満たせますように。
そう願って広がるのは、音か、光か。わたし自身にもよくわからなかった。
まっすぐに思いを歌う。
ただ、レインはここで音楽を学んだのだと、そんな証が欲しかったのかもしれない。
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