第121話 二歩進む(4)

 それは去年や一昨年と同じように木立の舎のそばにある森で音楽会の練習をした帰りのことだった。

 自生する木々を抜けきる手前、木の幹に寄りかかる男性がいる。こちらを向いた――木立の舎を背にした姿は逆光で見えにくく、けれども目を合わせられたことははっきりとわかった。どうやらわたしに用があるらしい。

 近づけば、他の級を担当する教師だろうか、サアレたちと同年代に見える二十歳前後くらいの男性だ。髪や瞳の色からすると、多分アグの土地の人。

 とにかく見覚えのない顔に初対面の挨拶をする。


「ジオ・マカベとヒィリカの娘、レインです。この出会いとこれからの道に木漏れ日の祝福がありますように」

「木立の舎の教師、ロホタだ。次の鐘の音を聞くころには土の色も重なるだろう。……と、怪我はしていないようだな」


 どうやら中上級生を担当しているようだぞと思ったのも束の間。

 ……え、怪我? どういう意味? どうして初対面の教師に心配されているの?

 そんな疑問が顔に出ていたのか、ロホタと名乗った彼はふっと微かに笑みを溢した。そうすると、きりっと真面目そうに見える顔立ちの印象が和らぐ。


「前にデジトアが、君のことを心配していたからな」

「ああ……」


 よく覚えている。羽を作るための鳥を探す際、手伝いをしてくれたデジトアと何気ない話をしていたはずだったのに、とんでもない価値観の違いを知ったのだ。それまでもそれ以降も、わたしは何度だってマクニオスの常識に驚いてきたけれど、このとき以上に言動には気をつけなくてはと感じたことはない。


「神さまにいただいたものを、そのようには扱いませんよ」

「ならば、良い。ここでの生活には慣れたか?」


 これまた珍しい質問だ。わたしの記憶はないことになっているので、そういう気遣いをされることはない。

 変なことばかり言う人だなと思いながらも、無視するわけにはいかず、答える。


「おかげさまで。最初のうちは上手くいかないこともありましたが、ここ最近は話しかけてくれる人も多くなってきて知識も増えたように思います」

「アグの土地の者ともよく話しているようだな」

「よくご存じですね」


 講義を担当しているわけでもない子供の交友関係まで把握しているなんてすごい。まだ若い教師だけれど、こんなふうに熱量を持った人もいるのだなと感心してしまう。

 そんな教師が天職だと言わんばかりの彼は、予想通りアグの土地出身のようだ。




 もしかすると今までにもすれ違っていたのかもしれないが、森での出会い以降、木立の舎でロホタとよく会うようになった。デジトアと仲良しだと聞いていたので堅物かと思っていたけれどけっこう気さくで、わたしの精神年齢に近いこともあるからかマカベにしては話しやすい。


 アグの林にて開かれた披露会の帰り、ばったり出会ったロホタに会釈する。


「今日も披露会か?」

「はい。トトック様に土の国について教えてもらっているのです」


 土の国の場所や雰囲気などをある程度知ったわたしが今知りたいのは、かの国の言葉だ。マクニオスとの交流があるということはここの言葉でも通じる可能性は高いけれど、少しでもあちらの言葉を話せたほうが心象は良いはず。

 もとの世界へ帰れるなら、この身体は返してあげたい。

 そう思い、記憶を失くしてしまったからという理由でそれとなく挨拶などを探ってみているけれど、これがなかなか上手くいかないのだ。ちょうど良いので、教師だし、思い切ってロホタにも聞いてみようか。


「ロホタ先生は、あの国でどのような挨拶がされているのか、ご存じですか?」

「……ふむ」


 一瞬、なにかを考えるように視線を宙にさまよわせた彼は、「ではついてきなさい」と言ってわたしが出てきたアグの林のほうへ向かう。

 そうして連れてこられた場所は彼の部屋だった。マカベは他人を自室に入れることが少ないので驚きつつ、しかしあまりに自然に迎え入れられたので特に反応する間もなく中へ通される。


「これを」

「……あ、ありがとうございます」


 教師らしく研究でもしていたのか、ちょうど机の上に出していた紙を手渡されてさっそく目を通す。メモ書きのようだが、詩歌だ。……じゃなくて。


 ……もしかしてマクニオスの言葉って、全世界共通語?


 そこに書かれているのは間違いなくマクニオスで使われているのと同じ言葉だった。勝手に脳内で翻訳してるわけではなく、文字そのものが同じ。語尾変化が微妙に異なるからこそ、同じ言葉が使われているのだと確信できる。

 さすが神さまのいる世界、神さまが創った世界。

 とにかく言葉に不自由しないなら安心だ。音楽会が終わってからまずは土の国へ行って事情を伝え、マクニオスに戻りマクニ・オアモルへをすれば良いだろう。少し手間だが、神さまがこちらのお願いを聞いてくれるかわからないのだ。土の国にいるはずの家族か知り合いにでも後のことを頼んでおきたい。


 たまに脳を侵食するように聞こえてくる声。多分それはこの身体の本来の持ち主の声だ。

 土の国へ行けば、この子の親に会えば、自然とわかるのだと思う。




 ちなみに図らずも連続して男性に誘われるかたちになったわたしは、なぜか後日インダに叱られる羽目になる。「中級生で男女二人きりになるのはそういう関係だと見られてもおかしくないんだよ」という意見はごもっともだし、わたしがそういうのを望んでいないことに気づいて最近は接触を控えめにしてくれていたこともありがたい。

 でも、こうも思うのだ。


 ……噂って、恐い。

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