第119話 二歩進む(2)
さて、マクニ・オアモルへが完成したといってもすぐに講義で披露するのはよろしくないとわたしは考えていた。
課題は音の神さまのものであるし、もし神さまとの交渉が成功して帰れたとしたら、わたしはみんなの前でいきなり消えることになってしまう……かもしれないのだ。さすがにそれはまずいという分別くらいはある。
マクニ・オアモルへは神さまに近い場所でなければ成功しないという教師の言葉を考えれば、音楽会のあとの木立の舎にて人目につかない場所を探すのが良いだろう。
そういうわけで、どの神さまにも共通している部分の練習を続けていたのだが、ラティラはわたしの成長という名の変化に耳ざとく気づいたようだ。
彼女の首を傾げる仕草に合わせて、月光のような淡い色合いの髪がするりと肩から流れ落ちる。
「レイン様、わたくしの知らないあいだに随分と練習したのではありませんか?」
「ええと、そうですね……」
スダ・サアレのことまで話してしまうとどこかでボロを出してしまいそうで、「お母様を目指しているので頑張りました」といつもの言い訳をしておく。
ラティラはそんなわたしの逡巡に気づくことなく「ではわたくしも頑張らなくてはなりませんね」と頷いていた。
……あ、そういえば。
借りた資料を返さなくてはいけないのに、その手段がないことに気づく。スダ・サアレが使っていた物を運んでくれるワイムッフは練習の成果を魔道具に録音して都度返していたので、今わたしの手もとにはないのだ。
部屋に戻ってから、早速スダ・サアレにワイムッフを送る。
『気づくのが遅くなってしまい申し訳ないです。お借りしていた資料を返却したいと思うのですが、小包用のワイムッフが手もとにありません。どのようにしたらよろしいでしょうか』
『ああ、私も失念していた――』
そうして寄越してくれたワイムッフには小包がくくりつけられていて、いつもより丁寧に包まれていたのは完成のご褒美にとくれた新しい楽譜であった。
それもスダ・サアレが作曲したものだ。作ったは良いけれど難しすぎて演奏できる人が彼の周囲におらず、たまに自分で思い出すくらいだったらしい。マクニ・オアモルヘができるようになったわたしだからこそ贈ってくれたのだろうし、これは素直に嬉しい。
肝心の資料の返却については、このワイムッフに持たせても良いが、全部乗らなければ自分でも作れるようにしておけとその方法が記載されていた。
どう考えても大量の資料を一羽のワイムッフに持たせられる気がしないので、これも教育の一環なのだろう。
……って、またヘスべか……。
魔道具を作るのに時々出てくるのがヘスべだ。自分では講義でワイムッフを作るときにやったきりだが、大人たちがやっているのは何度か見たことがある。
が、わたしはこの、生き物が別の生き物――の魔法石――を飲み込むのを見るのがとても苦手なのだ。
初級生のときに感じた身勝手な恐怖は、今も変わらずわたしの中に巣食っている。
新しくワイムッフを作成するために、まずはもととなる鳥を捕まえてこなければならない。
羽を作る際、気立子ゆえに講義で用意された鳥の中に相性の良いものを見つけられなかったわたしはその方法をデジトアから教わったけれど、当然それをスダ・サアレが知っているはずもないので手順は丁寧に書いてくれていた。
羽ではなく舟を使って、木立の舎から少し離れた森をさまよう。
ワイムッフの場合は相性の良さを気にする必要はないのだけれど、それ用の歌を使えば捕まえやすい。
スダ・サアレの助言通り体格のしっかりした鳥を数羽、舟に乗せた。歌に誘われて寄ってきた彼らはなにも知らずに大人しくしていて、その無垢な瞳から目を逸らしたくなる。
……わたしの歌は届きやすいから、ツスギエ紐がないならばヘスべは自室でやれだなんて。
これからこの鳥たちを魔道具にするのだと思えば気が重く、しかし無駄な殺生をするつもりもないのだからそれくらいの不快感は我慢すべきだ。
ごろごろ転がる石を飲み込んだような、痛くて重い心を抱えながらジオの林へ戻る。
昇降機の魔道具に舟を預けてから自室へ上がれば、専用の魔法石に触れるだけで鳥たちが移動する仕組みだ。
「……さて」
ふぅ、と気合を入れるために息を吐き、スダ・サアレが送ってくれた小包用ワイムッフを作成するクァジの楽譜を開いた。もとは初級生も扱うような曲なのでさほど難しくなく、何度かさらうだけで演奏できるものである。
ここでも簡単な楽譜の穴埋め問題を解き、曲の全体像を捉えてから、魔道具作成を始める。
土台となる親鳥だけにクァジを聞かせるため、残りの鳥たちは一旦、ジオの土地の家と繋がっている衣装棚に隠しておいた。
森を抜けるは風の声
運びゆく 色彩豊かに葉々と――
土台となる鳥を膝に乗せて歌いかければ、温かさが少しずつ失われていくのがわかった。それに、どれだけ大人しくしていたって、生き物を抱えていればその細かな筋肉の動きや皮膚の揺らぎは伝わるものなのに。
……そういうのが、全部。
ポロンと零れるようなアクゥギの音の余韻がピアノらしく切なさを残す。
わたしの手の中で、生き物が生き物でなくなることが怖い。
「……ごめんなさい」
謝ったって仕方ないのにと思いながら、衣装棚に避難させていた鳥たちを部屋に出す。
次に歌うのはヘスべ用のもので、いつも聞いているような気がするけれどなぜか思い出せないという不思議な調べの曲だ。歌を聞いて眠るように丸まった鳥たちには無心で魔力を込めて魔法石にしてしまう。
――森を抜けるは 風の声 風の声
運びゆく 色彩豊かに実々と
ぐるぐるとお腹から身体が震えるのを、歌う息で強く抑える。
目を逸らせば自分の中の倫理観が崩れてしまうような気がして、わたしは鍵盤を叩く指のその向こうを見つめる。鳥だった魔法石をごくりと飲み込む、鳥だった魔道具を。
そうしてなんとか小包用のワイムッフを作り終えたわたしは、スダ・サアレに資料を返すことができたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます