第118話 二歩進む(1)

 それは残酷な報せであった。

 講義中、呆然とするわたしをラティラとカフィナが覗き込んでくる。わたしが誇る鉄壁の笑顔もさすがに仕事を放棄してしまっていたのか、二人の瞳に浮かぶのはこちらを案ずるような色。


「レイン様……」

「こ、こうなったらもう、全力で頑張るしかありません」

「レイン様、これはきっと、食材の魔力と寄り添う歌だけでなく、新しい曲をお披露目する良い機会ですよ」

「そうですよね……、曲……曲を作ります!」


 木立の日が明けて、一の月。

 講義は料理の最終段階である盛り付けの方法と、去年に引き続きマクニ・オアモルへの練習だ。そう聞いていたから、講義でも練習ができると楽しみにしていたのに。

 課題を終えるのが先だという理屈はわかる――というより今までもそうだった――のだが、マクニ・オアモルへの完成を目前にした今、料理の課題が最優先で必須事項だなんてあんまりな仕打ちではないか!


 心の中でそう憤慨しつつ、実際に文句を言っても仕方ないことはわかっているので思考を料理に切り替える。

 ……大丈夫。木立の日のあいだもカフィナに付き添ってもらいながら練習を続けていたし、目標のためなら頑張れるわたしだ。大丈夫、これまでと同じなのだから。


 教師による盛り付けの説明を受けながら、合間にこれまでの復習をする。まずは十二の月のうちに合格できなかった課題をこなさなければ、盛り付けにも挑戦できない。


「やっと合格できたぞ!」

「わたくしもです。レイン様の作ってくださった歌のおかげですわね」

「私はもう少しだと言われたところだ。……レイン、少し良いか」


 一緒に練習をしていた子たちが次々と合格していく中で、やはり中級生の課題は難しくなっているからか、先に進めない子もそれなりにいる。自室ではどうしても演奏の練習を優先してしまうわたしもそのうちの一人だ。カフィナから合格できそうだと言われた手前恥ずかしいけれど、あと一歩のところが難しい。

 そんな「あと一歩」な者どうしが集まって、合格を目指していく。


「ジョファ様。どうしましたか?」

「あの歌の『遠つ黄金の……』の部分なのだが、これは何を表現しているのだろうか? その、私の理解が足りていないのか、魔力を動かしにくくてだな……」

「あぁ、そうですね……ここは『稲穂』の、いえ……穀物の収穫期に見られる景色で、風に揺れる美しさと豊かな実りに対する喜びを表しているのです」

「なるほど、ヨナの仕事として考えればよいのだな。神殿での課題の経験が役立ちそうだ」


 ……そうか。マカベは普通、ヨナの領域のことをよく知らないのだった。

 知らなくとも、想像を掻き立てるような音。それは時に、言葉よりも深い伝達を担うものだ。こんなところでも、わたしは自分の音楽を突き詰められることが嬉しくなる。


「旋律を重ねて……――このようにしてみたらわかりやすいですか?」


 アクゥギを出して主旋律と副旋律を同時に弾いてみせれば、小さくどよめきが上がった。尋ねてきた男の子も、ほっとするように微笑んでくれる。


「……ああ、私にもよく想像できた。旋律を重ねることで、そのように印象を深めることもできるのだな」


 それにしても不思議なのは、こうして魔力を扱いやすくするための曲を作っていると周りから感心されることだ。

 これだけ芸術が大事にされているのなら魔法を使う時みたいにいつでもどこでも歌えば良いのに、マカベはそうしない。あのラティラでさえ心の中で曲を思い浮かべる程度であったし、わたしの知る限り、魔力を動かすための曲はひとつだ。魔力の感じかたを知らなかったわたしにフェヨリが教えてくれた、子守歌のような雛鳥の歌。


 今みたいに、たったこれだけのきっかけでよく知らないはずの景色を想像できる感性を持っているのに、もったいないとすら思う。

 こういう部分で、わたしはまだここの人たちの感覚との違いに戸惑ってしまうのだ。




 練習に次ぐ練習で、時間はあっという間に過ぎていく。

 わたしは多分、すごく頑張ったのだと思う。いや、こういうことを自分で考えるのはあまり良くないとわかっているのだけれど。


 というのも、十二の月で躓いた分を早々に取り返したと思ったら、なぜかそのまま最終段階である料理の盛り付けまでいっきに合格したのだ。

 サラダと肉の丸焼き、魚の煮付け。毎日変わらない献立に美しく彩りを添える魔法。

 絵画のできを考えればわたしのそういう感性は今ひとつなところがあると自覚していたし、これまで音楽以外でうまくいった試しがないのだから、いくら頑張っても多少は時間がかかると諦めてしまうのも仕方ないことだろう。


 教師に合格を告げられて拍子抜けしたわたしを見て、カフィナがふふっと笑う。


「音楽の講義ではないのに、不思議ですか?」

「カフィナ様。……その通りです。わたし、音楽ではなくなると途端に進まなくなりますから」

「そのようにレイン様が考えていることは存じていますけれど、よくよく考えてみてくださいませ」


 赤みがかった瞳はやわらかく細められ、そこにわずかな悪戯っぽい光が浮かんだ。


「ジオの土地のお家では、いつも素晴らしい食事が出ているではありませんか」

「あ……」

「レイン様は詩歌の勉強だと言って感想も丁寧になさいますし、わたくし、シエネ様だけでなくレイン様の作る料理も楽しみにしていたのですよ」


 すっかり忘れていた、マクニオスでのわたしの土台の豊かさに、そういえばそうだったと納得する。まぁとにかく、間違いでもなく合格できたなら良いのだ。

 これでマクニ・オアモルへの練習に本腰を入れることができる。




 ……やはり、わたしは「頑張った」と自分を褒めても良いのかもしれない。

 朝食やスダ・サアレのご褒美で文字通りスーパーフードなルルロンを食べられるのを良いことに、腱鞘炎になるくらい弾き倒した腕。滲む汗を引きつる手の甲で拭いながら、静かに息を吐く。


「できた……よね」


 光る鍵盤は当然、答えを返してくれない。でも、問題ない。わたし自身がわかっていれば良いのだ。

 練習の披露とは関係なく、お腹から震える感覚はなんだろう。

 喜びと達成感と、それからわずかばかりの寂しさと。

 ようやく。ようやくだ。


 ああ、今ならわかる。ざわざわと魔力が身体を巡っている。

 この魔力の動きが、神さまへと繋がる感覚なのだ。

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