第117話 距離感と序列(3)

 木立の日が終わる夜、ジオの土地における新年の儀が陽だまり部屋で開催される。わたしはいつも通りカフィナと別れてシルカルたち家族の座る中央の卓に腰を下ろし、初級生の入場を待つ。


 シルカルが一度こちらを見て、溜め息をつくときと同じ顔をした。


「お父様?」

「……いや」


 しかし彼は結局、ハァと息を吐きながら首を振る。


 ……なんだろう?


 なにか良くないことが起こったのだろうかと不安になるが、シルカルが口にしないということは大したことではないか、あるいは衆目を集めている今話せることではないということか。どちらにしても、ここで追求することはできなさそうだ。


 シャン――


「これよりジオの新年の儀を始める」


 澄み渡る金属音を鳴らして立ち上がったシルカルが始まりを告げ、続けて今年のジオ・マカベも彼が務めることを宣言する。


 シャン、シャラン――


 口の中で小さく唱えられるイョキはこの距離からでも聞き取れない。すっと無駄のない軌道で持ち上げられた右手に視線がいく。そこからほとばしる魔力が円グラフのようなスペクトルを生み出すのはいつもと同じだ。

 アグの土地を表す赤銀の光が一番少なく、次が青金のデリの土地。ジオの土地の赤金とスダの土地の青銀は……どちらが多いのだろう、同じくらいに見える。


 が、その疑問は周囲のざわめきとともにかき消えた。


「……まさか」

「スダの木立の者が変わらぬ限り、一位はないと思っていたが……」

「まぁ、喜ばしいことではありませんか」


 大人たちがあれこれ話すのをシルカルは凪いだ瞳で見つめ、その落ち着きを待ってから再び口を開く。


「見ての通り、今年の序列はジオの土地が一位となった。しかし――成人している者はわかるだろうが、マクニオス全体での魔力量は大幅に減少している。一位の土地として底上げに尽力せねばならぬ」


 静かな、しかしよく通るシルカルの声に、陽だまり部屋の空気が緊張感を増していく。神さまのために美しくあろうとする矜持は、このようなときにも発揮される。




「ジオ・マカベ。先ほどの底上げについてのお話ですけれど、道よりの雫を岩の下へは隠さないのでしょうか?」

「その予定はない」

「いくら大きな木を育てられるとはいえ、木立の者に紐づかせるのはいかがなものか……。これまでと同じく岩の下へやるのが順当なのでは?」


 その後の夕食会ではシルカルたちと話したい大人が大勢やってくる。

 わたしにもわかるのは、魔力の多い気立子であるわたしを神殿へやったほうがマクニオスのためになるのではないかと、多くの人が考えているらしいということだ。


「鮮やかな花を咲かせられる雫を陽の届かぬところへはやらぬ。神のためにもそのほうがよいだろう。……そもそも、そなたらに私の器を喜ばせられるというのか」

「い、いえ……」


 しかしシルカル――というよりヒィリカを筆頭としたわたしの家族にはそのつもりがないらしく、誰に話がいっても同じような文句であしらっていた。


 ……マクニ・オアモルヘをやるなら神殿でもできると先生は言っていたし、それでみんなが納得するなら神殿へ行くのでもいいのだけれど。ご飯も美味しいし……。


 そんなことを思いながらも、わたしは笑顔で黙って成りゆきを見守る。余計な口は挟まない。

 つい先ほども、わたしが招いた誤解を注意されたばかりなのだ。




 ――新年の儀が始まる前。

 何故か、バンルとルシヴの様子を窺うような視線をたくさん感じるなと思っていた。みんなも疑問に思ったのか、シルカルもヒィリカたちと顔を見合わせている。


「なにかあったのでしょうか。バンル、ルシヴ?」

「いえ、僕も不思議に思っていて……」


 バンルはシルカルたちと同じように首を傾げたが、「あぁ」と呟いたルシヴは一瞬こちらを見て、それから息を吐いた。


「おそらくジオの林の披露会での話から、レインの将来について気になったのでしょう。……レイン。そなたは確かに以前より会話ができるようになったと思うし、口にした言葉に間違いもなかった。が、その様子では気づいていないのだろう? 使う言葉の一般的な裏の意味くらいは把握しておいたほうが良い」


 わたしとしては詩的表現自体が裏の意味なのだが、勉強不足は深刻なようだ。

 詳しく聞いたところ、わたしの結婚相手がバンルかルシヴだと言ったようにもとれる言葉であったらしい。

 その場にいたルシヴがなにも言わなかった程度には問題のない表現だったようだが、実際に勘違いをした人がいたことは確かなのだ。二人には真剣に謝ったのは言うまでもなかった。




「――レイン?」


 人の波が引いたにも拘らずぼんやりしていたからか、ヒィリカが声をかけてくる。

 わたしはまだ先ほどの思考を引きずっていて、反射的にするりと出てきた言葉はあまりに自然だった。


「必要なら、わたし、神殿へ行っても良いのです」


 息を呑み、表情を固まらせた家族五人分の視線が集まる。

 凝った笑顔をゆっくりと溶かすように口を開いたのは、やはり、ヒィリカだ。


「……あなたは……――いえ。……わたくしは、音楽を心から好いているあなたが、それを手放せるとはとても思えないのです。ねぇ、レイン。あなたは歌わぬ石になりたくはないでしょう?」


 その問いかけは、いつかの、有無を言わさぬ圧力を含んでいなかった。

 むしろ懇願に似たなにかが滲む声にわたしは頷く。いつかと同じように、心から。


 ……石というのがそのまま魔法石の意味だとしても、意志を持たぬ傀儡の意味だとしても。そんなものに、なりたくない。

 わたしは、わたしを歌わずにはいられないのだから。

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