第116話 距離感と序列(2)

 去年はラティラの母親であるアイナがわたしとカフィナを招待してくれたが、今年はヒィリカがラティラとカフィナを招待することにしたようだ。それも、シユリを除いたわたしの家族だけという顔ぶれで。

 ジオの林にある小さな陽だまり部屋を丁寧に整え、わたしの大事な友達二人を迎える。


「お招きありがとうございます、ジオ・マカベ、ヒィリカ様」

「本当に光栄です。それに、バンル様とルシヴ様も用意してくださったのだと……!」


 木立の日に親がこちらへ来ることのないカフィナは恐縮していたが、ありそうで今までなかった組み合わせに、わたしまでどきどきしてしまう。


「あはは、そこまで緊張しなくて大丈夫だよ」

「ええ、そうですよ。先にお伝えした通り、個人的な披露会なのですから」

 

 バンルとヒィリカがそんなふうに空気を和らげたそのまま、披露会は始まった。

 このような場であるので話題はやはり音楽についてで、披露する芸術も音楽ばかりである。わたしも新しい曲を用意していたのでラティラは大喜びだったし、ヒィリカとシルカルの演奏にはカフィナが目を輝かせていた。……いや、演奏に釘付けだったのはわたしもラティラも同じだ。


「はぁ……なんて素晴らしいのでしょう……!」

「……レイン様のご家族は、マクニオスの宝ですね。勿論、レイン様も含めて」

「そう言われると恐れ多い気がしてしまいますが、本当にすごい家族ですよね。……それにしても、この四人での演奏はわたしも初めて見たかもしれません」


 最後にはわたしにも知らされていなかった、両親と兄たちの合奏が披露された。神秘的な美しさと家族らしい温みの併存するその演奏に、不思議な感覚が心に滲んでいく。


 こうして余計なことを考えずにいれば、素晴らしい演奏を聴ける機会があるのはただただ嬉しい。

 わたしがマクニオスで出会った中で一番の技量だと思うのはスダ・マカベだけれど、ヒィリカやシルカルだってプロ中のプロだといえるほどの技術を持っているのだから、なんとも贅沢なことだ。


「そなたらのほうが私よりも巧いだろう」

「技術だけで言えばそうかもしれませんが、ルシヴお兄様の演奏は安定感が抜群ですし、なにより見ている人を楽しませてくれるではありませんか」


 わたしの言葉にルシヴは「それでも演奏そのものの美しさは重要だ――」と首を振っていたが、バンルは同意するように「レインは本当に、自分も他人も楽しく演ることをいつも重要視しているよね」と笑いかけてくれる。

 そこに反応したのはカフィナだ。


「そうですよね! わたくし、初めてレイン様の演奏を見たときからどきどきしなかったことはありませんもの! ……あ」


 身を乗り出した先がバンルであることに気づき、カフィナはハッとして姿勢を正した。木立の舎に入ったばかりの頃から、バンルに対する印象は変わっていないらしい。




 ……シルカルは場の空気を支配するのが上手いなと、常々思う。

 それは彼がジオ・マカベとして日々采を振っているからかもしれないが、とにかく、わずかな仕草や言葉で話の流れを決めてしまう。


 今日のそれは、「……さて」という呟きとともにラティラとカフィナへ向けられた視線であった。

 わたしはまた聞いていないことが始まったぞと思い、加えて先ほどの演奏とは違うなにやら不穏な雰囲気に警戒する。


「そなたらは誓いののち、泉への水脈となるのか? 特にラティラは渓間が深いであろう?」

「おっ、お父様……?」


 突然の話題に、慌ててしまう。「個人的な」と言っていたはずなのに、何故試すようなことをするのだろう。


「良いのですよ、レイン様」


 しかし優しい声に振り向けば、ラティラが、マカベの娘らしい静謐な笑みを浮かべていた。その隣にいるカフィナも、緊張してはいるようだが動揺はしていない。将来について問われることも二人にとっては想定内だったのか。


「ジオ・マカベ。わたくしは泉で聞くことのできる囀りに魅入られたのです。谷よりのものであることを忘れずにいるなら、風の吹くままで構わないと」

「ほう。……カフィナ、そなたはどうだ?」

「わ、わたくしはまだ、木の種をまく場所も決めておりませんけれど……けれど、薄明に灯る雫の美しさを、手放せるはずがありません。それに、雫はきっとそれ自身が新たな水脈となるでしょう? わたくしはそこへ果実を流したいのです」


 前にわたしはその言葉を言えなかったのに、二人は明確にわたしのいる未来を考えてくれている。そのことで胸がいっぱいになる。


「ラティラ様、カフィナ様……」


 いっぽうで返答に満足したのか、シルカルは鷹揚に頷いた。その隣で静かに話を聞いていたヒィリカが、安堵するように息を吐く。


「この子は神の道を通った子ですから……」

「未だ、影の合わぬこともあるようだからな」


 気立子であるわたしを気遣うそれは確かに、親が子に向けるものなのだろう。そう確信したとき、自分のものではないような、言いようもない感情が広がる。


 ――親なんて、子供を道具としか思っていないくせに!


「……え?」

「レイン?」


 突然心を覆ったのは、もやのように広がる負の感情による不快感と、いつか見た夢と同じ、べとりとした息苦しさ。その気持ち悪さに怖気を振るう。


「っ、いえ」


 震えそうになる身体そのままに首を振り、表には出すまいと「なんでもありません」と言いながら笑顔を作ってみせれば、シルカルがハァと息を吐いた。


「……そなたはもう、マカベの一員で、苦楽をともにする友人もいるのだろう」

「そうですよ、レイン。枝を支えるのは、幹だけではないのですから」


 家族を頼れなければ友達を頼ればいいのだと、なによりレイン・・・の親であるシルカルとヒィリカは言う。


 好きだったものを嫌いになるとき、心はひどく疲労する。逆も似たようなものだ。距離を取っていたものに歩み寄ろうとするのは、なんと勇気のいることだろう。

 その勇気を出すことすら躊躇っているわたしの浅ましさが、苦しい。



 ヴウゥゥ……――



 温かさのあった披露会から自室へ戻ってきて、ひとり、夜灯の音を聞く。


「……シェツチィス・スツティッテ・ヒッフェホヒャ・ミミェヌネメ」


 それでもわたしが神様に願うのは、「帰りたい」という我儘だ。……我儘、なのだと思う。


 ジオの土地のほうへ。

 複雑に色合いを変える、真珠めいた色のわたしの魔力が飛んでいく。

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