第110話 精霊のための芸術(3)
魔術を使うための道具として配られたのは、壺のほかに、燭台、受け皿のような浅い器、美しい穂を持つ草であった。
魔法よりよほど
「本日は魔術の基本をお教えします。古代神の場所を象徴する、水、火、土、風を操ってみましょう」
そうして促されるまま、腰のフラルネにはめた魔法石に触れてヌレンレを出し、反対の手で丸い魔法石を握る。
舎生が自分の指示通りにしたことを確認すると、チヒヤは精霊の拠りどころを持っていた手を壺の上にかざした。空中に滑らせたヌテンレが魔力の文字を光らせる。
「……へ?」
間抜けな声を出してしまったのも、仕方ないだろう。何故なら、チヒヤが書いたのは「壺、水」という言葉だけだったのだから。
さぁやってみてくださいという言葉に、困惑しながらもヌテンレで同じように書く。さっそく壺に水が溜まり始めた。
「わっ」
しかし水はどんどん増えていき、今にも溢れそう――いや、溢れてしまった。慌ててかざしていた手をどけてみても、止まらない。このままではあちこち水浸しになってしまう。
「あれ? えっ……」
「水、止まる」
真後ろから聞こえてきた男性の声と同時に、増え続ける水が止まった。振り向きつつ補助の教師にお礼を言うと、彼は「ふむ」と頷いてみせる。
「このように、声で操ることも可能だ。精霊のための芸術とはすなわち、言葉だからな」
「精霊は、できるだけ無駄のない、素朴な言葉を好みます。拠りどころとなる透明な魔法石もそうですけれど、純粋なものを特別美しいと感じるのでしょうね」
「机、水、乾く」
「あ、ありがとうございます……」
続けられた言葉によって、壺から溢れてしまった水がみるみるうちに乾いていく。もう少しで服や床まで濡れてしまうところだったので助かったが、魔術というのは随分直接的なものらしい。勝手な想像とはいえ儀式的なものを予想していたので、なんだかがっかりしてしまう。
教師の説明を受け、みんなは文字や声を使ってそれぞれ水を止めた。どうやら溢れさせたのはわたしだけのようだ。またこのパターンかと項垂れたい気持ちになるけれど、取り繕う表情筋が仕事をしているうちにチヒヤから微笑みを向けられる。
「細かな指定をせず、また、使用者の魔力に精霊が慣れていないと、意図しない結果になることもあります」
普段使っている魔術の魔道具が誤作動を起こさないのは、魔道具の内部でしっかり動きを指定しているというのもあるが、テテ・ラッドレを通じて自動的に吸収された魔力によって、精霊が慣らされているからだそうだ。装飾品として拠りどころを身に着けている人がいるのも、いつでも魔術を使えるようにするためなのだという。
先ほどの失敗は気にしなくても良いということがわかり、しかし、近頃のわたしは少しばかりすさんでいるので、おのれ見世物にしたなという思いが湧き上がってくる。勿論、顔には出さないけれど、最初に言っておいてほしかった。
壺に水を溜め終えたら、今度は燭台に火を灯し、器に土を盛り、穂を風に揺らしていく。それから強さや量など「どのように」の部分を初めに指定する方法でも同じようにしていく。
必要なのは言葉だけであり、意識して魔力を動かす必要もないので、つまずく人もいない。
「壺、半分、水」
「器、平ら、土」
「燭台、青、火」
「穂、縦、風」
短い単語たちが、聞こえてきたり、浮かんでいたりする。
これは、美しい……のだろうか。疑いたくなっても仕方ないくらい異様な光景だ。まぁこれはこれで、ある意味儀式的と言えなくもないような……いや……。
ひとつの芸術を繰り返し覚えるという略式魔法の習得方法も荒業に思えたけれど、呪文のようなイョキには語感の良いリズムがあったし、魔法陣のようなキッハには幾何学的な模様があった。美しさにこだわるマカベらしいものだと納得できた。
それに比べると、直接的な言葉で操る魔術は異質なもののように感じられるのだ。
……これが神さまに対するものと精霊に対するものの違い、なのだろうか。
家で使う魔道具に代表されるように、魔術は魔道具に組み込むことが多いらしい。
魔法の魔道具を作るにはクァジ――魔道具を作るための歌が必要だったが、精霊のための芸術である魔術ではそうもいかない。魔法で作り上げるのではなく、もととなる道具に魔法石をはめこむのだ。水場の魔道具であれば水の魔法石、家に強く結びつく魔道具であれば枝や樹液の魔法石、といったふうに相性の良いものを選ぶ。
「そしてこのとき、精霊に伝わりやすくするよう、魔法石に言葉を刻むのですよ」
性質上、魔術は決まった動作をさせることが得意なので、あらかじめ魔道具に言葉を記しておくのが一般的だという。
ヌテンレを使い、魔法石の内側に魔力でごくごく小さな文字を刻んでいく。
「うーん……」
琥珀色の石に刻まれた「魔力、先、細い、放出」の文字を見て、わたしは小さく唸った。あらかじめ用意されていたペンにこれをはめればテテ・ヌテンレの完成なのだが。
「……あまり美しくはありませんね」
「えぇ、そうですね。我が家にあるテテ・ヌテンレは全体を魔法石で覆っていたのですけれど……」
「わたくしの家にもあります! 珍しいものですから、文字を覚えたときにやっと使わせてもらえるようになって、嬉しかったのですよ」
「あれは嬉しいですよね。……魔力を多く使わなければあのような加工はできないそうですし、めったに作られないというのもわかりますけれど」
「残念です。もう少し、装飾的な文字にすれば良かったかもしれません」
そう、そうなのだ。せめてクトィのように、不思議な記号が刻まれているのであれば、良かったのだ。
小さいとはいえ、刻んだ言葉はしっかり読める。記念品としてもらうような、名入れボールペンみたいになっているのがなんとも安っぽかった。
もとより低かった魔術への興味関心が、さらに低くなった瞬間である。
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