第108話 精霊のための芸術(1)
選択講義が終わった。……いや、なんとか、終わらせてくれた。
布合わせの課題は最後まで難しく、担当教師の「講義はこれでおしまいですけれど、練習は続けましょうね」という言葉とともに渡された大量の布や糸からは、おまけで合格にしてくれた感じがひしひしと伝わってくる。わたし自身、周囲の出来栄えを見て危機感を覚えたほどなのだから仕方がない。そもそも義務教育どまりの裁縫の腕がひと月で職人並みに上達するはずがないのだ。
合格基準を甘くしてくれたのは、音楽に特化した文官を目指していることを知っているからだろうか。納得と情報を得るための公言だったが、思わぬ副産物だ。
さて、十の月からは中級生全員が一緒の講義で、魔術および家事を学ぶ。
そういえば二年前、魔術を習うのは中級生と知ったときには「そのときにはいないかもしれないし、今は考えなくても良いか」などと頭の隅に追いやっていたなと思い出した。変わらず魔術について学びたいという気持ちは薄いが、初耳だらけであったあの頃と違い、今のわたしは魔術の概要だけなら知っている。
なにしろ、生活のための魔道具のほとんどに魔術が使われているのだから。
「家のことができるようになるのは嬉しいですね。料理もするようになれば、披露会の楽しみが増えますし」
そして、家事を学ぶということは料理をするようになるということでもある。社会人になってからはひとり暮らしをしていたので、一応ひと通りの家事はできるし、休日や定時で帰れた日には料理だってしていたのだから不得意ではない。けれど、マクニオスではそのような経験、役に立たない。
だからカフィナとは違って、わたしにはこれから三月もかけて魔術や家事を学ぶことが億劫に感じられた。
「マカベの料理は美しいからね。僕も学ぶのを楽しみにしていたんだよ」
「私はヨナの料理に対する姿勢が自然的で好みだ」
「ユヘルはいつもそう言うよね」
「それはそうだろう。……だが、まぁカフィナの言う通り、披露会ならばマカベの料理も楽しみだな」
インダとユヘルのキナリ二人組もこの講義をそれなりに楽しみにしていたようだ。なにやら言いながらも嬉しそうにしている。
「演奏する音楽に合わせて盛り付けを変えられるようになることは、わたくしも好ましく思います」
さらに意外だったのは、ラティラも料理に前向きだったことだ。彼女の、音楽に結び付けることによって幅広い分野で頑張れる精神はすごい。
あれからラティラの表情の陰りは鳴りを潜め、音楽一直線の、いつもと変わらない姿を見せてくれているのにはほっとしている。どのような心境の変化があったのかわたしにはわからないし、今さら助言などできるはずもないけれど、彼女が納得できる未来を選べたら良いなと思う。
それにしても――
「神殿では、ヨナの料理を食べるのですか?」
「お、興味ある?」
いや、
わたしが気になっているのは、スダ・サアレが食べさせてくれた――同時に醜態も晒してしまったが――、美味しいごはんなのだ。二人の言いかたでは、マカベとヨナの料理しかないように聞こえたのだが、どうなのだろう。
「それでは、魔術に関する講義を始めましょう」
しかしちょうど、教師が集まってしまったようだ。ならば料理の実習が始まるときでも良いかと、わたしはそれ以上追求するのをやめた。
魔法が神さまのための芸術の結果なら、魔術は精霊のための芸術の結果だ。神話にある通り、神さまの真似をしたがった精霊のために芸術をわかりやすくしたことが魔術の始まりだという。
「魔法と魔術の違いは、大きく二つあります。必要な魔力量と操作性です。披露する対象が神と精霊なのですから、当然の違いとも言えますね。とにかくそれゆえに、決まった動作をさせる魔道具には魔術が使われることが多いのです。皆さまも使う物で言えば、姿見に水瓶……それから招待客に渡す
なるほど確かに、それらの魔道具は触れるだけで動くし、光りはすれど魔力を使ったという感覚はない。魔道具を使うことで多少は操作しやすくなっているとはいえ、ヌテンレで魔力の色を変化させるときや、ケルテア――特に羽で飛行を制御するときの大変さを考えると、その違いがよくわかる。
クトィとテテ・クトィも、できることは大きく異なる。
左手に着けっぱなしにしている腕時計型の魔道具を見下ろした。クトィはあらゆる場面で地味な活躍をしているが、よそに招かれた際に渡されるテテ・クトィはその場の魔道具を使えるようになる、といった程度の効果しかない。
古い言葉で精霊を意味する「テテ」が付けられた魔道具は、既存の魔道具の効果に似せて作られた魔術の魔道具なのだ。
「ちなみに家の核であるラッドレは、テテ・ラッドレと繋ぐために魔術の要素も含まれていますけれど、基本的な構成は神殿にあるラッドレと同じです。この辺りの話は木の種をまくためのものですから、詳しくは最上級生で学びますが、覚えておくと良いでしょう」
……木の種をまく、か……。また厄介な話が出てきてしまった。できれば遠慮したいので、マクニ・オアモルへの練習をさらに頑張ることにして、頭の隅へ追いやってしまおう。
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