第106話 たしなみと志望職業(2)

 八の月が終わり、本格的に選択講義が始まった。わたしは予定通り手芸で、ラティラは文学、カフィナは木細工だ。

 それなりに知った仲で同じく手芸を選択していたのはシエネだった。彼女は服飾の設計師になりたいらしく、普段の講義と比べて嬉しそうに受けている。シエネに限らず、周囲には意欲的な子たちが多い。


「それぞれお家で練習してきたかたもいらっしゃるでしょうけれど、中級生が学ぶのはあくまでも基礎ですからね。魔法にはなりません。手芸による魔法を主とする予定ならば、ここでしっかり基礎を固めておくことが重要です」


 マカベにとって、芸術は神さまに楽しんでもらうもので、神さまのための芸術は魔法となる。美しい芸術を生み出すことでより難しい魔法を扱うことができる。汎用性と特殊性を持ち合わせた音楽と絵画・舞踊は必須だが、できるだけ得意な芸術を磨くほうが良いのだ。


 課題は布合わせというパッチワークに似た作品を作ることで、魔力を込めることでさまざまな色に染めた布と糸を使って縫っていく。

 初めは染めなければならない色の多さに尻込みしてしまったけれど、思ったより時間はかからなかった。「遅いほう」で済まされるくらいだ。魔法という面では、わたしも少しずつ成長していたらしい。帰るためには魔法が大事だから、嬉しい。


 いっぽうで縫物としての技術は散々だった。いったい、これのどこが「基礎」なのか。もはや刺繍というべき芸術的な縫い目を見て、そう思う。

 ……いや、音楽や絵画で求められた水準を考えれば確かに簡単なのだけれど。

 家庭科の授業を想像していたわたしが浅はかだった。切実にミシンが欲しい。布を繋ぎ合わせるだけなのに、こんなに複雑な縫いかたをする必要ないと思う。

 怪我をしてはいけないから針の扱いにも気をつけなければならないのだ。一応、針は魔道具なので、自分の魔力を込めておくと傷つかないようになっているらしいけれど。万が一を考えると本当かどうか試す気にはなれない。




 講義のあとは、講堂に残ってマクニ・オアモルヘの練習をしたり、資料室で調べものをしたりして過ごしている。

 どうにも必死になってしまうけれど、これまでマカベとして過ごしてきたわたしが「大丈夫、落ち着いて」と冷静にさせてくれるおかげで、空回りはしていない……と思う。なにより、ジオの土地にいるあいだに気づいたある事実に確信を持てたことは大きい。

 それに、ラティラやカフィナも――たまに、インダたちも――一緒にいてくれる。

 同じ音楽好きで、同じ空気感で、演奏をしたり話したりしているとこちらまで穏やかな気持ちになれた。最近は寝つきも良くなってきたくらいだ。本当に、彼女たちにはいつも助けられている。


 そういうわけで、今日も三人でマクニ・オアモルヘの楽譜とにらめっこ中だ。


「わたくし、明日はデリの土地のかたが招待してくれた披露会へ行ってきますね」

「あら、この時期に珍しいですね」

「普通は木立の日が近づいてからが多いのですよね? 練習でしょうか」

「それもあるかもしれませんけれど、親が音楽師の人たちの集まりなのです。志望する職業について、考えなくてはならないでしょう? わたくしは文官を目指しているので、同じようなかたがいれば情報交換をしたいなと思って」


 ふふっと笑うカフィナの髪がふわふわ揺れた。文官になると宣言してからの彼女はいつにもまして生き生きとしている。その可愛らしさにつられて笑い返したけれど、わたしのほうがよほど努力が足りないのだ。やらなければいけないことは、たくさんある。


「……そう、明日の準備をしておきたいと思っていたのでした。慌ただしくしてしまって申し訳ありませんが、今日はこれで失礼しますね。レイン様はまた夕食の席で会いましょう」


 美しくツスギエ布を揺らしながら講堂を出ていくカフィナを見送る。さてわたしも頑張らなくてはと思い、視線を戻す――と、カフィナが出ていったほうを、ラティラがぼうっと見続けていることに気づいた。


「ラティラ様?」

「えっ……あ、えぇ続けましょうか」

「あの、なにかありましたか?」


 ぼんやりするラティラも、焦ったように目を逸らすラティラも、珍しい。じっと見つめていると、いつもは静かな湖面のような瞳がわずかに揺れた。


「……ラティラ様?」

「いえ、なにもありません」


 気づいてしまえば、こんなにもわかりやすいのに。だけどわたしは、あと一歩、踏み込むことをためらってしまう。

 踏み込むべきではないのではないかと、考えてしまう。


「……そう、ですか」

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