第四章

第103話 夢は夢のまま(1)

 長い夢だった。


 わたしは日本にある自分の家で、キーボードを弾きながら歌っていた。

 生きていれば、楽しいことも辛いことも山ほどある。そういうのを全部、詰め込んで、放出する。

 楽しさを分かち合えるように。辛さを乗り越えていけるように。

 どこかで知らない誰かに伝わっていると信じていれば、それだけで心穏やかに生きていけた。自分を見失わないでいられるように思えた。「あまねはいつでも楽しそうだね」――事実とは異なる言葉を向けられても、へらりと笑っていられるくらいには、大丈夫・・・だった。


 動画投稿サイトへあげた音楽に、珍しくコメントがつく。


『声が普通すぎて印象薄い』


 ……うん、知っているよ。


『歌も演奏も下手だな』


 ……わかってる。マカベなら、子供でも同じくらいにできる。


 曲調が古い。伝えたいことがわからない。大して可愛くもないのに顔出しって、どれだけ自信があるんだよ。


「はは、手厳しいなぁ……」

『わかってた、ことだよね』

啓太けいた?」


 携帯電話から聞こえてくる恋人の声には、硬質な感情がわずかに滲んでいた。


『周はさ、音楽で食べていく気はなくて、それでも好きだから続けてるんだよね』

「うん、……いや、少し違う。本当は、音楽をちゃんとしていたい。だけどそれだけじゃ生きていけないから。だからちゃんと、仕事をしてる」

『ちゃんと、ね。よく周は、どこかで誰かに伝わっていればそれで良いって言うけど。そんな半端なちゃんと・・・・で、伝えられると思うんだ?』


 わかっている。わたしの「ちゃんと」は、ただ無難にやり過ごすためだけのものだ。でも、平凡な自分が、それでも好きなことをやるためには、こうするしかないではないか。

 だらだらと連なる思考たち。しかしそれを口にすることはない。

 そもそも現実の啓太にこんなことを言われたことはないのだから、ここで反論する意味なんてない。

 彼はいつだって、わたしを見守ってくれていた。ただ、なにも言わずに。


 ……嫌だな、どうしてこんな、否定的に考えてしまうのだろう。


「周? 啓太くんとはどうなの?」

「そうだぞ。いつ結婚するんだ」


 夢は終わらない。

 暗転とともに聞こえてきたのは、記憶にあるそれよりも少し年取ったような懐かしい声。思わず「お母さん、お父さん」と呟いた。

 じわりと温かさが胸に広がると同時に、じくじくした痛みが走る。


「え、と」


 暗闇が溶けぼんやり見えてきたのは、学生時代までを過ごした実家の居間と、呆れたような表情をした初老の男女。わたしの両親。やはり少し老けた気がする。


 ……それにしても、結婚、結婚かぁ。披露会で、十歳以上離れた子供たちからもその手の話題が上がるたび、わたしはうんざりしていた。

 啓太とはそのうち結婚するのだろうなと漠然と考えていたけれど、まだもう少しこのままでいたい。


「……そのうち。ちゃんと考える」

「音楽があるからか? もうやめたほうがいいんじゃないか」

「……え?」

「彼は音楽、しないんでしょう? もっと二人の時間を作りなさいよ」

「啓太も音楽のこと、み……認めてくれてるよ。今度は一緒にやろうって、思ってた、し……」


 両親の言葉が先ほどの啓太と重なり、どうしても声が揺れてしまう。


「お金だってちゃんと、貯めてる」

「はぁ、音楽なんてしていなければ、もっと貯められるだろう」

「本当にこの子ったら、昔から役に立たないことばっかり」

「自分が良ければそれで良いのか?」


 はたして彼らは、本当にわたしの両親なのだろうか。グサグサ言葉が胸に刺さる。音楽を続けることは、そんなに悪いことなのか。わからない。ただただ、痛くて、哀しくて、情けなかった。


「育ててやった恩を忘れるなんて」

「おかあ、さん?」

「役に立たないどころか、邪魔までしてるじゃないか」

「なん、邪魔なんか」


 違う。お母さんもお父さんも、そんなこと言わない。

 わたしは確かに平凡な人間だけれど、両親に迷惑をかけるようなこと、してこなかったはずだ。


 ……本当に? わたし・・・は、役立たずではないと、本当にそう言えるの? なにもできないくせに?


 乗っ取ってしまった、土の国の子。ヘスベすることで魔道具の一部となった小さな鳥。カフィナの青い左手。そして、火の海と化した、荒れた土地。

 流されるだけで、なにもできなかった。

 そんな自分が故郷へ帰ったとして、なにができる?


 わからない、わからない……。


 息苦しさに、眠りが浅くなっていく。

 意識が浮上しきる直前、幼い子供の声が頭に響いた。


 ――お前が、あたしを殺したんでしょ。




「……っはぁ」


 長くて、嫌な夢だ。

 帰りたい場所を、帰りづらい場所のように感じてしまう、ひどい夢。

 ぎゅっと寝具の端を握った。最近はこんな夢ばかり見る。いつ帰れるかわからないのに、わたしがあまりに望むから。


 ……両親をこんなにはっきり思い出せるの、すごく久しぶりなのに。むしろどうして今まで思い出さなかったのか、不思議なくらいで。


 両親。父と母。

 その単語から真っ先に連想するのは、白金の髪をした美しい人たち。マクニオスに来てから、血の繋がりがある二人より、彼らの印象ほうが強烈に刷り込まれていたらしい。

 彫刻のように無感情な表情のシルカル。儚いながらも、凛とした笑みを浮かべるヒィリカ。


「――っ!」


 脳裏に赤い花が浮かんだ。

 砂漠を彩る、美しくて残酷な花。

 焼け爛れ、抉れた皮膚と、そこから覗く、白い骨。砂にまみれた脂っぽい顔に、ギラギラ光る瞳が憎悪を乗せて睨んでくる。

 見てはいないはずなのに、夢の続きのようなそれに思考を奪われる。嗅いだこともないはずの異臭がして、酸っぱいものがせり上がるような感覚に喉を押さえた。身体を起こし、何度か唾を飲み込む。


 喉に触れた指先がひどく冷たい。

 わたしはしばらく、どくどくと生を主張する自分の鼓動を感じていた。

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