第102話 グンヌ視点 聖なる炎

「――グンヌ」

「ああ、見えている」


 ひとたびマクニオスの外へ出れば、大地は強烈な陽射しに照らされる。生き物が容易に生きられる場所ではなく、神の加護がないとはまさにこのこと。

 振り返り、青みがかった美しい森を視界に入れる。じわりと誇りが胸に広がった。

 同時に浮かぶのは、神のために生きることすらせずに加護を得ようとする者たち――招かれざる客への憐憫だ。


 ……ご丁寧に四方からの挨拶とは、恐れ入る。


 遠く西の地平線に見え始めた黒い影。ここスダの土地側だけでなく、それぞれの方角で同じような黒い影が見えているのだろう。サアレの情報通りならば、西と東のそれが大規模であるはずで。


「少なくとも、私たちが成人してからでは初めての規模だな」


 隣に浮かぶスダ・マカベの言葉に首肯する。

 木立の舎を出てからおよそ三十年、同い年の私たちは文官として、そしてこの気の置けない仲である友人がスダ・マカベとなってからは彼の右腕として、ともにスダの土地を導いてきた。そのあいだに招かれざる客をもてなした回数は片手では足りない。


 しかしマクニオスが彼らの訪問を許したことはない。それこそ長い歴史のなかで幾度となく繰り返されてきたことではあるが、ただの一度も。

 過酷な環境であるはずの、広大な砂漠の真ん中に存在する豊かな土地。

 圧倒的な技術力により絶えることなく資源を生み出すヨナと、美の追求により神の力の一端を扱うことのできるマカベ。そして両民族のあいだに立ち、神の創りし世界を維持する神殿クスト

 どれだけ財力のある国だろうと、軍事力に優れていようと、結果は決まっている。


 それでも来訪者がいなくならないのは、わずかにでもマクニオスの恵みにあずかれたらという下心のためか。

 よって少人数の精鋭部隊にほんの少しの隙を突こうとされるのが常なのだが。


 ……この大軍ともなれば維持するだけでも労力がかかる。意図があってのことなのだろうが……。


 なにが目的か、と疑問が湧くが、それを考えるのは私の役割ではない。

 私はフラルネにはめた魔法石の感触を確かめるように指でなぞった。ひんやりとした表面が心地良い。


 スダの土地の文官として、スダの土地のために私が動いていることは確かだ。

 しかし私には、真の役割である魔導師としての私には、それ以上に重要なことがあった。


 ――唯、マクニオスのために。




 コトリと音を立てて置かれた酒器に顔を上げると、いつの間にか自室に来ていたらしい妻のスッティが常より幾分か緩んだ笑顔を向けてきていた。

 澄んだ空のような瞳に混じる、非難めいた光に気づかぬふりをして、酒を口に含む。ヨナの主食だという穀物から作られた、穏やかな甘さと、水のような口当たりのやわらかさが特徴の酒だ。


「グンヌ様。またスダ・マカベに無茶を言ったのですか?」


 彼女の視線は先ほどから私の手もとに向けられている。私の趣味であり、本来の仕事と言っても過言ではない魔道具作成の最中であることがわかる、散らばった魔法石と舞踊の図案。

 普段は文官として働いているために、こういった魔工師の仕事が回ってくることはないが、もてなしの準備を指示された今は関係ないことだ。むしろ一介の魔工師には作れぬような代物なのだから、誰にも、それこそスダ・マカベにさえ文句を言わせるつもりはなかった。

 まぁ、スッティはすべて理解した上で「無茶」と言うのだろうが。


「……ふん、必要な事態になってからでは困るであろう。それにこのような時でなければろくに時間もとれぬ」

「あら、いつも隙を見ては作っているではありませんか」


 図らずもスダ・マカベと同じようなことをのたまった妻に息を吐く。スダ・マカベにも「普段から隠せていない」と言われたばかりなのだ。魔導師であることは隠せているのだから問題ないだろうに。


 魔導師。マクニオスの守護者。

 木立の者がマクニオスの根幹として中心に立ち、人々を導く存在であるとすれば、魔導師はその幹が倒れてしまわぬように強風を防ぐ存在だ。魔法によって悪意を撥ね除け、マクニオスの安寧を図る。なにを差し置いてもマクニオスそのものを優先するよう、神へと誓いを立てている。

 ゆえに魔導師という役職は秘匿され、存在を知っているのは、歴代の木立の者と、実際にその座についた者のみである。家族にも知らされることはないのだ。

 ヨナにも魔導師と似た役割を持つ者たちが存在しているらしいが、私はその面子も、仕事内容すら知らぬ。知る必要がない。


「アイナ様がおっしゃっていましたよ。近頃また、ラティラ様の音楽へののめり込み具合が増しているのですって」

「……私のせいではないだろう」


 まぁ、とわざとらしく驚いてみせた妻から目を逸らす。

 スダ・マカベの三人の子供のうち、上の二人は私の息子とも同年代だが、末子のラティラはかなり年が離れている。初めて会った当時、すでに成人近い兄姉のあいだにちょこんと行儀よく座るラティラは殊のほか可愛らしく、つい自作の魔道具を与え甘やかしてしまったのは確かだ。

 しかし、そのうちの一つであった音の出る玩具の魔道具を、執着ともいえるほどに彼女が気に入ったことは想定外だった。


 何故かそのまま懐かれた私がラティラの望むまま音楽に関係する魔道具を作成していたら、「そなたの、趣味に一直線な性格が娘にうつったではないか」とスダ・マカベから小言をもらったことは懐かしい。が、幼少期はともかく、木立の舎へ通いマカベとしての自覚も育っているだろう今の彼女にまで影響を与え続けていると思われるのは心外である。


「近頃というならばジオ・マカベのところの新しい娘が原因なのではないか?」


 わざわざジオ・マカベ夫妻が引き取ったと一時期大きな噂となった気立子はよほどヒィリカに気に入られたのであろう。実際に演奏や作曲の腕は素晴らしいと聞いているし、大好きな音楽をともに楽しめる友人がラティラにできたのなら喜ばしいことだ。


「否定はできませんわね。今年の音楽会では一緒に演奏していたようですし……。そういえば、今回はヒィリカ様がデリ・マカベのもとでおもてなしをされるのでしょう? ジオの土地はジオ・マカベだけで事足りるでしょうし、彼女がそちらへ行くなら安心感がありますね」

「……そうだな」


 例に漏れずスッティも魔導師のことを知らされていないが、私がただの文官でない――魔工師になりたかったという点は除いて――ことには薄々気づいているようだった。

 妻として一番近くで生活をしていればそれは当然のことで、しかしなにか言うわけでなく私が動きやすいよう配慮してくれる。今みたいに核心に触れるような発言も二人でいるときに限定する彼女は魔導師の配偶者にふさわしい。


 ……そもそも、あの音楽娘に関しては規格外がすぎるのだから核心もなにもないのだが。


 誰が見ても優秀な文官であり、音の神に愛されているとしか思えぬ音楽娘――ヒィリカも私と同じく魔導師だ。

 臨機応変に音楽と絵画を使い分け、招かれざる客を徹底的にもてなす・・・・彼女の力は、私を含めたほかの魔導師たちとは一線を画す。

 その差は優れた演奏技術によるものであるが、正確にいえば、演奏が神の御心に響いたことで得られた加護の多さが要因だ。


 魔導師に選ばれる第一の条件に、古代神の場所を象徴する四柱の神いずれかから加護を得ていることがある。

 デリの土地の神が生んだ火たるアグの火山。

 アグの土地の神が生んだ風たるスダの谷。

 スダの土地の神が生んだ水たるジオの泉。

 ジオの土地の神が生んだ土たるデリの洞窟。

 火の神、風の神、水の神、土の神。古代神の加護を得る方法が失われた現代において、この四柱の神々の加護がもっとも強いのだ。その四柱すべてから加護を得ているヒィリカ本人は、ただ音楽好きが高じただけだと微笑んでみせるのだから恐ろしい。

 ……土の神以外からの加護を得ている私ですら、魔導師になった当初は尊敬の目を向けられたというのに。


 とにかく、その規格外音楽娘が、スダの土地と同じく客人が多いと予想されているデリの土地へ向かうというならば、万に一つもないだろう。


 ――だが。

 私の胸にはちりちりと爆ぜるような痛みが生まれる。

 招かれざる客。彼らは国を変え、方法を変え、それでも必ずマクニオスに手を伸ばそうとする。その事実があるということに嫌悪が走る。

 ここがどのような場所であるか、知らぬはずはなかろうに。


「……こちらも、万に一つないようにせねばな」


 小さく吐いた酒精混じりの吐息には、確かな熱があった。




 弁えることもしない、できない客に対するもてなしはたった一つ、排除あるのみ。神のいる場所に、神のためにならぬ人間が立ち入ることがあってはならない。

 それでも美しい芸術によってもてなすのだから、彼らは光栄に思うべきだ。


 身体の中心にある軸に意識を向け、私はゆっくりと回転を始めた。

 両手にあるのは先日作成したばかりの魔道具。穴に風を通せば、ひゅうひゅうと涼しげな音が鳴る。

 ……気づいているだろうか。

 否。気づかれぬよう芸術師らの魔法に合わせた。


 マクニオスの西側に面している砂漠。そこへ、目には見えないほどのごくごく小さな水の粒が広がってゆく。

 まるで飛び回る芸術師が残していったかのように、風に揺られて。薄く、淡く。しかし確実に。


 私は両手を差し出すように前へ伸ばした。

 同時にスダ・マカベに合図を送り、すべてのマカベを私より後方へと戻させる。

 胸の奥、ちりちりと爆ぜる炎を呼び起こす。早く、早くと急かしてくるそれは、神のための祈りは、砂漠の中心で大きく花開いた。


 ……せめて、美しく散れ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る