第99話 わたしの懐郷(2)

 スダの土地に入ったあたりで夕灯があったが、わたしは飛び続けながら四つ灯のイョキを唱えた。少ししてスダの神殿が見えてきたので徐々に高度を下げていく。

 宵の薄暗さにも影で枝葉の形がはっきりわかるくらい近づいて、その上のほうに人影を見つけた。


 さらに近づいてみれば、人影はわたしの知る人物であり、こちらに手招きをしているようだとわかる。


「……スダ・サアレ」

「話は聞いている。とりあえず入れ」


 彼が立っている太い枝のすぐ後ろ、細く垂れ下がった枝がカーテンのように重なり、それを掻き分けると部屋の入口になっていた。


 視界に飛び込んできたのは、壁という壁を覆う大量の本棚だった。必要な家具や芸術品は揃えているから問題ないだろうと言わんばかりのそこには勿論、びっしりと本が詰まっている。

 彩度の低い青灰色でまとめられた内装には普通、落ち着きが感じられてもおかしくないだろうに、なんとも背表紙の圧が強い。


「これは……」

「私の部屋だ」


 シルカルは魔道具でない楽器をたくさん部屋に飾っていたし、シユリの部屋に招かれたときはあらゆる年代の詩集を見せられた。カフィナの家にはマクニオスだけでなくほかの国で流行している曲の楽譜まであるというし、マクニオスには収集癖のある人間が多いのだろうか。


 とにかくどうでも良いことを考えていたくて部屋を見回し始めたわたしに、スダ・サアレは胡散臭いものを見るかのような目を向けてきた。


「デリ・サアレはひどい顔色だからなんとかしろと言ってきたが……あー、まぁ、ひどい顔ではあるか」


 ひどい言い草である。

 むっとしながらも、促されるまま、窓際の椅子に腰掛けた。そこに僅かな違和感を覚えつつ、低い机にコトリと置かれたお茶に目をやる。湯気も結露も生じないそれは、マカベが好む、温めのものだ。


「ありがとうございます。……こちらはなんでしょうか?」


 横に添えられた紙束を見てわたしは首を傾げた。


「楽譜だ。好きなことでもしていれば少しは落ち着くだろう」


 そんなにひどい顔色かと不安になって頬に触れてみる――が、さすがに感触だけではわからない。それより――


「いえ、あの」

「ん?」


 座った窓際から、おそらく執務用なのであろう重厚な作りの机に目を向ける。わたしの視線を追ってスダ・サアレも振り返る。


 机の上に、明らかに「仕事の途中です」といった様子で大量の紙が散らばっていた。


「なにかお手伝いできることはありますか?」

「音楽にどっぷり浸かりに来たのではないのか」

「えっと」


 そういう言い訳を考えてこなかったわけではないが、さすがにこの状態を目にしながら演奏を楽しめるほど図々しくはない。要は気を紛れさせることができれば良いのだ。

 これでも一応OL。二年のブランクはあれど、子供の手伝い程度ならば役立つこともあるだろう。


「そうか。ならばこれを」


 できるのか、とは聞かれない。マクニオスでは小さな頃から親の仕事を見て、手伝いながら学ぶのが常識だ。大人のほうも子供ができる仕事を与えることに慣れている。

 スダ・サアレに「国ごとに分類を頼む」と渡された書類を見て、しかしわたしはギョッとした。


 ……これ、わたしが見ても大丈夫なの?


 驚くのも無理はないだろう。何故ならそれは、今回の招かれざる客に関する情報と、情報収集のために使った人や魔力や魔道具の一覧表だったからだ。つまり戦争の裏側に関する調査報告書と経費をまとめたもの。機密情報ではなかろうか。


「どうした?」

「……、いえ」


 同時に先ほど感じた不自然ななにかに気づく。「おもてなし」を見てから絶えず続いていた、ぐらぐらと不安定になっていた精神や感情。それがある種の指向性を持ち始めたことが違和感に繋がっていたのだと。

 むっとしたり、驚いたり。反射的な感情の起伏に、逆に心が落ち着いていく。

 それが彼の意図したことなのか、否か。


 紙を捲る音と、ヌテンレが紙の上を走る音だけが室内に響く。なにも考えることなく、わたしは黙々と分類作業を続けた。


「内容ごとにも分けてくれたのか……ん、使いやすいな」


 指示よりも細かく分類した書類のことか、わたしという手伝いのことか判然としないが、分類を終えた書類を渡すとスダ・サアレはパラパラと捲りながら鷹揚に頷いた。満足してもらえたようでなによりだ。


 外はもう真っ暗だった。このあとのことを考えていなかったなと自嘲していると、簡単な確認を終えたスダ・サアレが軽く曲げた指を顎に当てながら長い息を吐く。


「夕飯、食べていくか?」

「よろしいのですか?」

「あぁ。手伝ってもらった礼だ」


 ……手伝ったのは、わたしの現実逃避に手を貸してくれたことに対するお礼のようなものだったのだけど。

 それでもまだ匿ってくれるというのならありがたい。素直に甘えることにした。


 彼はいつも、地下の食堂ではなく、自分で料理をして自室で食べているらしい。講義での滞在時にも、そんなことを言っていた気がする。

 意外に思うが、マカベのなかでも忙しいシルカルでさえ普段からヒィリカとともに美しい料理を作ってくれるし、最初に泉から運んでくれたヨナも質素ではあったが手早く鍋を作っていた。マクニオスでは誰でも家事ができるというのが当たり前だ。


「この部屋にある本であれば好きに読んでも構わん」

「え、と。さっきの楽譜って……」


 ほかにもまだ本があるのかと驚きつつ、今度は遠慮なく好きなことを選ぶ。料理に関しては、木立の舎で習うまで手伝えることはない。


「気落ちしていても相変わらずだな」

「気落ちしているからこそです」


 最初はそちらから渡してくれたのに、なにを今更。

 ……マクニ・オアモルへの練習になるような曲はあるだろうか。そう思いながら、わたしはどっぷりと音楽に浸かった。

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