第96話 戦争という名の(3)
わたしとヒィリカはかなり高いところで停空していた。遠く東、地平線は平坦な砂漠がずっと続いていて、見える範囲に建物や森の影はない。
太陽の熱でゆらゆらと空気が揺れている。
天幕の前には三百人くらいの大人が男女別に並んでいた。彼らは皆、デリの土地の芸術師だという。
わたしたちと同じように空で待機している人もいて、こちらは男女二人組のところが多い。芸術師のなかでも音楽に特化した人たちらしく、アクゥギを出して音合わせをしていた。表情に乏しい砂漠が背景ではあるけれど、ずいぶんと和やかな準備である。
ちなみにヒィリカはというと、いつもの儚げな笑顔に、どこか憐れむような、それでいて達観するような光を瞳に乗せ、芸術師たちの準備や地平線を眺めていた。
彼女が音楽以外のことで強い意志を感じさせるのは珍しく、毅然とした姿に思わず見入ってしまう。
ふと、大地を揺るがす地鳴りのような音が聞こえてきた。
ハッとして目を凝らすと、東の地平線、砂煙を上げて広がる大きな影が。音も、影も、少しずつ大きくなって――近づいてきている。
影の正体が大勢の人間だとわかったとき、砲だろうか、筒状の物まで見えて、わたしの心臓は大きく跳ねた。
マカベが皆あの様子だったので、もしかしたらという期待があった。
が、単なる幻想にすぎなかったようだ。
両者のあいだ、真ん中くらい。
突然、砂が激しく舞った。続けて聞こえてくる強い衝撃音。
薄れた煙の隙間から見えたのは、大きくえぐれた穴。砕け散った岩。原因は明白だ。ゾワリと身体に緊張が走る。
招かれざる客は来てしまった。人間の身体など簡単に吹き飛ばしてしまうであろう、兵器を持って。
それは紛れもなく、戦争の始まりだった。
「大丈夫。ここまで届くことはありませんよ。そもそも逆光で見えないでしょうし」
肉眼でも見えるのだから射程圏内に入っていてもおかしくない。あれがこちらに向けられたらと思うとぞっとする。
それでも大丈夫、大丈夫だと、ヒィリカの言葉を反芻した。真昼を過ぎた太陽がわたしの背中を照らしている。だからそう、大丈夫。
震えが止まってくれない。自分で自分を抱きしめて、羽に魔力を流すことに集中する。
顔は笑みを形づくったまま。それが心底不思議だった。収まる気配のない恐怖心は、こんなにも身体を支配しているというのに。だけど大丈夫、ちゃんと笑えている。
と、地上のデリ・マカベがいる辺りからワイムッフが一斉に飛び立った。わたしたちのところへも一羽やってくる。
ヒィリカが手を伸ばしたが紙にはならない。
わたしは首を傾げ、ヒィリカは納得したように出した手を引っ込めた。小さな鳥が翼をはためかせながらくちばしを開く。
『始めなさい』
つかの間の静寂に、デリ・マカベの声が重く響く。
瞬間、散らばっていた音楽師たちがアクゥギを弾き始めた。ファンファーレのような、高らかに響く旋律。
さすがというべきか、音楽師どうしはかなり離れているのに音の粒がしっかり揃っている。音が伝わる速ささえも考慮された演奏技法だ。それに魔道具を使っているのだろう。かなりの大音量である。
空気を震わせるその音に、牽制のつもりか、大砲が次々と撃ち込まれる。着弾位置が徐々に近づいていることから、まだ射程圏外なのだとわかる。だけど、だからこそ、恐ろしい。
音の奔流のなかを地上で待機していた芸術師が飛び回っていた。
男性は舞い踊り、女性は宙に絵を描く。軌跡に光の線が残る。
彼らのなかには前のほうまで出ていく者もいて、下手をすれば大砲に当たってしまうのではないかとひやひやする。
しかしそれは杞憂であった。わずかに届くかと思われた瞬間、黒光りする弾は強い風に阻まれた。
……魔法だ。
踊りが、絵が、歌が。すべてがひとつになって、砲撃からマクニオスを守る。
強烈な陽射しにも負けぬ魔力の輝きがあたりに満ちていた。飛来する大砲がなければ、とても戦場とは思えないような光景。
やがて大砲だけでなく、矢や、よくわからない武器まで飛んでくるようになった。そのすべてが光の糸に絡め取られ、風に
それでも向かってくることをやめない、攻撃の手をとめない招かれざる客に、わたしは恐怖した。
『――ヒィリカ』
名指しの声に、呼ばれた本人は腰のフラルネに触れた。腕の中に彼女のアクゥギが現れる。
いつか見た、美しき神さまに似た微笑みを浮かべて。
「これだけでは、ご満足いただけなかったようですね」
どこか楽しそうに呟くと、ヒィリカはおもむろにうたいだした。
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