第95話 戦争という名の(2)

 プツリと途切れた青い森と、その先に広がる岩と砂の世界。突如として視界に飛び込んできた砂漠の地面は、ところどころがひび割れていた。

 景色の変化と同時に、ある種の圧迫感が身体を包む。それはザラザラと砂っぽい空気やジリジリと強烈な陽射しによるもので、纏った風も意味をなさずに皮膚が擦られる。ぶわりと汗が噴き出してはすぐに蒸発していった。

 生き物の気配は感じられず、木どころか草すらほとんど生えていない。日本の夏のようなじめじめした空気とは異なる、呼吸のたびに肺が焼けたと錯覚する乾ききった熱気。それが同じく乾いた砂を吹き上げる様子には、荒れた土地という言葉がふさわしく思えた。


「レイン、風を重ねなさいな。このように……」

「わかりました」


 ヒィリカに手本を見せてもらいながら、ヌテンレで風を纏うキッハをいくつか描いていく。風が分厚くなるにつれ息も軽くなった。

 改めて辺りを見回して、少し離れたところに人の集団を見つける。ヒィリカはそこへ向かおうとしているようだ。


 彼女のあとを追いながら、わたしは後ろを振り返った。

 まるでコンパスによって線を引かれたみたいに、その内側だけで育つ豊かな森。広大な砂漠がひどく過酷な環境であることを知ってしまえば、マクニオスの異様さが際立って見えた。まさに奇跡の楽園。神さまに守られた土地。


「ヒィリカ、こちらだ」


 集団に近づくとヒィリカを呼ぶ声がして、そちらを見ると、マカベのなかでは比較的体格が良いと言える壮年の男性が手招きをしていた。

 彼が立っているのは大きな青い絨毯の上で、なにも言われなかったのでわたしもヒィリカに続いて降り立つ。慌ただしさは感じないが、流れるような動きで舟から様々な魔道具を取り出しては準備を進めているのはデリの文官だ。その中心で指示を出しているのが誰かなど、言うまでもない。


「お待たせいたしました、デリ・マカベ」

「いや、こちらの要請だ。準備には参加せずとも構わぬ。……下の娘か?」


 デリ・マカベの視線とヒィリカの手に促され、初対面の挨拶をする。


「初めまして、デリ・マカベ。ジオ・マカベとヒィリカの娘、レインです。このおもてなし、お母様とともにあることをお許しください」

「デリ・マカベだ。彼女のもてなしは素晴らしいのでよく学ぶと良い。……正直なところ、ジオ・マカベとくっつけておくと過剰だからな。こちらへ来てもらえて助かった」


 あら、とヒィリカが楽しそうに笑う。少なくとも十歳くらいは離れていそうだが、それなりに気心の知れた仲らしい。


 軽く雑談を交わしているあいだに、家くらいの大きさの木が一本、それより二回りほど大きな木が三本、にょきにょきと育っていた。枝の付きかたは針葉樹と似ており、幹の剥き出し部分が短いので天幕のように見える。デリ・マカベに案内されるまま小さいほうへ。

 中は完全に天幕だった。円錐状の空間は部屋のように整えられていて、控えめに飾られた内装は品が良い。

 用意されていた席に座ると、ちょうどワイムッフが飛んでくる。金色に光る小さな鳥はデリ・マカベの手の中で紙に変化した。


「長引くようならと拠点を作ることにしたのだが……不要だったかもしれぬな」




 届いたワイムッフを読んだデリ・マカベの発言からすぐに始まるのかと身構えていたわたしだったが、何故か今、天幕の中でのんびりと昼食をとっている。

 場所はともかくとして、食事の内容はいつも通りだ。肉の丸焼きと魚の煮付け、それからサラダ。生け花のような美しく躍動感のある盛り付け。……いや、序列が違うので食材の質が少し悪いか――と、そういう話ではない。


 非常時であるはずなのに、皆が皆、落ち着いていて怖いのだ。感想を言い合うことが余計億劫に感じる。

 穏やかすぎる空気に耐えきれず、わたしは小声でヒィリカに訊ねた。


「あの、お母様。こんなふうにのんびりしていて良いのでしょうか」

「そうでした。レインには披露会の準備の経験しかありませんものね」

「……え?」


 どうして披露会の話になるのだろう。一瞬、「おもてなし」になぞらえて婉曲に表現しているのだろうと思ったけれど、それにしては含みを感じられない。本当に披露会のことを話しているようだ。普段通りにもほどがある。


「披露会は、主催者が準備をして、お客様に来ていただくでしょう? ですからできるだけ美しい時間を堪能していただけるよう、そして不快な思いをさせてしまうことがないよう、細心の注意を払う必要があります。わたくしはいつもそう言っていますね?」

「……はい」

「けれど今は違います。彼らをわたくしたちはお呼びしていません。それでもマクニオスの美しさをお見せする準備はしっかり整えてきたのです。これ以上、なにをすることがありましょう?」


 招かれざる客には相応のおもてなしをしてさっさと帰ってもらおうということなのだろうが、わたしには今ひとつ納得しきれないものがあった。

 腹の底で、なにかが燻っているかのような。

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