第94話 戦争という名の(1)

 どうやら、戦争という概念はマクニオスにも存在するらしい。

 普段の豊かで穏やかな生活からは想像できないような話だが、砂漠の真ん中にありながら豊かな土地を持つマクニオスが狙われることは少なくないのだという。

 ……もっとも、その単語は誰も使っていない。彼らがどのように認識しているかはわからないけれど、木立の者が土地の人々に知らせたのは「招かれざる客をもてなす準備をするように」ということだけだった。


「レイン。今回のおもてなしには、わたくしに同行してもらいます」

「……なにをするのですか?」

「本当は音楽を披露したいのですけれど……絵画が主になりそうですね」

「え?」


 駄洒落ではない。単純に、戦争と芸術の披露が結びつかなかったのだ。「おもてなし」という言葉を額面通りに受け取らなかったからこそである。


「あなたも音楽のほうがお好きでしょう? その気持ちはよくわかります。けれど、よその国の皆様にマクニオスの美しさを伝えるためには、絵画も大事なのですよ」


 まさか芸術の美しさで改心させようというわけではないだろう、それともこれからあるのは芸術の祭典であり、催し物への参加を「参戦」と表現することもあるし、進軍というのはそういう意味だったか――と思考が逸れかけたところで気づく。すぐに思い至らなかったことからもわたしの混乱具合が知れよう。


「魔法、ですか」


 ヒィリカは笑顔で肯定を示した。

 それからはとにかく絵画の練習だ。二人してちらちらと楽譜のしまってある棚を見ながら黙々と作業を進めていく。


 わたしはなるべくこれからのことを考えないようにした。

 子供や、今回の「おもてなし」に参加しない人の多くは今、木立の舎で生活しているのだ。シユリとルシヴもそちらへ向かった。それなのにわたしがこうしてジオの土地にある家で準備をしているということは、つまりそういうこと。

 ヒィリカは「よその国の皆様にマクニオスの美しさを伝える」と言った。それも彼女自身も披露するというような言いかたで。

 ならば彼女が魔法を使う場所など限られている。


 あの使者が来た日からずっと、心が静かにざわついていた。


 戦争というものをわたしは知らない。

 知識として、その恐ろしさは知っている。けれどそれだけだ。正しく理解しているとはとても言えない。どこか遠くに感じてしまうもので、卑怯な言いかたをすれば絶対に身の周りで起こって欲しくなくて、強い嫌悪感を覚えるもの。

 そんなわたしにできるのは、恐怖心から目を逸らすことだけだった。

 真剣に、しかし余裕を感じさせるヒィリカたちの姿が見栄を張っているわけではないと、信じるだけ。


 弱くてけっこう。でなければ平常心を保てなくなる。

 攻めてくる国がどのような武器を、どのような魔法を使ってくるのか、わからない。だからわたしは怖がらない。そういう感情はすべて心の奥底に詰めて、蓋をしてしまえば良いのだ。日本にいたときから得意だった、笑顔で。




 ヴュウゥゥ……。


 まだ昼灯には早いだろうという時間。部屋でアクゥギを弾いていると、四つ灯の音よりもずっと高音で唸る音が聞こえてきた。風のような、笛のような、ヒュウと空気の鳴る音も混じっているようだ。

 不思議に思って窓の外、神殿を見てみる。

 ……銀色の光?

 光ってはいるけれど、いつもの、ジオの土地の色である赤と金ではない。金と銀だけ。様子がおかしい。


 と、扉の向こうで細い鐘の音が鳴らされたのでアクゥギをしまい扉を開けた。そこにいたヒィリカの姿に、変な音の意味を理解する。出発だ。


 招かれざる客は全方向からやってくる、という情報を聞いて、わたしはてっきり南へ向かうものだと思っていたが、ヒィリカはデリの土地――東側へ行くらしい。

 彼女はフラルネにはめた魔法石の最終確認を終え、「ではまいりましょうか」と微笑んだ。


 キッハで風を纏えば美しいままに速度を出せる。初中級生が終わってジオの土地に戻ってくるときにも思ったけれど、魔力を込めた全速力の羽だとあっという間だ。マクニオスへ来たばかりのとき、ジオの泉から丸一日かけて家まで移動したことが懐かしい。


 ジオの土地を囲む森を抜けてデリの土地に入ると、眼下の景色はパッと青みがかった色に切り替わる。

 マクニオス中心との境より土地どうしの境のほうがはっきりしていて面白い。今よりも上空から全体を見下ろすことがあれば、きっと赤と青が交互になって、四葉のクローバーみたく並んで見えるのだろう。


 それから少しして、外縁の森に着く。

 どこかに古代神の場所である洞窟があるはずだが、上からではわからなかった。さらに東へ飛び続ける。


「――わっ」


 予期せぬ変化に間抜けな声が出てしまう。先導してくれるヒィリカのあとを、なにも考えず、下の森ばかりを見て飛んでいたからだ。


 初めてマクニオスの外へ出て、その景色に、感覚に、わたしは目を剥いた。

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