第85話 マクニ・オアモルヘ(1)
「わたくし、あれからとてもすっきりしたのです」
「カフィナ様?」
木立の日が明ける夜。新年の儀のために陽だまり部屋へ向かう途中で、カフィナはふふ、と笑みを溢しながらわたしにだけ聞こえる声量で呟いた。
「レイン様のように涙を流すことが大事だと言い切ることはできませんけれど、あのように不安だけを感じる必要はないのだと理解しました。レイン様もラティラ様も仲良くしてくださいますし、難しく思っていたことを簡単に考えられるよう教えてくださいます。成人までにまだ時間はあるのですから、少しずつ頑張ることにいたしました」
そう言って笑えるカフィナは強い。ふわりとしたぬいぐるみのような印象は出会ったころから変わらないのに、芯がしっかりしているところに好感が持てる。彼女を守らねばという気持ちと、近い将来マクニオスを去ろうとしている自分の意志に、じわりと罪悪感がにじんだ。
気が重いような、無意識に考えすぎないよう核心に触れられずにいるような、そんなモヤモヤとともに。
新年の儀は去年と同じようにシルカルが仕切って進めていく。今年のジオ・マカベも引き続きシルカルが担い、序列も変わらないままだ。
しかし、彼の次の言葉に陽だまり部屋がざわりとする。
「それから、アグ・マカベが交替した。新しいアグ・マカベはティテルだ」
同級生なのか、シルカルやヒィリカと同年代と思われる大人たちが驚いたように周囲の人たちと話している。なんとなく聞こえてきたのは、ティテルという人物がマカベになるのは意外だということと、その年齢で新しくマカベに選ばれるのは珍しいということだった。
わたしは前のアグ・マカベと面識がないのでなんの感慨もない。ただ、ヒィリカが探るような広い視線で周囲の反応を見ていたことが気になった。
木立の日のあいだ、わたしとカフィナ――披露会で一緒のときはラティラも――がいつも通り仲良く出歩いていたことが功を奏したのか、周囲の子供たちの視線も講義が始まるころには幾分か和らいでいた。
といってもわたしに近づくのはまだ怖いようで、傍にいるのはカフィナとラティラ、それからインダと、同じくデリのキナリであるユヘルだけだ。披露会で知り合った彼は、わたしとインダのやり取りを面白そうに眺めていて、理解しているならとめて欲しいと睨んでしまいそうになる。
……特に、子供や教師が増えてくると、わざとらしく表情を引き締めるところとか。
「――神殿で、神と繋がるということがどういうことか、皆様は知ったでしょう」
ウェファの言葉に、子供たちが大きく頷いた。万感の思いがこもっている。どの土地でもとんでもないものを見せられたに違いない。
「神と繋がることができるということは、神に美しさを認められた、ということにほかなりません。また、ご加護を賜ることができれば、それだけ魔法も使いやすくなるのです」
繋がりができれば芸術が届きやすくなるからだそうだ。特にマカベに近い文官を目指す者は加護があるほうが有利なため、成人までにできるようにしておくと良いらしい。
なにを? そう――
「ということで、今年から少しずつ、マクニ・オアモルヘの練習をしていただきます」
……ついに。
ごくりと唾を飲み込む。ついに日本へ帰るための第一歩を踏み出せるのだ。なんだかそわそわしてしまう。
両隣に座るラティラとカフィナもどことなく落ち着きがない。カフィナは文官を目指すため、ラティラはおそらく……難しそうな曲を演奏できるのが楽しみなのだろう。
「講義で扱うマクァヌゥゼは音の神と繋がるためのものです。わたくしたちは音楽と触れ合う機会が多く、繋がりやすいからです。このあと楽譜を配りますから、よく練習するようにしてくださいね」
「ウェファ先生」
「どうぞ」
スダの土地の男の子が挙手をした。ウェファの許可に「恐れ入ります」と言って丁寧な所作でシャンと男性の礼をとる。
「マクニ・オアモルヘは、講義中にしなければいけないのでしょうか。……その、講義のあいだだけでできるとは限らないので」
「えぇ、そうですね。簡単にできるものではございません。ですからどちらで練習しても構いませんし、完成の状態まで持っていくのも良いでしょう。ただ……」
なにか条件があるのだろうか。そんなふうに思っていると、ウェファは少しだけ楽しそうに目もとを緩めた。
「
成人してから完成させる人もみんな、わざわざマクニオスの木まで出向いてマクニ・オアモルへをするらしい。いくら家の近くにあるとはいっても、神殿で、あのサアレの前で演奏しようと考える猛者はいないのだろう。
それにしても、別にマクニ・オアモルへができなくても仕方がないみたいな言いかただ。考えてみればあの超絶技巧の早口賛美歌はとても難しそうだし、そもそもシルカルは「成人でも難易度の高い曲だ」と言っていた気がする。
わたしとしては「みんなで頑張ろう」という雰囲気になってくれるほうがありがたいのだけど……なんて考えていたら。
……わたし、見られている?
気のせいではない。なぜなら、教師の話を聞いていたはずの両隣のお友達とばっちり目が合ったからだ。
子供たちの視線に気づいて――というより彼女もわたしを気にしていたのかもしれない――、ウェファが小さく息を吐いた。
「レイン様。あなたはジオの泉からいらっしゃったようですけれど、とうにマカベの一員なのです。神に呼ばれたならともかく、ご自分から古代神の場所へ向かうような、無礼を働いてはなりませんよ」
あぁ、あそこは古代神の場所だったのか、とか、そんなこと思いつきもしなかったのに、とか、それ以前の話。
……古代神の場所へ勝手に行くのが無礼? なら、神さまにあの態度だったスダ・サアレは?
スダの神殿へ行っていた子供たちがみな等しく微妙な表情だ。わたしの感想は間違っていないと思う。
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