第82話 カフィナの回復と噂立つ披露会(1)

 十二の月の最終日、講義を終えたわたしはカフィナが普通に生活できるほどに回復したと知らせを受けて彼女の部屋へ向かった。

 カフィナはもうわたしの顔も見たくないかもしれないけれど、謝罪しないわけにはいかない。


 並ぶ扉にはめられた乳白色の石のひとつに「初中級生・カフィナ」という文字を見つけ、それに軽く触れる。

 扉の向こうでチリリンと細い鐘の音が鳴った。


「レイン様?」


 驚いたように目を丸くさせたカフィナの顔色は良くなっていて、彼女に促されるまま部屋に入る。内心はどうあれ、付近の部屋の人たちに聞かれる可能性がある入口で話すわけにはいかないのだ。


 扉が閉まった瞬間、わたしは挨拶をするときのように両手を胸の前で重ね、それから深く深く膝を曲げた。謝罪の姿勢だ。


「カフィナ様、本当に――」

「レイン様」


 ごめんなさい。そう言おうとして、カフィナに遮られた。

 にこにこと微笑む姿はいつも通りに見えるけれど、やはり怒っているのだろう。当然だと思う。


「わたくし、レイン様の謝罪を受け取るつもりはありません」

「そう、ですね」

「えぇ。……え?」


 わかっている。これではただの謝罪の押し付けだ。わたしはそういうことをしたいわけではない。だが、どうすればそれが伝わるだろうか。それを伝えることすら、押し付けになってしまうだろうか。


「謝って楽になろうなど、そんなおこがましいこと、するつもりではないのです。だから……」

「えっと、レイン様?」


 戸惑ったような声に意識をカフィナに戻す。彼女はふわりと髪を揺らしながら首を傾げていた。

 その様子があまりにいつも通りで、だからこそおかしいと思って同じように首を傾げた。するとカフィナがなにかに気づいたようにクスリと笑う。


「違いますよ、レイン様。わたくしは許さないと言っているのではなく、そもそもレイン様は謝る必要がないと言っているのです」

「え……どういうことですか? だって、わたしはカフィナ様を危険に晒しましたし、その左手だって……」


 視線を下げると、青く光る左手が見える。彼女自身が元気になっても手は魔法石になったままだ。これはもう、戻らないらしい。


「レイン様はこのわたくしの手、どのように思いますか?」

「どのように、って……。痛そうですし、申し訳なさでいっぱいで……」

「そうではありませんよ。この手の、色です」


 どうしてこんなに明るい口調なのかわからず、わたしは訊ねられるままに差し出されたカフィナの左手を見る。


 近くで見ると、手首から先だけでなく、長袖に隠れた肘の辺りから魔法石に変化していることがわかった。白い服がぼんやり透けて光っている。

 色だけをみれば、透き通る薄青色のそれはラティラの瞳と同じ色で綺麗だ。それに合わせて纏っているらしい銀色のツスギエ布は、左手の青い光を受けて水面のような輝きを見せていた。


 だんだん食事のときみたくなってきた感想に、カフィナは満足そうに頷く。


「そうです。わたくし、この腕が綺麗だと思いました」

「――っ!」


 ……なんという子だろう。わたしの行いを不問に付し、あまつさえその結果もたらされた自身の腕の変化を好意的に捉えるなんて。

 呆然としているわたしの前で、カフィナはさらに続ける。


「それにほら。今までと同じように動かせます。まったく支障がないのですよ」


 彼女は楽しそうにアクゥギを弾いてみせる。確かに手は滑らかに動いていて、その点においては問題なさそうだ。が、この見た目で支障がないわけではなかろうに、なぜ平然としていられるのか。


「憧れのラティラ様と同じ色を常に纏うことができるのですから、どちらかと言えば喜ばしいことなのです。……その、動かなくなっていたら、もしかすると、心のなかでは少しだけレイン様をお恨みしていたかもしれませんけれど」


 茶目っ気たっぷりに微笑んだ彼女の言葉は本音らしく、そしてわたしに対する気遣いに溢れていた。

 そんな彼女に謝ることは許されないだろう。矜持すら傷つけることになる。


「……ありがとうございます。でも、ほんの少しでも違和感があったなら、絶対に言ってくださいね。それから困ったことがあったときも。わたし、できることならなんでもしますから」


 このように人の形のまま魔法石になることなど普通はないと教師は言っていた。これからの彼女は好奇の視線に晒され続ける可能性が高い。わたしはできるだけその視線からカフィナを守りたいのだ。

 そう伝えると、パッと彼女の表情が華やいだ。


「ではっ!」


 カフィナの両手がわたしの右手を掴む。手の甲に当たるのは硬いようなやわらかいような不思議な感触だ。それでも包み込むように触れた手がどちらも同じ体温であることに、わたしは少しだけ安堵した。


「音楽会で、レイン様とラティラ様、そしてわたくしの三人が一緒に演奏できる曲を作ってくださいませ!」

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