第80話 カフィナは哀しい(2)

 文官になりたいという言葉とカフィナの表情にどのような関係があるのかわからなくて、詳しく聞いてみることにした。まとめると、こういうことだ。


 カフィナはわたしやラティラと仲良くするなかで、将来は木立の者に近い文官として働いて三人の繋がりが切れないようにしたいと考えていた。

 文官は魔法が上手でなければなれないし、木立の者に近い文官となれば芸術そのものの実力や人をまとめる能力も問われる。そのためには木立の舎で優秀な成績を修める必要があるのだ。大好きな音楽は勿論のこと、あまり得意でない絵画や今後必要になるであろう芸術の練習もしていたらしい。

 しかし、アグの神殿に行くと自分には足りないものだらけであることがわかり、さらには優秀すぎるアグ・サアレが「これでもクストになるにはまだまだ足りない」と発言していたことで、彼女はすっかり自信を失くしてしまった。


「わたくしはレイン様やカフィナ様に釣り合う人間になりたいのです。けれど、わたくしにはその資格なんて少しもありませんでした。文官どころか、お母様のように素晴らしい音楽師としてだって……わたくし、本当にマカベとして成人できるのか心配でなりません」


 ……やはり、サアレは曲者だ。

 アグ・サアレを知らないから謙遜なのか本心なのか判断できないが、少なくともスダ・サアレと近い実力を持っているはずである。純粋な子供ならば、高すぎる目標に心が折れてしまうことだってあるだろう。

 考えてみれば、スダ・サアレは傲慢な見せかたをしていたという違いはあれ、同じようなことをしていたではないか。あれが神殿に対して畏怖の念を抱かせるためのものだとしたら、前言撤回。厳しすぎるというより、性格が悪い。


「そんなことを言ったらわたしも同じですよ。わたし、音楽しか取り柄がありませんから」

「レイン様?」

「神殿でも、スダ・サアレに『音楽技術を鍛えるより先にマカベとして覚えるべきことがたくさんある』と叱られてしまいましたし」


 すぐ音楽に逃げようとするわたしに比べたら、カフィナはものすごく頑張っている。

 だけど、美しさがなによりも重要なこの世界で、それが慰めになるとはわたしも思っていない。確実に将来に響くわけだから、不安にもなるだうし、哀しいものは哀しいだろう。

 なんとか笑おうとして失敗しているカフィナを見ると、心が痛む。


 それならばと、わたしは別方面から慰めることにした。

 学生のときも社会人になってからも、よくこうして後輩をなぐさめていたものだ。


「でも、そうですね……哀しいときは、一度泣いてしまいましょう。すっきりしますよ。泣くことは美しくないと言われていますけれど、わたしは大事なことだと思っています」

「……な、泣いても、良いのですか?」

「勿論です。ここにはわたししかいませんし、わたしは誰にも言いません」


 まだ十歳の女の子がこのような表情をして良いはずがない。常識が違うのだからこれが当たり前だと言われればそれまでだが、子供は子供だし、実際に哀しんでいることは確かなのだ。


 じっと見つめていると、カフィナのこわばった笑顔が歪み、その瞳にぷくりと涙が盛り上がった。すぐにぽたりぽたりと頬を流れ落ちる。

 マカベは感情を隠すことに長けているはずなのに、こんなにも早く溢れてくるなんて。

 彼女の不安がこちらにも伝わってくる。わたしの心も落ち着かない。共感しかできないけれど、今は、それだけでも。


 ……可哀想に。

 わたしは知らず、カフィナのふわりと揺れる金髪を撫でていた。口からは抑えきれなかった嗚咽が漏れ、ぎゅっと握られた手が震えている。とても苦しそうだ。息をするのもやっとのようで――。


 ……え? 苦しそう?


「カフィナ様?」


 なにか様子がおかしい。

 哀しみを吐き出しているからとか、泣きすぎて過呼吸になっているとか、そういうわけではなく、ただ純粋に苦しそうにしていた。


「ぅ……っ、くっ」

「カフィナ様! 大丈夫ですか⁉」

「ま、りょくが……」

「魔力?」


 はっとして彼女から身体を少し離すと、ツスギエ布が淡く光っていた。魔力が溢れているのだ。

 どうしたら良いのだろう。魔力をどかせば、苦しくなくなるだろうか。

 そう思いついて魔力を動かす歌をうたってみる。だけど、なにも変わらない。わたしに彼女の魔力は動かせない。


 わたしはただ、「大丈夫です」と声をかけながらカフィナの左手を握り、反対の手で背中をさすってやることしかできなかった。

 彼女の震えはどんどんひどくなっていき、その顔からは血の気が引いて真っ白だ。

 本当、なにが大丈夫だというのだろう。


「――なにをしているのですかっ⁉」


 そのとき、木立の舎のほうから大人の声がした。振り向くと、ウェファを先頭に教師が数人、飛んでくるのが見える。


「カフィナ様が!」


 叫び返した次の瞬間には教師たちが到着して、わたしはあっという間にカフィナから引きはがされた。その勢いにつんのめりそうになりながら見上げれば、わたしの手を引いたデジトアが身体ごとこちらに向き直る。


「レイン、なにをした」


 底光りする瞳には怒りの感情が透けて見えていた。それなのに平坦な口調が怖くて、ひゅっと息が吸い込まれる。


「もう一度訊く。そなたは、なにをした?」


 わずかに低くなったデジトアの声。わたしは言葉を発するため、恐怖で震えはじめたお腹にぐっと力を入れた。

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