第79話 カフィナは哀しい(1)

 三月みつきの神殿滞在が終了した。


 振り返ってみると色々な意味で濃い時間だった。

 音楽のことも、マクニオスのことも知れた。帰るための魔法にも近づいた。ずっと木立の舎にいただけなら、こうはいかなかったに違いない。

 スダ・サアレの言うことは辛辣かつ直接的だ。正直、十歳の子供に向けるものとしては厳しすぎると思う。

 それでも、子供のため、マクニオスのためであることはよくわかったし、彼のはっきりした物言いに、心のどこかで安心しているわたしがいた。それが故郷を思い出させるからか、はたまた別の理由からかは、わからないけれど。


 課題に関しては特に何事もなく――今度はおかしなことにならなかった。基準がよくわからない――合格をもらえたし、ほかの子供たちも苦戦しつつ砂漠を表現した芸術をしっかり生み出していた。


 ……でもまぁ、いちばん印象的だったのは「これが私の思う砂漠だ」という言葉とともにスダ・サアレが見せてくれたディル・マクニ・トウェッハだろう。

 なんというか、わたしが表現したいと思っていた「静かで孤独な美しさ」そのものだったのだ。悔しいと思う余地すらなかった。そのくらい、圧倒的な技術力と表現力であった。

 あれのおかげで、わたしの想定外な魔法の印象が薄れたと言っても良い。


 十二の月の最終週にはティチェとヴァヅが迎えに来てくれて、行きと同じように彼らの先導で木立の舎へと帰る。

 この日は移動時間で潰れるため帰還報告をして終了だ。講堂にはほかの土地の神殿へ行っていた懐かしい顔ぶれが揃っていた。


「レイン様、カフィナ様、お久し振りです。課題を終えてからはずっと、お二人に会えることを楽しみにしておりました」


 スダ・サアレのもとにいるのはそれなりに居心地が良かったが、なんだかんだ長い時間をともに過ごしてきたカフィナやラティラに会うと肩の力が抜けたのがわかる。わたしは本心から二人との再会を喜んだ。


「わたしも楽しみにしていましたよ。音楽の勉強はできましたけれど、演奏をする機会はぐんと減ってしまいましたし……」

「わ、わたくしもです……!」

「今年からは木立の日にほかの土地のかたも呼べるでしょう? わたくしのお母様が開催する披露会に招待してもよろしいですか?」

「ぜひ。ラティラ様のお母様も音楽がお好きなのですか?」

「えぇ、わたくし、レイン様の音楽を演奏して欲しいと、よくねだられるのですよ」

「嬉しいです。それなら新しい曲の楽譜をお持ちしますね」


 帰るため、そして心の平穏を保つために音楽のことを考えているわたし、隙あらば演奏したがるラティラ、音楽に関わるものならなんでも好きなカフィナ。わたしたちは三人でいることで自分の欲を満たすことができる。とても良い関係だ。


「あ、あの。……わたくしも、招待いただいて良いのですか?」

「あなたがいらっしゃらなくてどうするのですか、カフィナ様。美しい音楽と美味しい料理を用意してお待ちしております」


 初中級生からは、音楽会や披露会などで正式に大人と混ざって芸術をたしなむことを許される。ラティラは来週からはじまる木立の日にスダの林で開催される披露会に招待すると約束してくれた。緊張はするけれど楽しみだ。

 ただ、終始カフィナの目が泳いでいたことが妙に気になった。




 木立の日までの三日間は、神殿で与えられた課題の発表だ。スダ・サアレからの課題だけでなく、どの土地でも強い拒否感を示されるような課題が与えられていたらしい。普通はもう少しマカベに寄り添った内容であるのにと驚く教師がいるいっぽうで、「現状を考えれば仕方ありませんね……」と納得している教師もいた。


 そんなわけで、背の低いわたしは一日目に発表を終える。ここでも魔法になることはなかったのでほっとしていたら、ラティラに「わたくしも頑張って音楽で作るべきでした」と溜め息をつかれた。

 ジオ・サアレは主題に「祭」を指定したらしい。マカベなら想像したことすらないだろう。ラティラは彼の説明でなんとか絵を描きあげたという。

 ……ジオの神殿にならなくて良かった。わたしだったら確実に盆踊りの曲を作っていた。さすがに目立ちすぎる。


「……カフィナ様」


 講義のあと、いつも通りカフィナとジオの林へ戻る途中。わたしは見るに堪えなくなって、ずっと我慢していた口を開いた。


「……なんでしょう、レイン様?」


 無理やり張り付けたとわかる笑顔に、わたしは唇の端を軽く噛む。


 最初は、スダ・マカベの妻であるラティラの母親が主催する披露会に招待されることが決まって顔がこわばっているのだと思っていた。だけど、違う。

 今日一日見ていてわかった。これは、神殿滞在中なにかがあったという顔だ。アグの神殿へ行っていた子が課題の発表をするとき、なにかを思い出すように、なにかを堪えるように笑みを深めるのが気になって仕方なかった。

 わたしはカフィナの手を引き、少なくない子供たちが歩いている道を外れて森のなかへ入る。


「カフィナ様、なにがあったのですか? その、アグの神殿で――」

「なにもありません!」


 思わずといった強い口調に、カフィナ自身が驚く。彼女を怖がらせないように、わたしはふわりと微笑んでみせた。


「わたしは、カフィナ様が楽しそうに笑っているのが好きなのです。ですから、カフィナ様がなにかに困っているなら、わたしに助けさせてください」

「レイン様……」


 驚きに開かれたままの赤みがかった瞳に、少しだけ安堵の光が浮かぶ。さらに「ね?」と首を傾げてみれば、カフィナはおずおずと頷いた。


「わ、わたくし……文官になりたいのです」

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