第75話 砂漠の中の楽園(2)

「スィッカ様、先ほどは助けていただいてありがとうございました」

「せっかく覚えたのですもの。練習をしただけですから、気になさらないでくださいませ」


 岩と木の混じる壁に声を響かせながら、大勢の子供たちが優雅に階段を上っていく。

 一時的な滞在者であるわたしたちに与えられた部屋は神殿の最上部にあるのだ。浴室や厠などの水場が地階にあることはどこも変わらないので、一日に何度も階段を上り下りしなければならない。切実にエレベーターが欲しい。


「それにしても、レイン様。いったいなにを考えてあのようなことを言ったのです?」

「あのようなこと、とは?」


 いつものツンと澄ました口調のなかに非難めいた色を感じて、わたしは首を傾げた。


「スダ・サアレに対して神のようだと評するなんて……。わたくしが、男性に絵画を教わることに不満を言ったからですか?」

「え? 違いますよ。彼は優秀すぎますし、なにを考えているかよくわからないところがあるので、神さまみたいだなと思っただけです」

「ほら、またそのようなことを! レイン様には彼が女性に見えていますの?」

「まさか。あのようにしっかりした骨格と言動で女性らしいというのは無理があると思います」

「では、どうして神にたとえたのでしょう?」

「どうしてって……」


 会話が微妙に嚙み合わない。なにか根本的なところでずれている気がする。

 それがわからない限り堂々巡りになりそうだと感じて、先ほどの会話を思い返してみた。スダ・サアレの表情。男性に絵画を教わることに対する不満と、女性に見えているのかという質問。

 そして思い至った。この世界の神さまはみんな、女神なのかもしれないという可能性に。

 わたしを連れてきた神さまやスダ・サアレが呼び出した風の神は女神だったし、今までに読んだ神話に出てきたのも女神ばかりだった。女性は神さまの模倣品であるようにと言われている。けれど、心のどこかで男性の神さまもいるものだと思っていたのだ。もしそれが間違いだとしたら……。


「……わたし、もしかして、とんでもない悪口を言ってしまいました?」

「まったく……レイン様はマカベに馴染んでいるので記憶を失くした気立子であることを忘れてしまいがちですけれど、もっとお勉強しなければなりませんわね」


 わたしが作った曲の歌詞もマカベの娘がうたう詩歌として申し分なく、またスダ・サアレに言われたように神話の内容に関する理解もできている。だからわたしは周囲から婉曲な表現の会話も問題なくできるだろうと思われていたらしい。


「それにヅンレ様がお傍にいるでしょう?」

「ヅンレ様、ですか?」


 わたしとしては傍にいるのはラティラとカフィナであって、次点でシエネ、ヅンレとはたまに言葉を交わす程度の同級生、といった認識だった。

 けれどスィッカはそういう意味ではないと首を振る。

 周囲から見ると、ヅンレはジオ・マカベであるシルカルに近い文官ワウジアを父に持ち、いつも詩歌的な言い回しでわたしに話しかけているのだ。急にマカベの娘として生活することになった気立子わたしにつけられた助言者、というのが一般的な認識だという。


 ……そんなの、最初に言ってくれないとわからないよ。


 去年の時点でまだ九歳だったヅンレは仕方ない。けれど「息子を頼ると良い」というワウジアの言葉はあまりに少なすぎるし、シルカルもあとで教えてくれたら良かったのにと思う。

 それともこれがこの世界の普通なのだろうか。


「その様子ですと気づいていなかったのでしょう。今までどのようにお話していたのです?」

「会話らしい会話はしたことがありませんよ。普段は無口ですし、彼の言葉は受け入れることにしていましたから」


 ……笑顔で誤魔化していた、とも言うけれど。


「披露会はどうしておりましたの? あのヒィリカ様が連れ出さないはずないでしょう」


 夏に招待された披露会では、突然はじまる詩歌の話に不思議だと思うことはあった。

 しかしそういうときはヒィリカやシユリが答えていたので、わたしが頓珍漢な答えをする機会そのものがなかったのだ。いろいろな話題に対応できる二人はすごいな、と内心で拍手を送っていただけである。

 わたしは芸術や神話と日常会話を別物として考えていたため、双方にとって想定外の状態になっていたようだ。


「……お母様とシユリお姉様には感謝しなければと思いました」

「正式に詩歌を習ったのですから、これからは木立の舎でも使われるのです。お二人に頼ることはできませんわ」


 詩歌的な言い回しを使わない普通の会話でも、遠回しに話すことが好まれるのだ。さらに遠回しになってよく会話が成立するものだと感心していると、スィッカに綺麗な笑顔で睨まれる。


「スダ・サアレを恐れている場合ではございませんね。わたくし、全面的に彼に協力いたします。あれほどに素敵な曲を作られるレイン様の実態がこれでは、残念すぎますもの」


 彼女の宣言通り、しばらくはスィッカやスダ・サアレに教えてもらいながら最低限の言い回しを覚えさせられることになった。知らないままで恥をかくのはわたしなので、頑張っている。

 簡単なんて、とんでもない。読解力だけでなんとかなる内容ではなかった。

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