第74話 砂漠の中の楽園(1)

 神殿での生活は、木立の舎にいるときとさほど変わらない。日の出の朝灯を終えたら少し寝て、完全に空が明るくなってから起床だ。前の晩に祭司が渡してくれたルルロンの朝食を食べ、昼灯まではアクゥギを弾いたり講義の復習をしたりして過ごす。昼食後は儀式場でスダ・サアレによる講義が行われる。


 講義は神話をもとにした芸術の研鑚だ。神話を読み込み、讃美歌のような曲の練習や挿絵の模写をする。男の子たちは舞踊だ。

 スダ・サアレはなにを教えるのも上手い。教師に向いている……なんて言ったら失礼かもしれないけれど、いくらお行儀が良いとはいえ八十人もの子供を相手にするのは大変なことだろう。

 神話の理解度を確認するための質問もされる。国語を習ってきたわたしには簡単な問題だが、芸術に関する技術だけでなく、ここの子供たちは読解力もあると思う。


「……まったく、スダ・サアレが女性の領分である絵画の指導までするなんて、神殿はどうなっていますの?」


 三週間ほどすると、少しずつ話し相手もできてくる。特に、前からわたしの歌が好きで仲良くなりたかったと言ってくれたデリの土地の女の子、スィッカとは講義中も一緒に作業をするようになっていた。

 少し高飛車な感じのする子だけれど、照れ隠しだということがわかってからはそんなところも可愛く思える。絵が得意で、互いに教えあえるのも良い。


「そんなこと言って、スィッカ様。彼に教わった色の重ねかたを気に入っていたではありませんか」

「そ、そうですけれど……。レイン様は嬉しそうに音楽のお話を聞いていましたわね」

「勿論です。スダ・サアレの音楽技術は素晴らしいですし、わたし、できるだけたくさんマクニオスの音楽を知りたいですから」


 スダ・サアレの要求水準は高いが、そのぶん――音楽に限って言えば、やりがいもある。

 それに毎日神殿で過ごすことでわかった。今まで出会ったマクニオスの人のなかで、彼がいちばん日本人と近い感覚を持っている。さまざまな方向に突き抜けた優秀さは置いておくとして、適当に見えて真面目なところとか、表情の作りかたとか、そういう雰囲気的な意味ではとても接しやすい。

 ……スィッカに「スダ・サアレは話しかけやすいですね」と言ったときはものすごく驚かれたけれど。


 デリ・サアレに睨まれてほっとしたことを思い出す。

 ほかは感情をできるだけ抑えるマカベと大げさすぎるほどに表現するヨナなので、わたしとしてはサアレの感覚がちょうど良いのだ。

 けれど普通のマカベからすると、どちらでもない空気感に収まりが悪く感じられるらしい。さらにあの恐ろしいほどの魔法を見せられたあとではとても落ち着いてはいられない、とも言っていた。


 確かにあのディル・マクニ・トウェッハとマクニ・オアモルヘは恐ろしかったけれど、普段の彼が普通なのでわたしはあまり気にしていない。どちらかというとあの技術を教えてもらうために仲良くなりたいくらいだ。


「レイン、スィッカ。今は詩歌の時間だが、私の話が神話にどう繋がる?」

「も、申し訳ございません」


 離れた席の子に教えているからと気が緩んでいたことは否定できないけれど、まさか聞こえるとは思ってもいなかった。わたしたちは慌てて詩歌が書かれた紙にヌテンレを向ける。


「……彼は『地獄耳』ですね」

「え? レイン様、今なんと?」

「あっ……」


 思わずこの世界にない表現を使って日本語を話してしまったことに動揺していると、つかつかとスダ・サアレが歩み寄ってきた。やってしまった、と首を竦めたわたしとは反対に、すっと背筋を伸ばしたスィッカの青い瞳は恐怖に揺れている。


「レイン、私にもわかるよう説明しなさい」


 なんとか誤魔化せないだろうかと、わたしはにこりと微笑みながらスダ・サアレの顔をじっと見る。こういうときの彼の薄い笑みからは感情が読み取れない。さすが神の愛し子、自身も神さまみたいだ。


「ええと……、スダ・サアレは神さまみたいなのでこのような神話に登場してもおかしくないな、と思ったのです」

「ほう?」


 そう言ったら、なぜか周りのみんなが目を剥いた。スダ・サアレの笑みの温度が下がった気がする。

 変なことを言ってしまったのだろうか、スィッカに助けを求めて視線を向けると目を逸らされてしまった。


「わ、わたくしは谷底から伸びる豊かな枝葉に感動しただけで、その……」


 ……え? 谷底? なんの話?

 いきなりの話題転換に面食らっていると、スダ・サアレが残念な子を見るような目でわたしを見てきた。それからスィッカに続きを促す。


「これほどの大樹ともなれば神々も安心することでしょう、と」


 スィッカの言葉にスダ・サアレが満足そうに頷いた。高度すぎる会話、怖い。怖いのに、今度はわたしの番だというふうに視線が集まる。「レイン様……」と気の毒そうに呟いたスィッカが、なにかを決心したような顔でスダ・サアレを見上げた。


「泉の雫は美しいのですから、糧とするのはいかがでしょうか? 根の広がりを知れば、雫もより輝くかもしれません」

「谷底にも川は流れている。いらん」


 それから呆れを滲ませた口調でスダ・サアレは付け加えた。今度はとてもわかりやすい言葉だった。


「スィッカ。勉強熱心なのは良いことだが、時間と場所、相手をよく考えて言葉を選びなさい」

「失礼いたしました」

「……それからレイン。神話についての受け答えでは問題ないと思っていたが、まったく理解できていないようだな」

「頑張ります……」

「しばらく追加の楽譜はお預けだ。それよりも詩歌の勉強を優先すること」


 そんな! と縋りついたけれど面倒くさそうに追い払われてしまった。ラティラの真似をして課題を追加してもらったのに。……そのなかにマクニ・オアモルヘの楽譜が紛れ込んでいたら良いな、と期待していたのに。

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