第73話 神の愛し子(3)
ヴァヅがくるりと回転すると、その軌跡に魔力が光る。
彼が動くたび鳴る音に合わせてティチェの描く花が咲き、花びらが舞う。ツスギエ布が揺れる。
互いの動きが、魔力の光が、互いを引き立て合っていた。
よどみなく繰り出される芸術はとても美しく、神殿の儀式場で見ていることも相まって敬虔な気持ちになる。本当にわたしたちの成長が願われているのだと感じられる。
そして複雑な掛け合いのなかで交わされる笑みに、わたしはこれが男女二人による芸術であることの意味がわかったような気がした。
ディル・トゥウの披露が終わると子供たちが大きな拍手を送る。照れたように微笑んだティチェがスダ・サアレを見ると、彼は鷹揚に頷いてみせた。
「ああ、助かった」
「お役に立ててなによりです」
そうして教師二人が儀式場を出ていったのを最後まで確認すると、スダ・サアレの雰囲気ががらりと変わった。それまでと一変した様子でわしわしと頭を掻きながら舞台へ上がる。それはマカベが好む優雅で繊細な動きではなく、彼の変貌ぶりに子供たちがぽかんとしている。
舞台上からその表情を見たスダ・サアレは、心底面倒くさそうに溜め息を吐いた。
「彼らはマクニ・トウェッハが本来の形であると言ったが、正確には違う。……いや、間違えたというわけではないが、マカベにとっては、という言葉を付け加えるべきだな」
わたしたちの混乱をよそに、彼は腰のフラルネにはめた魔法石に触れる。と、両腕に籠手のような金属が現れた。
……アクゥギ、だろうか。肘から指先にかけて弦のようなものが張ってあった。土星の環みたいなピアノ、というアクゥギを持っているわたしが言えることではないのかもしれないけれど、彼のそれはとても変な形だ。
なんの前触れもなく、彼は、スダ・サアレは動きはじめた。
ダン、と強く床を踏み鳴らし、空を仰ぐように両手を上へ伸ばす。シャランと金属飾りの残響音を掬い鳴るのは、笛とチェロを足して二で割ったようなアクゥギの音だ。
ヴィイイン…………フィィ……ヴィイイィィン――……
そこに歌が乗せられる。わずかに掠れてざらざらした低い声が温かい。早口ではない。けれど、歌詞は聞き取れない。
彼の動きとともに淡い緑色の魔力が広がり、儀式場を包み込むように明滅している。
うたいながら、踊り、演奏をする。そのどこにも――魔力の光ひとつとして、無駄がないように思えた。
心のふちをなぞるような、細やかでやわらかい音色。あまりの心地良さに、ざわざわする。わたしの魔力が反応しているのだ。腕が震えはじめた。さすってもさすってもとまらない。耳が熱い。
どこまでも優しいのに、怖い。
……なに、この人。
先ほどの教師は勿論のこと、あのヒィリカよりも、ずっとすごい。まるで世界を塗り替えるみたいなうたいかた。今この瞬間、希望しかないと思えるような芸術。
このまま心のざわざわを許していたら魔力に溺れてしまいそうなほどの幸せを感じる。
涙が出てきそうになって、抑える。
「――ディル・マクニ・トウェッハだ。覚えておけ」
いつの間にかその美しき芸術は終わっていて、舞台の上ではどう見ても普通の人に見えるスダ・サアレが肩を竦めていた。
「ま、なにをやったかわからないだろうから、マクニ・オアモルヘもやっておくか。……そうだな、あんたらはどの神が好みだ?」
……三点リーダーと疑問符がわたしたちの頭上に浮かんだ、気がした。余韻をぶった切るような彼に誰もついていけていないのだと思う。「なに、その質問⁉」と言わんばかりの表情はみんな同じで、意味がわからない言動に対する反応がわたしだけずれているわけではないことに安心する。
マカベにとってもこの人は変なのだ。しかし、返事がないことに困った様子もなくわたしたちへの問いかけは続く。
「さすがに古代神だとやりすぎだよな? 風の神で良いか?」
どうしよう、ツッコミがとまらない。風の神
わたしが心を忙しくしていると、スダ・サアレはまたうたいだした。今度は踊りがない。……ヒィリカがうたっていた早口讃美歌と似ている。
これがマクニ・オアモルヘということは、わたしが覚えるべきはこの歌なのかもしれない。帰る道に近づいた気がして、そして彼の演奏の素晴らしくて、心がふたたび粟立ってくる。
――クスクス、クスクス。
演奏が終わり、あちらこちらから聞こえてくる笑い声は、しかし、記憶にある神さまの声とは違っていた。
「どうしましたか、わたくしの愛しい子?」
「いや、特に用はないんだが……まあせっかく来てもらったんだし、こいつらになにか見せてやってくれ」
呆然、という言葉しかあてはまらないような空気が漂う。この友人と話しているような気軽な感じはなんだろうか。確かにわたしに話しかけてきた神さまは気軽な感じだったけれど、わたし自身はなにも言っていないし、ヒィリカに対しては小難しい感じだったはずだ。
「わかりました。では、遠つ国に吹く春の風を……」
ふわり、甘い香りが鼻孔をくすぐった――と思った瞬間、舞台上に神さまが姿を現した。
神さまとしか言いようがなかった。
人の形をしているけれど、明らかに人ではなかった。美しすぎるのだ。
造形に
走り抜ける風がくすぐったいなと思いながら、わたしは、認めざるを得なかった。
これが神さまと繋がるということ。
神様の美しさと、美しさを大切にするということ。
この身体は、この世界は、神さまから与えられたものであり、ゆえにすべては神のためにあるのだということ。
――そしてなにより、恐るべきスダ・サアレの実力を。
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