第三章
第66話 初中級生の始まり(1)
「レイン、本当に大丈夫なのかい?」
「大丈夫ですよ、バンルお兄様。わたし、夏のあいだにたくさん飛ぶ練習をしましたから」
わたしが胸を張ると、バンルはなぜかがっかりしたように「……頼んだよ、ルシヴ」と矛先を変えた。
「わかっています。そのために早く出るのですから。去年兄様がしていたことも、できる限りは」
「うん、そうだね」
「わたくしもあとから参りますから、何かあれば頼るのですよ」
秋のはじまりである七の月も終盤に差し掛かり、
去年はシユリの舟に乗せてもらった――まだ飛び慣れていなかったので帰りもだ――が、今年は自分の羽でマクニオスまで飛ぶ。その許可を得るために、わたしは暇を見つけては羽で飛ぶ練習をたくさんしたのだ。今ではうたわなくても細かい制御ができるようになっている。
「シユリ姉様がいれば安心ですね。……行くぞ、レイン」
「はい。行ってきます」
そうして、ルシヴの先導でわたしは空へと飛び立った。毎日のことではあるけれど、今日も快晴、空の旅日和だ。
……って、あれ?
「ルシヴお兄様」
「なんだ」
「あの、この速さでは
去年舟に乗せてもらったときは、特急列車のような、けっこうな速度が出ていたはずだ。それでも到着したのは夕食前だった。比べて今は一般道をゆっくり走る自動車くらいの速度。とても間に合うとは思えない。
「到着は明日だ。そのために早く出ると言っただろう」
「え。わたし、準備なんてしていませんよ?」
驚いてその場にとまると、ルシヴが呆れたように振り返った。
「なんの準備が必要なのだ」
「……服、とか」
ハァ、と溜め息をつく姿が、シルカルやバンルに似てきている気がする。ここへ来たばかりのときはもっと子供らしかったはずなのに、男の子というのは急に成長するものなのだなとやけに感心してしまう。
「……そなたは木漏れ日の家を使ったことがないのか」
「木漏れ日の家ですか? 初めて聞きました」
とまってくれていたルシヴが動きだしたので、あとに続く。
「あまりないが、陽のあるうちに家へ帰れないとき使う場所だ。マカベの家は神殿の近くにしかないからな」
山小屋のようなものだろうか。マカベが使う場所だから綺麗なのだろうが、なんとなく使い勝手の悪そうな印象があるので、できれば今夜から寮の自室で寝たいものだ。
「あの……わたし、もっと速く飛べますよ?」
「うん?」
「ルシヴお兄様はわたしに合わせてくださってると思いますけれど、速く飛べば今夜到着できますよね?」
「まだ風の纏いかたも知らぬのに、美しくないだろう」
まさかルシヴに美しくないと言われるとは思ってもいなくて目を瞠る。――と、そこでわたしは違和感に気づいた。
わたしの髪は風に煽られてうしろへなびいているけれど、ルシヴの髪はまるで立ちどまっているかのように彼の動きに合った揺れかたしかしていない。シユリの舟と同じように空気の膜が囲んでいるのだ。
「レイン、そなた人前でそのようなことをしていないだろうな」
「え、っと……人前ではしていないと思います」
……多分、と心のなかで付け加える。ジェットコースターに乗ったり、坂を自転車で駆け下りたりするような気分で飛んでいたのだ。そこに美しさを求められるとは少しも考えなかった。人目を気にすることなんて、言うまでもない。
マカベの美的感覚でいえばこれが許容できる最高速度なのだろう。わたしが自分で飛びたいと言ったばかりに迷惑をかけている気がして、なんだか落ち込みそうになる。
「……私も一昨年から羽で向かっていた」
「え?」
「兄様とこの速さで、木漏れ日の家にひと晩滞在し、それからマクニオスへ向かった」
あぁ、彼はわたしを慰めようとしてくれているのだ。いまだに彼との距離感は測りかねているけれど、こうした
不思議な感じもするけれど、今わたしがすべきことはひとつだけだ。
右手を胸に当てて微笑むことで感謝を示せば、ルシヴは満足そうに頷いた。
風の纏いかたは初中級生のはじめに略式魔法のひとつであるキッハの基本として習うものらしい。
イョキのもとが音楽であるように、女性のキッハは絵画がもとになるのだ。う、と言葉に詰まったわたしを見てルシヴはまた呆れたようで、「散々練習していだろう」と言わんばかりの視線を向けてくる。わたしはそこから逃れるようにして彼の背後へと隠れた。
「お、音楽と同じように考えてもらっては困ります!」
自慢ではないけれどわたしに絵画の才能はなかった。春から夏にかけての猛特訓により、確かに上達はした。したのだが、その成果はようやく人様に見せられる技量、といった程度。何でもできるヒィリカは当然のこと、シユリまで引きつり笑顔のお墨つきである。
現状は音楽に対する高評価でお釣りをもらえている気がする。けれどこれからもっと難しくなる魔法や絵画の不出来を埋められるとは思えなかった。正直不安しかない。
なんだか恨めしく思えてきて、わたしの前で悠然と飛ぶルシヴを睨んでみる。
男性のキッハは舞踊がもとになっていて、彼の得意分野だからこの気持ちがわからないのだ。
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