第65話 インダ視点 薄明の揺らぎ

 ――キナリは忙しい。


 はじめて祭司に言われたのは、いったいいつのことだったっけ。もう思い出せないくらい何度も言われてきた言葉だ。

 だけど僕にその自覚はない。

 多分、ほかのキナリたちもそうだと思う。だって僕らはキナリの生きかたしか知らないのだから、ほかと比べることなんてできないんだ。


 キナリの将来は決まっている。サアレになるか、なれないか。簡単な二択だ。

 サアレは土地を導く存在だから、マカベのことにもヨナのことにも詳しくないといけない。九歳の秋に儀式を行った子供たちがそれぞれの学び舎へ通うとき、僕たちキナリもそこに混ざってマカベとヨナの在りかたを学ぶ。

 昼灯の刻まではそれぞれの土地――僕はデリの土地にある大地だいちおくに通うヨナとして、夕灯の刻まではマクニオスの木にある木立の舍に通うマカベとして生活をすることになる。

 キナリじゃない子供に会えるのも、神殿とマクニオスの木を繋ぐ神の道を使って移動するのも、僕は楽しみにしていた。


「ユヘル、デリ・サアレは何か言ってた?」

「何も。というかデリ・クストと一緒にすごい慌ててる感じだった」

「それは僕も思ってたよ。いきなりすぎたからね」


 ジオの土地に同い年の気立子がいる。

 僕たちキナリが木立の舍へ向かう直前、デリの神殿にそんな噂が届いた。デリ・クストとデリ・サアレがいろいろなところから情報を集めてきてもわかることは少なくて、だけど、いつもは冷静な彼らが慌てるくらいに衝撃的な話だった。

 なんでもその気立子というのはジオの泉に現れたらしい。

 それだけでもあり得ないことなのに、ジオ・マカベは木立の者に知らせないまま自身の子として迎え入れてしまったんだ。


 血のつながりがあるからデリ・サアレとジオ・マカベの顔はとても似ている。それにものすごく真面目なところも。だけどデリ・サアレは案外よく笑うし、ふざけるときだってある。それに比べてマカベというのは――ジオ・マカベだけじゃなくって――根っからの真面目だ。……ううん、そうだと思っていたから、本当にびっくりした。


 ……話が逸れてしまったけれど。

 とにかくそのとき僕が思ったのは、よその国から来た子がマカベの子供になるなんて大変だな、ということだ。

 今まではその国での生きかたしか知らなかっただろうに、どんな国から見ても異質なこのマクニオスで、いちばん異質な存在である木立の者の家で生きなければいけないなんて可哀想とすら思う。それはきっと、僕らを「忙しい」と言った祭司がキナリの生活を体験することよりもずっと大変だろうから。


 ほとんどのマカベはわかってないんだ。

 マクニオスがどれだけ異質であるか、美しさに求める水準がどれだけ高いことなのか。そういうことを僕たちキナリは教えられているけれど、知らない人は、知らなくて良いと考えられている人は、たくさんいる。

 よそから来た気立子は、この神のいる場所マクニオスに何を思うだろう。




 気立子はレインという名前だった。土地の魔力すら吸収していそうな、深い闇色の珍しい髪と瞳を持つ女の子。

 彼女は本当に土の国から来たのだろうか。

 僕が見てきた限り、顔立ちは神殿にいる気立子の誰とも似ていない。あの辺り出身の人もいるはずなのに、少しもだ。

 それに雰囲気だって違う。マカベの女性が纏うツスギエ布を上品に揺らし、普通のマカベよりずっと強い光を瞳に乗せて楽しそうに笑う姿は、気立子としてもマカベとしても、ヨナとしても異質に思えた。


 その笑顔は彼女が演奏をするときに一段と強くなる。心から音楽を好いているらしい。

 歌も上手で、作曲もできて、それでいて気立子だなんて。やっぱりレインは変だ。

 変だけど美しい。それが彼女に対する僕たちデリのキナリの評価だった。


 だけど、わざわざ関わることはしない。

 僕の父であるデリ・クストはマカベの女性たちを妻に迎えた。つまり僕の母はマカベだ。だから僕がサアレ、そしてクストになれたときにもらうお嫁さんはヨナの女性と決まっている。

 そんなわけで僕にとって木立の舎とはただマカベの生きかたを学ぶための場所という感じであって、自分から関わろうと思うのは同じキナリか、生粋のマカベくらいだった。気立子のことを知ったって仕方ないし、まぁレインの演奏を聞けるのは楽しみだけど、それだけのことなんだ。


「インダは気になる子、いないのか?」


 神殿の食堂はマカベの祭司が使うものとヨナの祭司が使うものとで分かれている。彼らの生活はまるっきり違うのだから当たり前だ。

 クストの人間はどちらを使っても良いんだけど、僕とユヘルはヨナのほうを使うことが多い。マカベの食事はろく・・に話もできないって、ユヘルが嫌がるから。

 僕は彼の質問に考えるふりをしながら口の中の粥を飲み込む。


「うぅん……まぁ、まだ先だからね。初級生じゃふさわしいかどうかわからないし」

「はぁああお前は本当に現実主義だな。どうせ四人くらいもらうんだから、一人くらい好きな子を選んだって良いじゃないか」


 実は、今年初級生になったデリのキナリはみんな、ヨナの妻をもらう予定の者ばかりだ。

 ゆくゆくはサアレの地位を得るために越えなければいけない相手だけど、こういう話を気軽にできるからか、仲は良いと思う。


「そういう君にはいるの?」

「断然ルワだな! 声が可愛いし、手仕事は何もやらせても上手いんだ。……インダ、取るなよ」

「わかったわかった」

「女の子も声が変わるぞ、ユヘル」

「デリ・サアレ! 仕事は終わったんですか?」


 あぁ、と頷きながら僕たちと同じ卓についたデリ・サアレ。今日は自分で作らなかったらしく、彼が自室から持ってきた椀に大鍋から粥を掬い入れる。湯気がほわりと漂った。


「それから技術力も重要だが、自制のきく女でなければな。マカベと合わせたときに悲惨だ」


 デリ・サアレもヨナの女性と結婚する人だ。あと数年もしたらサアレの代替わりがあって、今のサアレはクストになる。そのときには相手を選ばなくてはいけないから、今のうちにいろいろな女性を見ているのだろう。

 僕たちはデリ・サアレの話を参考にしようと身を乗り出した。


「でもそれって、ヨナの女性だけ大変すぎるんじゃありませんか」

「マカベの女性とて同じことだ。ヨナの言動を見て目を回すからな。胆力が要る」


 ……ヨナに自制、マカベに胆力って!

 想像したらおかしくって、僕は声を上げて笑ってしまった。ユヘルも、なんならデリ・サアレも笑っている。


「クストのお嫁さんにそんなことが求められるというなら、キナリよりよっぽど大変ですね」

「当然だ。……だが、クストの子は必要だからな」


 デリ・サアレが急に真面目な顔つきになって僕を見た。

 ……わかってる。岩の下で祭司を父に生まれたキナリより、クストを父に生まれたキナリのほうがサアレとしての素質が高い。

 そしてデリ・クストの息子である僕は、次の次のサアレになれるんじゃないかって言われている。


 クストの子は多いほうが良くて、慣れない環境で子を産まなければならない彼女たちをクストは大事にしなくてはいけない。

 手っ取り早いのは向こうに惚れてもらうことで、そういうやりかたもキナリは学ぶ――……あれ、やっぱりキナリって大変なんじゃないかな。




 さて、そんなキナリの事情はともかく、木立の舍の音楽会の日がやってきた。

 マカベにとっては将来の伴侶を探す場でもあるから、初級生もそういう曲を演奏する。勿論僕には関係ないことだけれど、演奏そのものは楽しみだ。


 レインはいつも一緒にいるスダ・マカベの娘とジオの音楽師の娘と並んで何やら楽しそうにしている。それを遠巻きに見ている子たちに話しかけにいく勇気はないらしい。ここは神殿じゃないから、笑ってしまいそうになるのは我慢だ。


「インダ、何を見ているのだ? ……って、あぁ、あの三人か。あれは格別だからな」


 ユヘルが真面目そうな表情で頷くものだから、せっかく我慢した笑いがこみ上げてきた。それも全部飲み込んで僕も真面目な顔で頷く。


 陽光のカフィナ、月光のラティラ、薄明のレイン。


 そういうふうに三人を呼んでいる子もいる。それぞれ雰囲気は違うけれど、見た目も可愛らしいし、演奏も上手だし、性格は穏やか。マカベが好みそうな女の子たち。

 三人で仲良しているようすは、その場にぱっと咲く花のようだとも思う。それに――


「……薄明のレイン」


 もっとも揺らぐとき。不安定で、不思議で、それでいて美しい灯。

 誰が言い出したのか知らないけど、ぴったりだ。


「レインがどうした?」

「あ。いや、彼女、どのような演奏をするのだろうと思って」

「確かに想像できないな」


 レインはいつも楽しそうだから。


 ……なんて、初日は思っていたのに。


 音楽会最終日の一番手は、背の低いレインだった。

 彼女は演奏をする前、必ず大きく息を吐く。そして次の瞬間には演奏者の空気を纏うのだけど。


「――っ!」


 明らかに雰囲気がいつもと違っていた。


 軽く伏せられた瞳に滲むのは、感情よりももっと強い、意思。

 指先が、何か大切なものを触るかのようにあの不思議な形のアクゥギを撫でる。


 明るい笑顔だけはいつも通りなのに、うたいだしたその声に乗っているのは……切なさ、なのだろうか。

 この場にいる誰も、レインの瞳には映っていないように見えた。

 故郷のことを考えているのかと一瞬思ったけどそれはきっと違う。彼女にマクニオスへ来る前の記憶はないはずだから。


 だとしたら本当に、想い人が……?


 レインがうたうと、魔力が広がる。落ち着いた色合いのツスギエ布が魔力を含んで優しく光る。

 それは確かに美しくて、でも、僕にはわからなかった。


 心から楽しんでいるといった表情で、どうしてこんな声を出せるのか。どうして胸をぎゅっと掴まれたような気分になるのか。

 クストが妻に向ける、背中を撫でるような色香すら感じる。大人のあれはあんまり見たくないけれど、レインのそれは何とも儚くて、思わず掴んでしまいそうになる。


 さっと周りを見てみると、彼女のようすに気づいているのはキナリだけみたいだ。教師でさえ、美しい演奏にただ感心していた。

 僕のなかで、何かがぐるりと動く。


 ――掴んでみては、いけないのかな。


 僕はヨナの女の子を迎える。それは決まっていることだ。だけど、ただの決まりじゃないか。

 そこにある大事な意味は、本当にただの意味でしかないことを知っている。前例がないなら、僕が前例になったって良い。


 レインの声が心に響いて熱くなる。


 ぼんやりと感じていた、自分はきっとサアレになるのだろうなという意識が、今、はっきりと像を結んだ。

 僕は絶対にキナリの夜を生き抜いて見せる。そして――

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