第64話 デジトア視点 危険な気立子

「デジトア、何か考え事か? 珍しい」


 その声に顔を上げると、ロホタがこちらに近づいてくるところであった。

 彼は主に中上級生の講義を担当しているアグの土地出身の教師であり、私とは歳も近く、舎生時代から交流がある。人付き合いの悪い――という自覚はある――私にとって気楽に話のできる数少ない同僚だ。こうして教師用の事務室で作業をしていれば彼のような者と会えることも、級ごとに用意されている講義準備室やジオの教師寮にある部屋をめったに使わない理由のひとつである。

 ……もっとも、今年はこの事務室の居心地もあまり良いものではないが。


「あぁ、音楽会の出番を決めているのか。初級生は技量の差が小さいから大変だろう」


 ロホタが私の手もとを覗き込み、わずかに笑みを溢す。


 目の前にあるのは大量の楽譜。すべて、初級生が音楽会で演奏する予定の曲だ。私はその曲が音楽会の趣旨に合っているかの確認と、出番を決めるためのたたき台を作成していた。

 技量と舎生の身長を考えなくてはいけないことを考えると、本枠の音楽会と比べて人数も日数も少ないとはいえ、大した個人差のない初級生の順番を決めることは確かに難しい。しかし、今年に限っていえばさほどのことではなかった。


「いや、例年と比べて今年の初級生にはすでに差がみられる」


 だからそう大変なことではない、そう言って手にしていた楽譜に視線を落とすと、自分の意思とは関係なしに溜め息が出そうになる。私の悩みの元凶――に繋がる楽譜を目にすると、自然に。

 ロホタもこの楽譜に書かれた「レイン」という名前に気づいたようだ。


「あの気立子、また何かしでかしたのか?」

「……何かも何も、あれは危険すぎる」


 そう。私を悩ませているのは、昨年いきなりジオの土地に現れた気立子、レインの存在であった。


 通常マクニオスに気立子が現れるとサアレから木立の者に知らされ、どの土地に属させるかの話し合いがなされる。基本的には現れた土地に決まるものだが、気立子の有無は土地が溜める魔力量にも関わってくるので、マクニオスの木に現れた場合や土地の力に偏りがある場合は考慮が必要だからだ。現在の状況であれば、レインはアグの土地に迎えられていたであろう。

 しかし彼女はジオの泉に現れた。

 古代神の場所であるあの泉は神の道と繋がっているわけではないため、神の道を使えるというサアレでも気立子の出現には気づけない。それを良いことに、ジオ・マカベはレインをすぐに囲い込み、ほかの土地からの抗議をすべてはねのけてしまったのだ。


 気立子の引き取りには少なからず負担がかかる。その軽減を、という形で手を伸ばそうにも、ジオ・マカベから報告がなされたときにはすでに準備済。取りつく島もなかったらしい。

 そのような話を、私はほかの土地の教師から含みのある言葉で聞かされる。

 ジオ・サアレだけは自分の土地の異常に気づいていただろうが、彼が何も言わないということは、そういうことなのだ。なまじ優秀であるために、やりかたが徹底している。


「ジオの泉で彼女を発見してから、わずか一日足らず、それもほとんどひとりで迎える準備を整えたらしいではないか。本当にジオ・マカベは恐ろしい人だ」

「そうなのか? それは確かに恐ろしい……が、少しは周囲への影響も考えてもらいたいものだ」

「ジオの土地の若い教師といえば、君かシユリだけだからな」


 ロホタの同情に、頷きつつも眉を顰める。世間話に交えて文句を言ってくる教師たちも、さすがに張本人の家族であるシユリには言いにくいのであろう。皺寄せがすべてこちらにきていた。


「それにしても、何故そこまでするのだろう? 神殿に入れるつもりもないらしいと聞いたが」

「理由は予想がつく」


 気立子の魔力は豊富だが、マカベの血を引いていないためか、もっとも重要である芸術の才能を持っていないことが多い。たとえマカベの儀で認められたとしても、木立の舍で求められる技量についてこられないのだ。

 落第することも少なくなく、また無事に木立の舍で成人を迎えることができたとしても、芸術師としてすら生きられない気立子。神殿へ入る以外の選択肢を与えられることはほとんどない。


 その点、レインは音楽に関してかなりの才能を持っている。強みである作曲の腕もしかり、演奏技術も音楽会で技量を期待される四日目に入れるのが順当であるくらいに。


「この曲はレイン本人が作ったものだ。私もこの目で作曲の様子を見たので間違いない」

「噂には聞いていたが、事実だったか……。あの音楽一家が手放さないのも頷ける」

「そういうことだ」

「女性教師らの人気を考えれば、しばらくは周囲からのお小言が続きそうだな。……それで? 君自身は何を不安に思っているのだ?」


 ……どうやら最初に私がレインを「危険すぎる」と言ったことを忘れていなかったらしい。鋭い質問に、軽くロホタを睨む。しかし彼は意に介した様子もなく肩を竦めてみせた。


「ハァ、ほかの教師らが何故こうも暢気に構えていられるのか理解ができぬのだが」


 そう前置きをして、私はロホタに胸の内の不安を語ることにした。




 音楽を演奏したときに制御することのできる魔力量は凄まじく、しかし、魔力そのものを扱うことは不得手。

 その差が、私にはひどく恐ろしく思えるのだ。それも本人にはまったく自覚がなく、他人のことを考えているのだから困ったなどという程度で済ませられるものではない。


 フェヨリらは「真面目にしているのですから見守ってあげましょう」「周囲に目を向けられるなんて、優しい子ではありませんか」などと言うが、私にしてみればあれは周囲と自分の違いを把握していない者のふるまいだ。真面目にやっているからこそ、それが良くない方向に向けられたときが怖いのではないか。


「彼女はそんなに魔力が多いのか?」

「多い、多すぎる。制御が苦手ということもあるが、普通にしていてもラッドレが光るのだ」

「それはまた……」


 耳に着けるテテ・ラッドレが光るほどに魔力を放出することなど、普通のマカベであれば一生に一度あるかないか、といったところだ。

 それをレインは演奏時はおろか、普通に講義を受けているだけでも光らせることがある。

 あのジオ・マカベが用意したテテ・ラッドレならば品質は確かであろう。それでもあのように光るところを何度も見ていると、不安を覚えずにはいられない。……わかりやすく教えてやったつもりだったのだが、本人が気づいた様子は露ほどもなかったのだから。


 確かにレインは努力の人間だ。それは私も認めている。

 上の級にはほかの気立子もいるが、レインほどマカベに馴染んでいる者はいない。マクニオスにきたばかりで、すぐに木立の舍へ入ることになったにもかかわらず、である。

 本人のやる気と実力が伴わなければ、いくらマカベ夫妻の教育が優れていたとしてもあのようにはならないだろう。


 しかし、それは裏返してみると何か意思を持って行動しているようにも見えるのだ。


「……彼女には何か裏があると?」

「その可能性がないとは、言いきれぬ」


『な、何とは……? 万が一・・・、の話ですよ?』


 身体を傷付けることは許されないと、彼女にもわかっていたはずだ。

 それなのにあえて「万が一」の話をした。それが意味することは、そう多くはない。


 レインに記憶はないということだが、どこまで本当かわからない。

 私は何かを探られていたのか、それとも単なる言葉の綾なのか。


 子供らしからぬ頭の良さと子供らしい短慮さがないまぜになった彼女の言動。それがどこに向かっているのか、早急に見極めなければならない。


 どのみち裏があったとすればマクニオス全体に関わることだ。今日この話をロホタにできて良かったと思うと同時に、私はもとより抱いていたジオ・マカベへの不信感をさらに深めた。

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