第62話 デリ・サアレの来襲とマカベの娘(2)
ジオの土地に帰ってきてから初中級生の準備や付け焼き刃だったマカベとしての知識の詰め込みに追われていたわたしにも、二週間に一回ほどは息抜き――存分に音楽を楽しむことのできる日があった。
五の月の中ごろ、その息抜きの日は兄姉たちと四人で陽だまり部屋に集まり、わたしが新しく作った曲を披露することになっていた。
「レイン、その曲は合奏用にしてみたらどうかな」
そんなバンルのひと言によって、兄弟であれやこれやと意見を出し合っての編曲がはじまる。
バンルはさまざまなアクゥギの音色があることを考えて、響きが悪くならないように旋律を考えてくれる。
シユリは全体のバランスを調整したり、難しすぎる部分を簡単にしたりと、わたしがほかの子を誘いやすいように考えてくれる。
ルシヴはまだ作曲についての技能はないけれど、男性が演奏したときに鳴る金属音のことを考えて、弾きかたやキメの部分を提案してくれる。
どんどん曲が良いものになっていくのを感じて、わたしは頬がだらしなく緩むのをとめられなかった。
しかし。
「――そなたは何を考えているのだ……ッ!」
……おお、怒鳴り声なんて、ものすごく久し振りに聞いた。
階下から聞こえてきたその声に、兄姉たちの肩がびくりと揺れる。何事かと思い、とにかく確認しようとみんなで居間に下りると、わたしたちに気づいたヒィリカが困ったように微笑んだ。
「そのように声を荒らげるものではない」
こちらに背を向けたままのシルカルが低い声でそう言う。彼の声はいつも冷たいけれど、今のこれには怒りがこもっているような気がした。
矛先は彼と向かい合っている青年だ。背格好はシルカルと同じくらいか、青年のほうが少ししっかりしているかといったところ。金色のマントを羽織っているので神殿の人なのかもしれない。
……あれ?
そして何より、こちらに向いたその顔はシルカルととてもよく似ていた。同時に覚えた違和感が一瞬で霞むほどに、似ている。
「お父様の弟さんですか?」
小声でヒィリカに尋ねたのに、返ってきたのは四人分の溜め息だ。シルカルまでもが振り返ってわたしを無表情で見下ろす。
「……私の母とこれの母が姉妹なのだ」
つまり従弟ということか。
――と、ここでようやくわたしは周囲の反応の意味に気がついた。マクニオスでは感情を高ぶらせることは美しくないので、わたしの反応は間違いだったのだ。怒鳴り声に懐かしさを感じている場合ではなかった。
「挨拶なさい」
「はい。……ジオ・マカベとヒィリカの娘、レインです。どうぞお見知りおきを」
「デリ・サアレだ」
サアレ。やはり神殿の人だった。
しかし、確かマカベの儀で見かけた神殿の人たちは、マカベの男性と同じような黒い服を着ていたはずだ。目の前のデリ・サアレは大きな青い布をゆったりと巻き付けたような服を着ている。このような服は見たことがなかった。ジオの土地とデリの土地では風習が違うのだろうか……?
そう思いながらじっと見ていると、最初に浮かんだ違和感の理由に気がついた。
耳飾り――テテ・ラッドレを着けていないのだ。服と同様、そのような人は今まで見たことがない。
がしかし、わたしがこれらの疑問を晴らすことはできないだろう。
わたしの視線も不躾だったろうが、彼はもっとひどい視線を送り返してきていた。青い瞳の奥でちりちりときらめく金色の光。その深さからは逃れられないことを確信する。
「……これか」
デリ・サアレは動けないままのわたしを上から下まで見定めるように視線を流し、それからフッと鼻で笑う。……何か、失礼なことを考えられている気がする。
「デリ・サアレ」
「承知している。――初級生のキナリどもが騒いでいたのだ。木立の舍に嫁候補を見つけた、と」
「デリのキナリだろう? 相手はヨナばかりだと言っていたではないか」
「そうだ。ゆえに馬鹿なことを抜かすなと言ったのだが……」
「ひぃっ……」
ギロリと睨まれた。怖い。怖いのに、どこかほっとするのはどうしてだろう。
わたしにこのような被虐趣味があったとは……と半ば現実逃避気味に目を逸らす。彼らの話がまったくわからないのだ。
「デリ・サアレ、どういうことです? ちゃんと教えてくださいませ」
ヒィリカの少し弾んだ声に、デリ・サアレはシルカルによく似た顔でハァと溜め息をついた。いきなり睨まれて、溜め息をつきたいのはわたしだというのに。
「まったく、これのどこに色気があるというのだ」
……やっぱり失礼なことだった! って、いや……。
「え、色気……ですか? わたし、子供ですよね……?」
意味がわからなくてペタペタと顔やら身体やらを触る。マクニオスに来てから変わらない、子供の身体の感触だ。本当に、どこに色気があるというのだろう。
そう首を傾げていると、頭上でプッと吹き出す声。
「そなた、それはマカベの娘としてどうかと思うが」
「デリ・サアレ。それ以上レインに近づくな」
シルカルが冷ややかな声でそう告げると、デリ・サアレはひらりと手を振りながら「わかっている」と言ってわたしから距離をとった。わたしもそのあいだに姿勢を正すが、思いがけず人間味のある彼の言動には面食らってしまう。
「初級生も音楽会があるだろう。レインの演奏に惹かれたと彼らは言っていた」
「あぁ、あの曲ですか……」
確かに恋人である啓太のことを考えながらうたっていたけれど、まさかあの演奏に色気を感じる子がいるなんて。誰か知らないけれど、随分と妄想の激しい子もいるものだ。
「まぁ、よい。大したことはないとわかったからな」
……失礼な。デリ・サアレにしか見えないように軽く頬を膨らませると、彼はシルカルに似た涼やかな瞳に楽しげな光を乗せた。これはこれで怖い。
「邪魔をした」
そのままあっさりと帰っていってしまう。本当にわたしの色気を確認しにきただけのようだ。
――サアレ。もしかすると、いろいろな意味で怖い人の集まりなのかもしれない。
まだ見ぬスダの土地やアグの土地のサアレのことを考えて、わたしはぶるりと背筋を震わせた。
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