第60話 初級生の音楽会(2)

 カフィナの演奏は三日目の中盤だ。

 曲は純粋な恋心をうたったもので、爽やかさと甘酸っぱさが入り交じった青春の香りが漂う。ぴったりの選曲だった。

 彼女とは入舎してすぐのころから交流があったこともあり、上達ぶりがよくわかる。もともと安定した演奏をする子だったけれど、最近はそこに巧みさも加わったのだ。


 ぬいぐるみのような印象のふわりとした見た目に、演奏技術に、可愛らしい曲。聞き惚れずにはいられない。

 誰からともなく、ほぅ、と溜め息が漏れた。




 そして四日目。一番手がわたしで、最後を飾るのはラティラだ。

 この日のために用意し、練習してきた曲をようやく披露することができる。せっかくなので本番までのお楽しみにしようと思い、練習もひとり森の中でしていた。カフィナやラティラにも聞かせていない。

 楽譜は事前に教師へ提出しているけれど、演奏を聞いたときどのような反応をされるか、純粋に楽しみでもある。


 曲を作ると決めたは良いが、わたしはマクニオスでの恋の歌がどのようなものかわからなかった。そこでフェヨリに頼んで詩歌の本を何冊か貸してもらったのだ。ここ数年の舎生が作ったものが載せられている本で、なかにはシユリの名前もあった。そういえば誰かがシユリの詩歌を褒めていたなと思い出す。


 肝心の恋の歌は、たとえや比喩が多いものの、けっこうあけすけな内容のものが多かった。

 貞淑であることが美しいとされるのだろうと思っていたが、そうでもないらしい。欲求をいかに美しく表現するかに重きを置いているのかもしれない。一応大人として意味をしっかり理解してしまうわたしには少々恥ずかしいくらいだった。

 ……まぁ、ここの貞操観念が高すぎてわたしの歌詞が「はしたない」と思われるよりずっとましか。

 それに歌ならば話は別である。今は啓太に会いたくてたまらなくなっているから、この気持ちを歌に込めることにした。


 アクゥギの鍵盤が、いつだってわたしの目標を明確にしてくれる。



 ポオォォォン――……



「ジオの土地、レイン様の演奏です」


 マクニオスに来てから一年が経った。

 家族は、啓太はどうしているだろうか。早く会いたい……。


 うたいながら、そんな気持ちが溢れてくる。哀しくて、涙が出そうになって、だけどそれを笑顔で上塗りしていく。

 哀しい歌を楽しくうたうのは好きだ。

 この歌に隠した意味を、込めた思いを、誰にも気づかれないように。楽譜にない音ゴーストノートが、この曲に深みを与えてくれる。それだけが伝われば良い。


 演奏のあいだ、わたしはずっと日本のことを考えていた。

 何でもない、それでも何かに代えることはできない、素晴らしき日常のことを。――焦らずとも帰る場所はそこにあるのだと自分に言い聞かせながら。最後の一音まで気を抜くこともなく。


 ……よし。予想通りというか、いつもと纏いかたを変えずにいたツスギエ布は結局光っていたけれど、大きく広がることもなかったし、今日はそこまで目立っていないはず。演奏も落ち着いてできた。上出来だ。

 子供たちも教師たちも楽しそうに聞いてくれたように思う。きっと彼らもわたしという異分子の存在に慣れたのだろう。




 そうしてあっという間に最後の演奏者、ラティラの出番がやってきた。

 椅子に腰を下ろすその動作や、フラルネの魔法石に手を触れてアクゥギを取り出す瞬間さえも見逃してはなるまいと感じる雰囲気。高まる期待と、彼女ならそれに応えてくれるだろうという安心感。実に大トリにふさわしい人選だ。


「どうか……」


 心地良い低めの声。眠りにいざなうような優しい声が、愛の言葉を囁く。


 ぞわりとした。腰の辺りがむず痒くなる。

 ……ラティラ。彼女ははまごうことなき表現者だ。

 彼女がこの曲を選んだ理由を教えてくれたときのことを思い出すと、そう思わずにはいられない。


 マクニオスでの成人は十五歳と早く、婚姻も二十歳くらいまでに行われることが普通だという。つまり、子供もそれに合わせて結婚や将来について考えるようになる。


 カフィナは「まずは自分の技術を磨いて成人してからの所属を決めたいですね。お相手との釣り合いも考えなくてはいけませんし、結婚のことを考えるのはそれからでしょうか」と意外にしっかりした将来設計を持っていた。

 ラティラも同じように頷いていたので、わたしは最初、彼女も同じ意見なのかと考えていた。

 しかし、ラティラの言葉はこうだ。


「わたくしもしばらくは考えていません。一緒に音楽に浸れる人が良いとは思いますけれど」


 マカベの娘がそんなことで良いのだろうかと思ったのは言うまでもない。

 音楽会で演奏する曲に対しても、言葉と旋律の響きが気に入っていて、自分の低い声と相性が良いから選んだのだと言い出す始末。


 ――あなた以外の星は目に入らない。空に浮かぶ星がたったひとつだけでも、私はそれを世界でもっとも美しいと思う。


 そのような意味の歌を、切なげに、ときには煽情的にうたうラティラが、ただこの曲を気に入って楽しく演奏しているだけだと、いったい誰が想像できることだろう。

 彼女の演奏が終わり盛大な拍手が鳴り響く陽だまり部屋で、わたしとカフィナは目を合わせて小さく笑った。


「ラティラ様、素敵な演奏でした。本当に夜空の下にいるみたいで……」

「あの曲を選んだ理由は聞いていましたのに、わたくし、ラティラ様の想い人は誰か、思わず探したくなってしまったのですよ」

「ふふ、あの曲の魅力を伝えられたようで良かったです」


 ラティラの魅力に男の子たちが何やら熱い視線を送ってきているようだが、本人は素知らぬ顔でわたしたちの労いを受け取っている。


「本当はもう少し最後に抑揚をつけたかったのですけれど……それはこれからの課題ですね」


 そしてあろうことか、さっそく反省しはじめるラティラ。

 ……スダ・マカベの娘って引く手あまただろうに、こんなことで良いのだろうか。音楽好きが暴走しすぎている気がする。


 こうして、家に帰るための術を学ぶ場、木立の舍での初年度は幕を閉じたのであった。

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