第58話 空を飛ぶ(4)
結局、別の歌をうたいながら飛べる程度に魔力を扱えるようになったのは三の月になってからだった。もうほとんどの子供たちが舟を作り終え、今月の終わりにある音楽会の準備を進めている。
わたしはひとり、マクニオスの上空に飛び立った。
マクニオスはとても広い。それは木立の舍に入る前、シユリの舟に乗せてもらったときにも思ったことだ。自分で飛ぶことでさらに実感する。
山のように大きなマクニオスの木と、その周りをぐるりと囲む木立の舍。その外側には林や広大な森があって、四つの土地と繋がっているのだ。高いところから見下ろせば、森はそれぞれの土地の魔力に色づいて境界がはっきりしている。
さて、相性が良い木はすぐに見つかった。けっこうな速度でうたいながら飛んでいたところにふと違和感を覚えて速度を落とすと、ぼんやりと光って見える木があったのだ。
ヌテンレのときと同じように、これだ、と思った。
ふわりとその根もとに降り立つと、遅れてツスギエ布がゆっくりと下りてくる。
大きな木だった。木肌は濃い褐色で、ところどころ苔のようなもので覆われている。わたしはごつごつした樹皮が目立つそれから座りやすそうな根を探して腰を下ろし、背中を幹に預けた。
その状態でアクゥギを出すと、半円状の鍵盤が出現する。普段は円形だが、背後にものがあるときは自動的にこのような形になってくれるのだ。
木を魔道具にするためのクァジを演奏する。
誰もいない森の中、大きな木に背中を預けてうたう。吹く風が、揺れる木漏れ日が、わたしの演奏を支えてくれる。
何と抒情的なことだろう。
どんどん背中が温かくなっていく。抱きしめられているようにも感じられて、ほっとする。同時に、もう一年近くもそういう人との触れ合いをしていないことに気づいて虚しくなった。
……今はいい。今は、まだ。
不思議な気分だった。マクニオスのような大きな木がある場所ならともかく、普通の森であればこの木は主のような存在だったろう。
けれどもわたしは、その温もりに安堵し、自分の舟にと求めた――。
演奏を終えると、わたしは浮かんだ舟の上に乗っていて、左手には黄緑色の魔法石が握られていた。
背中を預けていた木はもう、ない。……それなのにどうしてだろう。寂しくない。
その違和感を振り払うようにして目の前のことに集中する。取り付けられた台上にある窪みに魔法石をはめると黄緑色にぽぅっと光った。羽と同じように魔力を流してみれば、思う通りに動かすことができる。
羽が自転車に乗る感覚なら、舟は自動車に乗る感覚だろうか。いまいち仕組みはわかっていないけれど、アクセルを踏んだりハンドルを回したりするみたいに、こうすればこう動くだろうというのがわかるのだ。
と、枝の隙間から差し込む光が随分と傾いていることに気づいた。あと少ししたら陽が沈んでしまう。早く戻らなければ。
舟をしまい、飛ぶことに慣れてきた羽を出す。森の上空に出ると、マクニオスの木はかなり遠くに見えた。
ヴウゥゥ……――
夕灯だ。「フェリユーリャ」と唱え、右手を高く掲げて魔力を光らせる。単純に灯りとしての魔法でもあるが、こういったときに居場所を報せるためのものでもあるのだ。
ワイムッフでも良いのだが、自分が今どの辺りにいるのか、正確な位置がわからないときにはフェリユーリャを重宝している。
前方から、おそらく教師のものであろう魔力の光が返ってきた。これで捜索隊を出されることはないだろう。その筆頭になりそうなデジトアの顔を思い浮かべて、たった今魔力の光を返してくれた教師に感謝を捧げておく。
戻りが遅れることを伝えられたので、次は四つ灯の魔法だ。
あの言いにくいイョキを唱えて魔力を発すれば、真っ直ぐ南、ジオの土地に向かって光が飛んでいく。わたしの魔力も、ほかの人の魔力も、こうして土地の神殿に溜められるのだ。
そして、わたしは見た。
マクニオスの木を中心に世界が光るところを。
マクニオスの木は四つ灯の音を鳴らし、神殿と、世界と共鳴する。
すべてが繋がっている。多分そのいちばん先に神さまがいて、わたしの帰る場所もある。
そう、信じている。
「レイン様、夜灯の刻に」
「……メウジェ様。夜灯の刻に」
食堂で夕食を食べ終えると、メウジェは必ず挨拶をしにきてくれる。一の月になってから――わたしたち初級生が十歳になってから、毎晩。
はじめはどうしていきなり挨拶してくれるようになったのかわからず首を傾げたものだが、話を聞いてみると、「夜灯の刻に」とは四つ灯の魔法を使う者どうしの挨拶だという。
メウジェが寮の部屋に案内してくれたあの日、彼女は「まだ早い」と言っていた。わたしはそれをもっと遅い時間にする挨拶なのだろうと解釈していたけれど、「四つ灯の魔法も使えない子供にはまだ早い」という意味だったのだ。
だからそれを聞いたとき、わたしはメウジェに認められたような気がして嬉しいようなくすぐったいような気持ちになったものだ。
わたしはいつの間にか、子供でいることに慣れてしまったらしい。
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