第56話 空を飛ぶ(2)
獣に襲われる――そう思った瞬間、デジトアが手にしたアクゥギから、ふぁ、と音が広がった。
すぐに彼の低い声も乗せられる。想像よりもずっとやわらかな声。教師全員がうたうところは何度も見ているが、彼がひとりで演奏するところを見るのははじめてだ。思わず口を閉じそうになって、しかし彼の軽い睨みによって続けさせられる。
翼を持つ者 汝の心 瞳を閉じ 我とともに
翼を持つ者 汝の姿 耳を開き 我とともに――
まったく違う曲のようだが、うまく拍子をとれば調和することに気づいた。掛け合いみたいで楽しくなってくる。
今のわたしの声は高い子供のものなので、ひょっとしたら教育番組に出てくる「親子でうたおう」という目的の曲のようにも聞こえるかもしれない。
とにかくそうしてうたっていると、一羽、一匹、一頭……とこちらに向けられた視線が外れていくのがわかった。それでもまだ見てくる鳥が何羽かいて、その鳥たちはぺこぺことわたしの足もとに歩いてくる。
「ここまで絞ってもこれだけ寄ってくるか」
デジトアの呆れた様子に、彼が演奏していた曲にはフィルターのような役割があったことがわかった。本当ならもっと少ない数の鳥が寄ってくるはずだったけれど、どうやらここには相性の良い鳥が多いらしい。
「まぁ、良い。……ついてきなさい」
彼のあとに続いて湿地を離れる。後ろを振り返ると、しっかり鳥もついてくる。この前はカフィナと鳥の様子を微笑ましく見ていたが、いざ自分がその立場になると微妙な気持ちになった。
次はこの数羽の鳥のなかからもっとも相性の良い鳥を選ぶ。デジトアは適当に一羽を選んでわたしに抱えさせ、今度は魔力をその鳥に込めながらうたうよう指示した。
……と、わたしはあることに気がついた。
「あの、直接魔力を込めたら、急に魔法石になるなんてことはありませんか?」
「調整できぬのか?」
「……頑張ります」
何も考えずに込めるだけなら良いのだが、調整しつつ――それも生き物に――となると途端に緊張する。わたしはフラルネを作ったときのことを思い出しながら、慎重に魔力を込めた。
「……わっ」
急に背中がむず痒くなって、抱えた鳥を落としそうになる。鳥がじっとしていてくれたのが幸いしてなんとか落下は免れたが、変な感覚は消えない。
……鳥の身体の感覚?
そう思ったのは、あるはずのない羽が背中にあるような感覚を覚えたからだ。
同調、とでもいうのだろうか。その感覚は羽だけではなく、頭から足の先まで全体に及んでいるようだった。普段でも意識しないような関節の動きや血液の流れる感覚までもが含まれていて、五感がいっきに拡張されたように錯覚する。……いや、これはもう錯覚の域を超しているか。
「……す、すごいですね」
「羽の感覚がわかるだろう。ほかの鳥でもやってみなさい」
言われるままに違う鳥を抱えて、魔力を込めながらうたう。感覚が同調すると、確かに先ほどの鳥とは何かが違うことがわかった。何というか、こう……自分の身体に近い気がしたのだ。それに――
「何だか、身体の隅々まで自分の意思で動かせそうな気がします」
「こちらのほうが相性が良いということだな。身体の構造を理解することも重要だ。その調子ですべて確認するように」
……ものの構造を知ること。それは壊すことにも、作ること、直すことにも繋がる。
マクニオスには病院があるように思えなかったけれど、案外、医療は発達している――というより、個人で何とかなってしまうものかもしれない。
そう思うとわずかに肩の力が抜けた。自分で空を飛ぶことに対して、それなりに心配もあったのだ。
「このように身体の構造を知ることができるなら、怪我をしてしまっても大丈夫そうですね」
――何となく呟いた言葉が、まさかとんでもない失言であることなど、誰が想像できようか。
「……そなたは何をするつもりなのだ?」
ひっ――と息が詰まった。
その声には、強い懐疑と嫌悪が込められていた。いつもは感情の起伏を感じさせないデジトアの声色とは明らかに違っていて、背中に怖気が走る。
「な、何とは……? 万が一、の話ですよ?」
「怪我をすることは許されぬ」
「え?」
突然繰り出された要求に、わたしの頭は疑問でいっぱいになる。
何故デジトアは怒っているのか、何故怪我をすることが許されないのか、意味がわからなかった。
「えっと、万が一はありますよね。わたしも別に、怪我をしたいと思っているわけではないのですけれど」
しかし、彼の眉間に寄せられた皺が消えることはない。
「我々の身体は神が創ったものだ。それを傷付けることが許されるはずないであろう」
「……そうでした。わたし、怪我はしません」
そこまで言われてようやく納得がいった。半ば反射的に同意する。
迂闊だった。そして改めて実感する。自分には宗教的な価値観がまったく備わっていないことを。知識として知っていることは増えたけれど、それが実生活に繋がっていないのだ。
マカベの行動がゆっくり丁寧にとされているのには、怪我防止、という側面もあるのかもしれない。
「羽を作成すれば行動範囲が大きく変わるが、そのことを努々忘れぬように」
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