第51話 やらなくてはいけないこと(3)
自分以外に誰もいない寮の自室で、無心になってアクゥギを
起床から昼食までのこの時間が、心安らぐ唯一の時間と言っても良いだろう。
ヴウゥゥ――……
しかし、楽しい時間はとても短い。聞き慣れた唸る音に、わたしは鍵盤に乗せていた手を正面の装飾にかざした。しゅるりと黒い魔法石になったアクゥギをフラルネにはめる。
ひらり、ひらり。
誰も見ていなくとも、自然にさばいたツスギエ布が舞う。今日は薄灰色と橙色だ。
寮を出て、共用棟の入り口でカフィナと待ち合わせ、食堂に入った。毎日同じ流れ。昼食をとれば、講義の時間がやってくる。
十二の月の課題は
「ご存じの通り、四つ灯の魔法は、各土地の神殿にあるラッドレに魔力を溜めるための魔法です。年が明けて十歳になれば、みなさまも一日に四回、魔力を溜めることになります。マカベの重要な役割ですから、今月のうちにできるようにならなければいけませんよ」
そういえば、入舎の儀でも、彼女は四つ灯の魔法はマカベの義務だと言っていたか。……一日に四回。魔力を、神殿に溜める――。
わたしはマカベの儀が終わったあとのことを思い出す。
夕暮れ時。ヴウゥゥ……と神殿の木が唸り、大人たちが何かを呟いていた。
よく聞き取れなかったあの言葉は四つ灯の魔法のイョキで、煌めく光の粒――魔力を溜めていたのだ。
日の出の
木が唸るたびに人びとはイョキを唱える。
そうして溜められた魔力は、神殿にいるサアレによって土地のために使われるらしい。土地の序列はここで残った魔力の量で決まるので、サアレの采配が重要なのだという。
「……カフィナ様。サアレ、というのは、どなたかご存じですか?」
わからないことがあるとき、わたしは隣のカフィナに小声で訊く。彼女に頼りすぎている気がしないわけでもないが、少なくとも表面上は、にこやかに答えてくれるのだから仕方ない。
今回も、カフィナはふわりと微笑んで、同じように小声で説明してくれる。
「神殿をまとめているかたですよ。将来はクスト――ええと、クストというのは神殿の木立の者です。マカベの木立の者はレイン様のお父様ですから、同じですね。サアレのあいだは土地を、そしてクストになってからは、マクニオス全体を支えてくださるのです」
「……もしかして、マカベの儀にもいらっしゃいました?」
「えぇ。ジオ・サアレはとても華やかでいらっしゃいますから、遠目にもよくわかりましたよね」
クスクスと笑う彼女の横で、わたしはこっそり息を吐く。
忘れもしない、あの金色のマントをなびかせる華やかすぎる男性。眩しすぎる笑顔。
そんなジオ・サアレに目をつけられたら、と想像して、わたしはぶるりと身体を震わせた。……絶対に嫌だ。頑張って四つ灯の魔法を習得して、しっかりマカベの勤めをはたすこととしよう。
ところで、ウェファは魔力を神殿のラッドレに溜めると言っていたが、ふと、ついこの前ラッドレという単語を耳にしたな、と思った。
わたしがそれを思い出す前に、離れた席から質問が上がる。
「私たちが身に着けている耳飾りも、ラッドレですよね? 同じものなのですか?」
そうだった。ラッドレ、琥珀色の魔法石がはめられた耳飾り。
デジトアはこれを「漏れた魔力を吸収してくれる」と言っていたので、確かに魔力を溜めるという点では同じように思える。
その質問に、ウェファは少し困ったように右手を頬に当てながら微笑んだ。
「厳密には、この耳飾りはテテ・ラッドレと言います。魔法ではなく、魔術の魔道具ですから。魔術については、みなさまが中級生になったらお教えします」
……魔術。魔法とは違うのか。
いけない。わからないことが多すぎて頭が破裂しそうだ。
ひとまず魔術のことは忘れることにしよう。中級生ということは二年後で、それまでわたしがマクニオスにいるかも不明なのだから。
四つ灯の魔法のマクァヌゥゼ、その楽譜が配られると、子供たちがざわりと戸惑いの声を上げた。
わたしも楽譜を開く。
一枚目の記譜用紙を見て固まり、二枚目の歌詞を見てもう一度固まった。
随分と尖った曲だ。前衛的というか……まぁ、楽しそうではあるけれど。マクニオスでははじめて目にする形式の曲だと思う。
そしてびっしりと紙を埋めつくすように書かれた、わけのわからない言葉の羅列――ではなく、歌詞。
ものすごく難しそうだったが、しかし、実際に演奏してみるとフェリユーリャのときと比べて魔力の動く感覚を覚えるのは簡単であった。変な拍子やうたいにくい歌詞のためか、魔力の動きが特徴的でわかりやすいのだ。
そしてこの感覚が、何となく、本当に何となくだけれど、神さまに近い感じがした。
ヒィリカが神さまを呼び出すためにうたっていた、あの早口讃美歌を聞いたときと似ている気がする。
「マクァヌゥゼの感覚を覚えたら、膜の中にいらしてくださいね。こちらでイョキの言葉をお伝えします」
四つ灯の魔法を使うのは、十歳になってから。そのため、課題の合否は実物のラッドレに似せた、特別な魔道具で判定するらしい。薄くて丸い金属板に四つの魔法石がはめられていて、自分の出身地に対応するそれが光れば良いという。
さっそく、教師に囲まれた光の膜の中へ入る。
教えられた言葉に、わたしはさらにもう一度固まった。
同時に、なるほど、と思う。
口の中で何度かその言葉を転がし、身体に馴染ませる。マクァヌゥゼのあの変なざわつく感覚を、この言葉に込める。きっと、できる。
目の前の魔道具を見つめながら、わたしはその言葉を、四つ灯の魔法のイョキを、口にした。
――シェツチィス・スツティッテ・ヒッフェホヒャ・ミミェヌネメ。
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