第50話 やらなくてはいけないこと(2)

 略式魔法には、イョキとキッハという形態があるらしい。それぞれ前者は音楽による魔法に、後者は絵画や舞踊による魔法に対応しているという。

 簡単な説明を聞いたところで、わたしは自分の知識と照らし合わせてこのように解釈した。


 ……イョキは呪文みたいなもの。女性のキッハは魔法陣で、男性のキッハは印相。


 絵画と舞踊を教わるのは初中級生になってからなので、今年やるのはイョキだけだ。それも魔力を光らせて灯りにするという、かなり初歩的な感じの魔法。

 まずはもととなる魔法の曲――魔法になる芸術を、全部ひっくるめてマクァヌゥゼというのだということも教えられた――を覚えなくてはいけない。配られた楽譜を見てみてると、明るめの曲調で、簡単そうだ。簡単すぎて、どうしてこの課題が最初ではなかったのかと思う。

 ……いや。思って、いた。


「マクァヌゥゼは簡単なので、君たちにもすぐに演奏できるはずだよ。……けれど略式魔法として使えるようになるためには、マクァヌゥゼを演奏したときの魔力の動きを覚える必要がある。イョキを発したときにも同じように魔力を動かせるようにね」


 ……うん? ええと、つまり?


「まずは何度も繰り返してマクァヌゥゼを演奏し、魔力を光らせる魔法を使う感覚を覚える。そしてその感覚を、今から言う言葉に乗せられるようにするんだ――」


 ギッシェが左手の人差し指を立てながらその言葉を呟くと、指先に灯った、赤と銀が混ざったような光が辺りを照らした。

 その魔法は一瞬で、略式魔法がどういうものなのかがよくわかる実演だ。


 そうして、舎生の練習がはじまる。


 今後を考えたら良いのだろうけれど、このひと月は簡単なマクァヌゥゼが繰り返されるのだ。神さまも大変だな、と暢気にしていられたのは一瞬だけだった。

 歌をうたうことでようやく魔力を動かせるわたしが、曲によって細かく変わる魔力の感じを覚えて、それをたったひと言に込めるなんてできるのだろうか。それはつまり、マクァヌゥゼを演奏したときの感覚を骨の髄まで染みつかせるということで。随分と体育会系だなと思ってしまったのは秘密だ。


 略式にできるならそれで良いではないか、神さまのためとはいえ、マクニオスの人びとは本当に美しさにこだわるな、と思っていたけれど。そもそも略式魔法を使えるようにすることがこんなにも難しいのなら納得である。


 そしてわたしは気づいてしまった。

 略式魔法になる魔法は日常的に使う魔法。できなければ落ちこぼれも良いところ。神さまを呼びたいと言うのなら、これくらいはできて当然のはず。

 ……このままでは夢のまた夢だ。


 十一の月も終盤に差し掛かり、わたしは笑われることも気にせずに居残りをしながら練習した。

 何度も何度もマクァヌゥゼを演奏して、目……いや、耳が回る。

 けれど、頑張った甲斐はあった。


「……フェリユーリャ」


 わたしの人差し指に、フラルネと似た、真珠のような色の光がぽぅっと灯る。




 披露会の準備も平行して進めていくなかで、さすがは序列一位というべきか、十一の月が終わる前にスダの土地から招待があった。十人程度の組に分かれて開催するのだが、わたしの組はまだ招待客が決まったばかりのところ。スダの土地の子供たちは、連携もよく取れているらしい。


 わたしが招待されたのは勿論、ラティラがいる組の披露会だ。カフィナも呼ばれていたので、一緒にスダの林へと向かった。


 スダの林で招待状を見せると、クトィに似た魔道具を渡される。琥珀色の魔法石がはめられたそれは、最初にジオの土地の家に入るとき渡されたものと同じような気もする。左手にはクトィを着けているため、右腕に着けた。

 陽だまり部屋に入れば、ラティラが嬉しそうに席を勧めてくる。

 質が違うと、ひと目で感じた。

 壁や調度品にある木目や光沢には品の良さが表れている。正直シルカルが管理している家は別格すぎるので置いておくとして、ジオの土地が管理しているものとの差は歴然としていた。装飾は寒色系でまとめられていて涼やかな印象だが、配置のしかたはわずかな角度にさえも気が遣われているようだ。


 ラティラを中心とした数人が音楽を奏で、披露会ははじまる。

 本来の披露会は大人の時間ということもあり、お酒が振る舞われるものだ。が、未成年が通う木立の舍で同じことをするわけにはいかない。出てくるのはお茶と軽食である。初級生はまだ料理を習っていないので、家政師が作ったものだけれど。


 ……確かに、食材はジオの土地よりもずっと良いものなのだろう。

 濃縮された肉の味。ほど良く脂がのっている魚。噛めば噛むほど甘みを感じる野菜。

 だけど、美味しいかと聞かれればわたしは微妙と答えるだろう。物理的にも冷めているし、味つけにも温かみがないのだ。必ず言わなければいけない感想も、わたしの食事に対する期待感を損なっている。


 改めて、食事というのは環境も大事なのだと実感する。


 日本で、仕事終わりくたくたになりながら買ったコンビニ弁当をひとりでかきこむほうがよほど良かった。

 あれはあれで寂しいものではあるけれど、録画していた音楽番組を見たり、啓太と電話したりして。買い置きしていたこれまた安い発泡酒なんかを流し込んで。

 「ぷはぁ」とか、おじさんみたいに息を吐いたら笑われて。結局彼も同じように「っぷは」なんて言うものだから、笑いがとまらなくて。


 ささやかだけれど、ちゃんと、幸せだった。


 思い出しただけで涙が出そうになって、大きく息を吐くことでそれを堪える。こんなところで泣いたら大変だ。涙は堪えて、でも、この気持ちだけは忘れない。

 ……うん。頑張れる。

 あの幸せを取り戻すためなら。多分、わたし。

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