二十九話 対峙

「誰だお前ら」


 夏樹が助けを呼んで彼の背後に二人が現れるのにはほとんどタイムラグがなかった。しかし真央はそれに驚く様子も無く叶と氷華を睨みつける。彼女のその表情には明らかな敵意が浮かんでいたがそれは二人も同様だった…………相容れない、一目見ただけで両者はそう判断していた。


「ふふん、君のほうこそ…………は、どうでもいいか」


 うすら寒い笑みを浮かべて叶は首を振る。


「名前なんて知ったところですぐに忘れるし」

「同感」


 氷華もそれに頷く。


「叩きのめすだけの相手に名前なんていらない」

「ちょ、ちょっと二人とも!」


 それに慌てて夏樹が叫ぶ。


「ああ、わかっているよ少年…………ちゃんと死なせずに済ませるとも」


 肩を竦めて叶が夏樹を見やり、隣で氷華が頷く。


「そういうわけだよそこの君、優しい少年に配慮して私達は君の命を奪うような真似はしないし大人しく投稿するなら危害も加えない…………個人的には抵抗をお勧めするけどね」

「叶さん!」

「冗談だよ、少年」


 叶はそう答えるが目は笑っていない。


「そう、お前らがなっちゃんに付いた悪い虫ってことね」


 真央の叶と氷華を見る目が冷淡な物へと変わる。


「なっちゃん?」


 しかしそれよりもその言葉が気になったようで叶は怪訝な表情を浮かべる。


「あ、えっと僕の仇名です…………小さい頃真央にはそう呼ばれてたので」

「へえ」


 すっと叶からも表情が消える。


「真央、真央ねえ…………聞く気は無かったのにお姉さん聞いちゃったよ」


 そして次の瞬間には嗜虐的な表情を浮かべた。


「さしずめ君はまーちゃんとでも呼ばれていたのかな?」

「お前っ!」


 これまでとは質の違う怒りを真央が浮かべて叶を睨みつける。


「そう怒るなよまーちゃん…………君とお姉さんは同類なんだからさ」

「同類?」


 その言葉に夏樹は思わず尋ねる。


「どうせあれだろ、少年。彼女は世界を滅ぼすとでも言ってたんじゃない?」

「なんでそれを?」


 ここに来たばかりの叶は知るはずもない情報だ。


「別に約束を破って監視してたわけじゃないよ…………御同輩だって言っただろう? 見ればわかるんだよ、お姉さんにはね」


 やれやれと叶は肩を竦める。


「何せほら、お姉さんもこの世界の何もかもが疎ましくて仕方なかった口だから」


 軽く口にするが相変わらずその表情は笑っていない。


「もっともお姉さんは少年と出会ったことで折り合いをつけることが出来たけれどね。私にとって今も世界は疎ましいものでしかないけれど少年がこの世界を大切にし続ける限りは我慢できる…………少年への愛ゆえにね」


 ふふん、と叶は真央を見て鼻で笑う。


「もっともまーちゃんは少年よりも自分の気晴らしの方が大切らしい」


 それは明らかに自分の方が夏樹への気持ちは上だと見下した視線だった。


「さっきから」


 嵐の前の静けさのようにその声は落ち着いているように聞こえた。


「まーちゃんまーちゃんと馴れ馴れしいんだよお前…………私をそう呼んでいいのはなっちゃんだけだ」


 夏樹の前だから辛うじて理性を保っている、そんな表情を彼女は浮かべていた。


「それは悪かったね」


 しかし叶は意地悪く真央を見やり


「まーちゃん」


 再度そう呼んだ。


「殺すっ!」


 そしてそれはものの見事に真央の理性を消し飛ばした。


「出来るものならね」


 そう答える叶の視線は真央よりやや左、自身が挑発している隙に回り込んで距離を詰めていた氷華へと向けられていた。


「っ!?」


 それに真央が気付く頃にはすでに氷華の拳が降り抜かれていた…………固い岩がぶつかるような音が響いて真央の身体が頭からくるりと回る。


「ま、まーちゃんっ!」


 交通事故のような光景に思わず夏樹が悲鳴を挙げる。


「叶も氷華もや、やり過ぎ! 動けなくするだけって約束したのに!」


 それが精神的な攻撃からの交通事故のような不意打ちだ。流石に悲鳴も上げたくなる。


「少年、お姉さんたちは約束を破ってない」


 ふう、と厄介ごとを目の前にしたように息を吐いて叶は夏樹に答える。


「少年が想像するよりもあの女は厄介な存在だよ…………それを証拠にまだ余裕で動く」

「えっ!?」


 慌てて夏樹が真央の方へ視線を戻すといつの間にか彼女は氷華へ反撃を加えようと拳を振りかぶっていた…………それに氷華が両手を組んで全力の防御の姿勢を見せる。


 普段は物静かだが行動に出ると攻撃的な武闘派、そんな印象を氷華に抱いていただけに防御に集中する彼女の姿は夏樹にとって意外だった。


 ドガッ


 鈍い音共に氷華の身体が浮きあがる。姿勢を崩さず着地して追撃に備える様子は流石氷華といった印象だがいつものような圧倒的な力量による安心感がそこにはない。


「ちっ」


 舌打ちして氷華は真央へと踏み込んで拳を振るうが、今度は躱され真央が反撃を振るう。それを氷華も躱して更なる反撃を見舞うがそれも躱されて…………それを夏樹の動体視力が追い付かないレベルで繰り返していく。


「ああ、これは不味いね」


 その光景に叶が顔をしかめる。


「見た時点で予想はしていたが彼女は氷華より強い」

「っ!?」


 それは氷華の反応から夏樹も勘づいてはいたが、口にされるとやはり動揺する。


「まあ、私らの同類の時点で普通の人間じゃないのはわかっていたことだけど…………少年、彼女から何か聞いていないかい?」


 夏樹たちが世界から逸脱する力を持っていたがゆえに白の神に選ばれたように、真央も同様の理由で黒の神に選ばれたはずなのだ。


「えっと、黒の神からの報酬は自分の力を高めるための方法だって言ってましたけど」

「なるほど、つまり彼女はその力すらまだ使ってないわけだ」


 身体能力をいくら高めたところでこの世界を滅ぼすには効率が悪すぎる。つまり真央には別の力があってそれをまだ使ってないと考えるのが自然だ。


「力って…………」

「お姉さんや彼女はこの世界に生まれた癌のようなものだからね…………例えば私なら念じた対象を量子レベルに分解できる」

「えっ!?」


 これまで全く感じさせなかった情報をいきなり明らかにされて夏樹は動揺する。


「そ、それを真央に使うってことですか?」

「使わない使わない。ちゃんと約束したのに信じてくれないのはお姉さん悲しいなあ」

「あ、えと…………すみません」


 動揺するような情報ばかり明らかになるせいで夏樹もなかなか冷静でいられない。しかしそれで味方である叶や氷華を疑うような姿勢を見せるのは明らかに信義にもとる。


「そもそもお姉さんの場合は研鑽もしてないから大した力じゃないし」


 それは過酷な状況に身を置いて何も考えない様にして来た叶の努力の結果ではあるが、夏樹の知る話ではない。


「それにまあ、お姉さんたちは三人であちらが一人の時点で見えていた結果ではある」


 魔王勢力によって異世界の人類が脅かされたから夏樹たちは代理神に選ばれた。それはつまり真央のほうが代理神として活動したのは先であり、それに対抗するために白の神は夏樹たち三人を選んだという事…………真央一人に対して夏樹たち三人を白の神は必要としたのだ。


「いい加減、うっとおしいぞお前!」


 二人がそんな話をしている間に氷華と真央の間に進展が起こる。怒気と共に真央のその体から真っ黒なオーラが湧き上がってその身に纏わりつく。


「ふむ、いかにもといった力だね」

「冷静に言ってる場合ですか!」


 あれが叶の力のような性質のものであったら物理のみの氷華ではどうにもならない。とは言え夏樹が下せるような判断が氷華に出来ないはずもなく、彼女は即座に肉弾戦に見切りをつけて二人の下へと退いた。


「あれはちょっときつそう」


 端的に二人へ氷華は告げる。


「んー、同類のお姉さんなら耐性はありそうだけど…………氷華と同等の肉弾戦が出来る相手はちときついね」


 夏樹から見れば叶も常人以上の身体能力がありそうだが、それでも氷華に遠く及ぶものではないという事らしい。


「かといって二人がかりもね」

「夏樹が狙われる」

「えっ」


 夏樹は驚くが二人からすれば自明の理だ。この場での真央の最優先は夏樹の存在なのだから二人が同じ立場なら間違いなく彼を攫う。敵対する代理神の排除は別にこの場で行わずとも後日行えばいいだけなのだから。


「なっちゃん、こっちへ来て」


 少し離れたところから真央が夏樹へ呼びかける。彼女は氷華を追ってこちらに近づくこともしなかった…………それが彼を巻き込まないためだという事は馬鹿でもわかる。


「真央、こんなことはやめよう」


 真摯に夏樹は言葉を返す。一度は失敗した説得ではあるがこの場を丸く収めるには他に方法も無い。


「僕は真央にこの世界を滅ぼして欲しくないし、異世界だって黒の神のいうままに人類を滅ぼすなんて間違ってる」


 そう夏樹が頼むと、真央はきょとんとした表情を浮かべる。


「多分、なっちゃんは一つ勘違いをしている」

「え、なにを?」

「黒の神は自分の想像した世界と生物を守りたいだけ」

「!?」


 その意味が理解できるがゆえに理解できず、夏樹は動揺を顔に浮かべる。


「それは、どういう意味?」

「あの異世界を創造したのは黒の神」


 曖昧を許さずはっきりと真央は事実を口にする。


「本来存在しなかった人類を送り込み、異世界を侵略したのは白の神の方」

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