二十七話 長い時間
待ち合わせの場所に向かって歩きながら、真央は自分にとってどんな存在なのだろうかと夏樹は考えていた。付き合いの長さはまだ出会ったばかりとも言える叶たちに比べれば随分と長い…………けれど子供の頃の数年と今の時間は等価とも言えない。
過去の思いでは特別なものではあるけれど、やはり記憶の鮮烈な今の方が優先されやすいのが人間という生き物だ。
「どっちも仲良く………ってそもそもそんな段階じゃないか」
両者は顔を合わせたこともないし叶たちにも真央の素性は伝えていない…………真央に至っては叶たちの存在すら知らないはずだ。
「まずは今日をうまくやらないと」
三人の顔合わせをする前に真央がただの幼馴染であることを証明する必要がある。
まあ、証明するも何も一緒に過ごして何もないことを報告するだけだ。気負って何かしようとする方が違和感は出るだろうし自分は昔のように彼女に接するだけでいいだろうと夏樹は判断する。
「あ、真央!」
待ち合わせ場所の県立図書館に到着すると入り口近くのベンチに腰掛ける真央の姿が目に入った。彼女が静かなところで会いたいというので昨年にリニューアルしたばかり県立図書館を夏樹は選んだ。
リニューアル直後は賑わっていたが今は利用者も落ち着いてゆっくりした時間を過ごすにはちょうどいい場所になっている…………その内氷華を連れて行こうと調べていた場所だった。
「ん」
夏樹の顔を認めて真央がベンチから立ち上がる。
「とりあえず外を回ろうか」
「なっちゃんに任せる」
県立図書館の敷地は綺麗に整備されていて建物の周囲はちょっとした公園のようになっている。今日は良い陽気だしそこを歩いているだけでものんびりとした時間が過ごせそうだ。
「それで」
歩き始めて少してから真央が口を開く。
「なっちゃんは私に何が聞きたいの?」
「何がって?」
その問いの意味が分からず夏樹は聞き返す。
「何か私から知りたいことがあって呼び出したんじゃないの?」
「せっかく再会できたんだからゆっくり昔の話でもしたいなと思っただけだけど」
後から余計な目的が付随したりはしたが、結局のところ本題はそれだけだ。真央に掛けられた叶たちからの疑いを晴らすというのはあくまでおまけだ。
「それが本当なら、少し嬉しい」
「いや本当だけど」
なぜそこを疑うのだろうかと夏樹は思う。
「真央と再会できて僕はすごく嬉しい」
真央を見かけたあの瞬間は大昔に無くした宝物と再会できた気分だった。
「…………馬鹿」
なぜかぼすんと夏樹は横腹を叩かれる。そのまま顔を見られるのを避けるように真央は足を速めて先へ行ってしまった。
「でも、偶然見かけるまで私のことは思い出さなかったんだよね」
けれどその後ろ姿から小さく、彼女が呟いたそんな言葉が聞こえた。
思えば真央の言う通り夏樹は彼女のことを思い出すことはほとんどなかった。彼女が転校してしまった時は寂しさに涙を流した記憶もあるが、人間は今に慣れる生き物であり真央のいない生活にも夏樹は次第に慣れていったからだろう。
「えっと、怒ってるの? まーちゃん」
少し歩いた先で真央は立ち止まっていた。僅かに肩を落としたその姿勢は顔を見なくとも気落ちした雰囲気を感じさせる。思わず当時のあだ名で呼んでしまったのは少しでも自分が覚えていたことを彼女にアピールしたいと感じたからだろうか。
「私は、この十年間なっちゃんの事を忘れたことは無かった」
その声は明らかに拗ねているようだった。
「僕だって、ずっとまーちゃんの事を忘れてたわけじゃないよ」
確かに毎日真央の事を思い出していたわけではないが、あの時初めて思い出したわけではない。それまでにも何度だって彼女の事を思い出して今はどうしているのだろうかと考えたことはある。
「…………」
「ええとその、これは言うのは恥ずかしいんだけど」
信じる気配を感じない真央の背中に、やむを得ないという表情で夏樹は続ける。
「僕はその…………真央と別れてからずっと友達がいなかったんだ」
恥ずかしい事実ではあるが真央を説得するためにも口にするしかない。
「だからその、まーちゃんのことはよく思い出してたよ」
夏樹にとっては貴重な友達との記憶だからだ。
「その証拠に成長したまーちゃんにすぐ気づいただろ?」
もちろん面影はあるが別れた時と今の真央ではその姿は当然違う。それでもすぐに気づけたのは彼女の事をよく思い出していたからに他ならない…………こんな風に成長しているかもと想像したことだってある。
「なっちゃんも、孤独だったの?」
「…………孤独、と言うほどでもなかったけど」
少し迷うが正直に答える。外で会う友人こそいなかったが両親は構ってくれたし、学校でもクラスメイトから無視されていたわけでもない…………言い方は悪いが上辺程度の付き合いならありはしたのだ。
「寂しくはあったかな」
それでもやはり深い付き合いのできる人間がいないことは寂しさを覚える。真央のことを思い出すのは大抵そんな時だった。
「それならまあ、許してあげる」
「うん、ありがとう」
まだ少しむっとした表情を残したままで真央が振り向く。冷静に考えれば理不尽なのではと思わないではないが、夏樹はこの十年の真央の動向を知らない。
まずはそれを知ろう、そう彼は今日の目的を決めた。
◇
部屋の中は無言だった。ヘッドフォンをしてひたすらにゲームを続ける叶のボタンを押す音と、無言で氷華が本をめくる音だけがそこに響いている…………けれどどちらもそれを楽しんでいるという印象は浮かばない。
どちらもその音は淡々と一定のリズムを刻んでいるように聞こえて、それらはまるで作業のように続けられているように思えた。
「氷華」
ぴたりとコントローラーを握る手を止めて叶が呟く。
「心配なのはわかるが本にあたるのはよくない」
「…………そのつもりはなかった」
答える氷華のその手の本は中心から僅かに裂けていた。
「念の為に部屋のものは頑丈さを上げておいたのだけどね」
部屋の効果は便利なもので、そこにあるものの見た目や重さはそのままに頑丈さだけを上げることも可能だった…………もっともその想定を上回る力を氷華は加えたようだが。
「叶こそ」
少し憮然とした表情で氷華が呟く。
「弱い者いじめは良くない」
他人への関心が薄い氷華にしては珍しく非難めいた声だった。
「これは…………見られてるとは思わなかった」
少しばつが悪そうに叶は頬を掻く。彼女がプレイしていたのは格闘ゲームで、世界の狭間の部屋であるらしいのきっちりオンライン対戦が出来ていた…………そしてずっと叶は対戦相手を嬲るようにしてプレイしていたのだ。
その攻勢を全て完封し、しかしあえて自分からの攻撃は絞り時間一杯を使って倒すような行動を繰り返していた。
「その戦いは楽しくない」
「そこは見解の違いだと思うよ」
夏樹の前では決して見せない嗜虐的な表情を叶は浮かべる。
「私は楽しい」
とはいえもちろん叶も常にそんなプレイをしているわけではない。夏樹がいる時はもちろん氷華がいる時にもこれまではしたことは無い…………大抵は一人の時にストレス解消の一環として行うプレイスタイルだ。
「ふむ、つまり私も同じか」
認めるように息を吐き、あえて視界に入れないようにしていた長机へと視線を向ける。そこには夏樹の名前だけが記されたステータスウィンドウが浮かんでいた。他の情報は必要が迫られた時に浮かぶようになっているので今現在そこから得られるものは無い。
…………何事も起こっていないのは良いことだが、それはそれで苛立たしい。
「待つだけというのも中々ストレスの溜まるものだね」
ご褒美があるからこそ我慢出来ているが、なければもう部屋を出ているところだ。
「同意する」
頷いて氷華はぱたりと本を閉じる。
「じっとしてると落ち着かない」
集中できないから氷華は本の内容がまるで頭に入らなかった。
「いっそ体を動かすのも一つの手かもしれないね」
「…………相手してくれるの?」
「まさか」
叶は肩を竦める。
「憂さ晴らしで壊されたくはないし…………そもそも私が氷華を満足させられるわけないと思わないかな?」
「そうとは思わない」
好戦的に氷華は唇を緩める。
「いい勝負が出来そう」
「だからやらないってば」
困ったように叶は眉を顰める。
「本命の前に同士討ちしてどうするの」
「…………それもそう」
少し残念そうに氷華は表情を消す。
「体動かすだけならジムもあるし、シラネに頼めば模擬戦の相手くらい用意してくれるだろうって話だよ」
それがなぜ自分との戦いになるのかと呆れるように叶は息を吐く。
「ん、止めとく」
しかしそれに氷華は少し考えて首を振った。
「すぐに動けるようにしておきたい」
「ふむ、それは私も同じだね」
つまりは結局のところ我慢するしかないという事だ。
「…………」
「…………」
そして二人はまた無言になる。けれど叶も氷華もゲームや本を再びする気にはならなかった。
「ねえ氷華」
少しして叶が口を開く。
「なに」
それに氷華が答える。
「今日少年が会っている相手がクロだったら、どうやって動けなくするつもり?」
それは叶が夏樹に相手が敵側の代理神でも殺したりはしないとした時の話だ。動けなくすると答えた氷華の言葉の意味を半ば叶は想像していたが、あえて今聞きたかった。
「とりあえず両手と両足を折る」
迷わずに氷華は答える。
「一本は譲ってもらっていいかな」
「…………好きにしたらいい」
「ありがとう」
叶の礼に氷華は小さく頷き、二人は再び無言になる。
そしてただ、その時が来るのを待った。
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