二十六話 明快
「今週の日曜日はちょっとここに来れないです」
「少年、それはまた実にわかりやすい表明をするものだね」
夏樹の表明に対する叶の反応は半ば呆れているようだった。
「正気?」
氷華は端的に、しかし冷え切った目で彼を見る。
「勝負の話を忘れたわけではないだろうに」
「ちゃんと覚えてますよ」
だからこそ夏樹はあえて宣言しているのだ。
「どうせ叶さんの事だから黙って会いに行っても嗅ぎつけるでしょ?」
「失礼な物言いではあるけどまあ事実ではあるね」
叶は鷹揚に頷く。彼女はこの部屋に引きこもっているがそれは必要がないからで、別に精神的な理由などではない。必要となれば叶はこの部屋を出て遠慮なく真央の正体を見極めるべく行動するだろう。
「だったら、最初から伝えておいた方がどちらも後ろ暗くないと思って」
夏樹も叶たちを警戒せずに済むし、叶たちも暗躍することで彼に罪悪感を抱かないですむ。
「つまりお姉さんたちに堂々と監視しろと?」
「いや、その間は干渉しないでくださいってお願いしようかと」
「…………少年」
ますます呆れるような表情を叶は浮かべる。
「お姉さんたちが君の会おうとしている…………彼女を警戒していることは理解してるね?」
「それは、はい」
真央のことは一切話してないのに叶はもう彼女が女であることを確信している。やはり彼女に隠し事は難しい…………夏樹は今回の判断は正解だったと思う。
「それなのになにもするなと?」
「はい」
夏樹としては幼馴染を無用な詮索に晒したくはない…………どうにも目の前の女性は情を抱いていない相手に対しては手段を選ばない気質があるから猶更だ。
「か…………彼女は大丈夫ですよ」
つい真央と言いそうになって夏樹は慌てて訂正する。
「根拠はあるのかい?」
「相手の代理神が同じ世界の確率は低いって話は叶さんがしたんじゃないですか」
「それは少年の縁が絡まなければの話だよ」
その縁は確率を捻じ曲げるからこそ厄介なのだ。
「いや、僕に縁があっても必ずしも相手が逸脱してるとは限らないじゃないですか」
夏樹は世界から逸脱する運命を持つ相手と縁を結んだがゆえに、そうでない人間との縁が結び難くなった。しかし両親のようにそうなる前に結んだ相手との縁は残っているのだ。
真央と出会ったのは幼稚園の頃だから出会いはとても古く、その可能性は十分にある。
「だが逸脱していないとも限らない」
結局のところ夏樹のそれは願望に過ぎない。しかしそれは叶の意見も同じことで、確定した証拠が出されない限りはどちらの意見も可能性の上ではあり得るもの…………つまりは平行線だ。
「そして少年に危険が及ぶ可能性がある限りお姉さんは見過ごせない」
「危険なんて…………」
長く離れていたとはいえ真央は親しい友人だ。彼女の方も夏樹のことは覚えていたし当時のようにあだ名でやりとりをしている…………仮に、もしも彼女があちら側の代理神だったとしても危険な事にはならず話し合いができると彼は思う。
「少年、人間なんて十年も経てば変わるものだよ」
「…………」
否定したかったが流石に夏樹もその可能性がゼロとは言えない。自分自身を例にとってみても子供の頃とは別人といっていい…………けれど、それでも彼は真央が自分に危害を加えるようには思えなかった。
少なくともあの再会の時に感じた親しみは演技には思えない。
「まあ、お姉さんや氷華のように本質的なものは何も変わらないことはあるけどね…………だからこそ厄介なこともあるのだけど」
相変わらず叶の入れるフォローはフォローのようでフォローでない。
「少年、これはあくまで念の為だ」
不意に説得の方向を叶が変える。
「少年がお姉さんの意見を完全には否定できないように、お姉さんだって少年の意見を完全に否定できるわけじゃない…………ただ、可能性がゼロじゃないなら保険をかけておきたいというだけの話だよ」
それは夏樹に歩み寄るように柔らかな声だった。
「お姉さんたちが少年を心配する気持ちはわかって貰えないかな?」
「それは…………」
そんな言われ方をしたら流石に夏樹だって否定はできない。
「それに少年は少しばかりお姉さんたちを警戒し過ぎたと思うよ。仮にその彼女が敵方だったとしても別にいきなり殺したりとか物騒なことはしない…………そんなことをしたら少年に嫌われてしまうからね」
心外そうに叶は肩を竦め、同意を求めるように氷華を見る。
「動けなくする、だけ」
それに氷華は静かに頷く。その動けなくするというのは拘束ではなく恐らく物理的な損傷を与えてだろう叶は思ったが、あえてそれを口にすることもない。
「それにもちろん同席するなんて無粋な真似もしない、遠くからそっと見守るだけだとも」
だから問題ないというように叶は囁く。その主張そのものは変わっていないのに随分と譲歩したように聞こえる。
「い、嫌です」
しかし夏樹はそれに抗う。二人のことは信用しているが、信用しているからこそ信用できない部分もある…………二人は必要とあれば他人に対してどこまでも容赦ないのだ。もしも真央がクロだと判断したら話し合いの前に制圧しようとするだろう。
「…………少年、あまりお姉さんを困らせないで欲しいな」
それに叶の声が少し険の籠ったものになる。優しく諭して駄目ならば強く。それまでとの落差があるからこそそれは強く響く。
「そもそも話した時点でこうなることくらい最初からわかっていただろう?」
叶と氷華は夏樹の安全が最優先であり絶対に折れない。合う相手の安全性を完全に証明できない時点で彼の要求が通る可能性はゼロだったのだ。
「…………わかってましたよ」
もちろんそれは夏樹にもわかっていた。わかった上であえて話したのは最初に述べた通り互いに余計な感情を抱かないようにするためだ。
そしてもちろん、この状況を打破するための手段も用意してある。
「だから僕はその穴埋めの提案も用意してきました」
「穴埋め?」
解決策とはまた違う表現に叶が首を傾げる。
「干渉しないでくれたら二人に同じだけ時間を取ります」
「具体的には?」
「ええと…………つまりはデートしましょう」
二人の自分に対する感情を利用するようで心苦しいが、夏樹には他に交渉材料は無かった。
「少年」
ものすごく呆れるような表情で叶は夏樹を見る。
「駄目、ですか?」
「いや受けるよ」
それはそれ、という表情で叶は答える。
「正直に言えばものすごく美味しい」
そのまま笑みをこぼす。
「氷華は?」
「…………受ける」
向けられた視線に眼を逸らしつつ氷華は頷く。
「ふふん、確かに穴埋めとは言い得て妙だ…………君が見知らぬ女に会うというお姉さんたちのイライラに関しては少年とのデートたっぷりと楽しませてもらうことで穴埋めしてもらうとしよう」
「…………はい」
項垂れるように夏樹は頷く。これ以外になかったとはいえ本当にこれでよかったのだろうかという思いも彼にはある。
「しかしだ少年」
とは言え無条件にではないというように叶は夏樹を見る。
「なんですか?」
「最低限の備えくらいは許して欲しいんだがね」
「…………備え、ですか?」
それでは意味がないのではと夏樹は視線を返す。
「いや、ちゃんと一切の干渉はしないと誓うし監視もしない…………ただ、いざという時にお姉さんたちが駆け付けられる備えはさせて欲しいという事だよ」
「防犯ブザー的な物でも持てってことですか?」
つまりは咄嗟に助けを呼べるようにしろという事なのだろう。
「いやいや、それじゃあいきなり拘束されたり意識を失ったらどうにもならないだろう?」
「それはそうですけど」
そもそもそんな事態が起こると夏樹は考えたくもない。
「でも離れ場所で咄嗟に助けを呼べるような物なんて他にありますか?」
電話などで悠長に助けを呼べない状況でもワンアクションで助けを求められるのが防犯ブザーの強みだ…………それ以上に遠くにいる相手に簡単に助けを呼べる方法などあるだろうか。
「簡単だよ、シラネ」
「はいなのです」
名前を呼ぶとそこにシラネの姿が現れる。
「勇者のようにこの部屋で少年の状態を確認するようにできるか? もちろんプライベートに配慮して最低限の情報だけでいい…………少年が助けを求めたらそれを表示するようにもして欲しいが」
ミレイで同じことが出来ているのだからそれが別の世界であっても可能だろうという理屈だ。
「はい、可能なのです」
それにシラネは頷く。
「形式は同じでよろしいです?」
「ああ、それでいい。位置情報は取得して欲しいがそれは少年が危険な状態になったら開示されるようにしてくれ」
「はい、なのです」
シラネは頷き、夏樹へ視線を向ける。
「よろしいです?」
「…………うん」
正直に言えばよろしくは無いが、叶と氷華を納得させるための最低限の譲歩だろう。
「これでいざとなればお姉さんたちが駆け付けられる」
部屋からの移動であれば危険を感知してからのタイムラグは無い。
「夏樹」
氷華が名前を呼んで夏樹を見る。
「…………頑張って」
そしてあまり心の籠っていない声でそう告げた。
「えっと」
その意図を尋ねたくて視線を向けるが氷華はぷいっと視線を逸らす。
「つまりはだね」
そこに解説するように叶が口を挟む。
「お姉さんたちの出番がないように頑張れってことだよ」
揶揄するように叶が夏樹を見て笑みを浮かべる。
「…………そんな必要ないですよ」
ただ旧友と会って親交を確かめる…………ただそれだけのはずなのだから。
必要のない備え、そのはずだ。
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