二十五話 嫉妬

 緑の神の眠る場所からの撤退は問題なく行えた。そもそも撤退も何も離れたところにミレイを復活させるだけなので不測の事態が起こる可能性もほぼない。森を囲んでいた大軍勢の気配など欠片も感じず夏樹達は無事にミレイを次の目的地へと歩かせることが出来た。


「とりあえず近場の大都市にでも向かわせようか。目立たないためにも神具は使えないからそれなりに時間はかかるが…………まあ、休息期間のようなものだね」


 緑の神の眠る場所に勇者がいた可能性を魔王軍からは隠すのが方針だ。その為にも少し離れた場所で神具を使っていた存在がいたなどと噂されるのも困る。ミレイの強化も多少は出来たとはいえ目標としていた水準には程遠い…………当面は魔王軍や協力者になり得る相手の情報収集をすることに決まっている。


「彼女の様子はどうだった?」

「方針については不満そうではなかったですよ」


 叶に尋ねられて夏樹は答える。隠れて修行の予定がほんの数日で魔王の大軍勢に囲まれるという事態だ。しかもミレイにしてみればその場にいなかったから寝耳の水の話で、氷華の話によれば修行に意欲的だったというし方針変更に不満を抱いてもおかしくはなかった。


 しかし相変わらずの夏樹への信頼か方針変更に関しては不満を述べることは無かった。彼の見たところ不満を隠している様子も無かったのだ。


「方針については、ね」


 しかし夏樹の微妙な言い回しに当然叶は気づいている。


「方針以外では不満そうだったのかな?」

「…………ええ、なんか」


 夏樹はいつも通り接していたつもりなのだが、ミレイはそんな彼の態度に不満があるようだった。


「別に嫌われた感じではなかったんですけど」


 そもそも嫌われているなら方針に素直に従ったりはしないはずだ。


「なんだか妙に浮かれてますねって、嫌味じゃないとは思うんですけど不満そうに」

「ああ」


 それに納得したような表情を叶は浮かべる。


「それはまあ、少年が浮かれているからしょうがない」


 そう口にする叶の表情もどこか不満そうに見える。


「別に浮かれてなんかないですよ」


 しかし夏樹自身は浮かれてないないつもりだからそれを否定する。


「氷華も僕が浮かれてるみたいに見える?」

「…………」


 視線を向けると氷華は答えず、しかし睨むように目を少し細めた。


「えっと、浮かれてないよ?」


 困ったような笑みを夏樹は返すが氷華の表情は変わらなかった。


「少年のその言葉を信じるとして、だ」


 助け舟を出すように、しかし笑みのない表情で叶が言う。


「お姉さんたちが変化を読み取れるような何かはあったわけだろう?」

「!?」


 その指摘には夏樹も表情を隠すのが精一杯で


「別に、何もないですよ」


 否定するその声もいつも通りのつもりだった…………しかし叶の表情はさらに冷え、氷華の目もより細められたような気がした。


「…………」

「…………」

「…………」


 それからしばらく三人で無言のまま見つめ合う。夏樹としては顔逸らしたい気持ちがこれ以上ないくらい湧いていたが、それをすればさらなる追求が待っているのは目に見える。


 否定はしているが夏樹には自分が浮かれているという心当たりがあった。この間に偶然再会した真央のことだ。しかしそれを素直に口にしないのは話せば間違いなく二人は彼女を疑うだろうという気がしたからである。


 夏樹が持つという縁を結ぶ力。

 魔王側の代理神の存在。


 その条件を組み合わせると間違いなく二人は真央を疑うだろう。しかしどう考えても彼女が敵側の代理神なんて可能性は低い。

 世界同士に距離の概念のようなものはあるようだが、それでも無数に存在する世界の中で同じ世界のしかも同じ日本の人間が別々の神の代理神になるなんて確率的に起こったら奇跡だ。


 そもそも夏樹が縁を結んだからといってそれが世界から逸脱する相手とは限らないのだ。確かに自分は縁を結んだ相手に引っ張られて世界から逸脱してしまうのかもしれないが、両親のようにその相手と出会う前に縁を結んだ人間はいる。


 きっと真央は夏樹が引っ張られている相手と出会う前に縁を結んだのだ。


「その、氷華に叶さん?」


 しかしそう言い訳しても二人は多分聞いてくれない。そもそも自分が浮かれているにしても普通に考えれば咎められるようなことではないはずだと夏樹は思う。その理由を聞かれることはあっても、あんな風に睨まれる理由にはならないはずだ。


「とりあえず、お茶でも飲みます?」


 しかしそれで強く出られるようなら夏樹はもっといい人生を送れている。


「少年、少し機嫌を取ればそれで済むと思ってないか?」

「う」


 呆れるような視線に言葉が詰まる。


「それはそれとしてコーヒーはお願いする」

「紅茶」

「…………はい」


 結局頼みはするのかと思いつつも、それに夏樹は逆らえない。


「さて少年」


 受け取ったコーヒーを口にしながら改めて叶が夏樹を見る。


「少年が隠している事には見当がついている」

「!?」

「嘘を吐いてごまかそうとしないのは少年の美徳だが、ただ答えないだけというのはこちらに情報を与えない代わりにそれ自体が判断基準になるものだと覚えておくといい」

「…………」


 下手に嘘を吐いても叶には見抜かれるだけと夏樹は思ったのだが、攪乱程度にはまくし立てておいた方が良かったのだろうか。


「少年の人間性を踏まえるなら全て正直に話して私達にお願いするのが一番だったと思うよ」


 その場合なんだかんだで夏樹に甘い二人は善処してくれただろう。


「あの」

「おっと、それは今更というものだよ少年」


 観念した夏樹だが叶はそれを許さない。


「全てバレてからこちらの温情に期待しようなんて真似は少しばかり見苦しい」

「…………」


 それはその通りだと夏樹も思う。


「もっとも、少年が見苦しくもお姉さんたちに縋るというなら…………それはそれでお姉さん興奮しちゃうかもしれない」


 頬に手を当ててぽっと叶は顔を赤らめる。


「…………しませんよ」


 夏樹だってそこまで言われては流石に男の意地がある。もちろんそんな意地より真央の方が大事ではあるが、ギリギリまでは自分で何とかしようという気になった。


「ふふふ、それじゃあお姉さんたちと少年との勝負だね」


 楽し気に叶が嗤う。


「勝負って…………氷華も?」

「私は興味ない」


 視線を向ける夏樹に氷華はそう答える。


「だけど、頼まれたなら断らない」


 けれどそう続けた。自発的に何かするつもりはないが、叶から頼まれれば手を貸すと。


「…………」


 なんでこんなことになったのかと、夏樹は大きく肩を落とした。


                ◇


「あ、また真央から通知が来てる」


 やや消沈しながら夏樹は自宅に戻り、腰を落ち着かせてからスマホを確認するとSNSの通知が表示されていた。


 あれから夏樹は真央と何度かSNSでやりとりをしている。電話をしたこともあるが基本的には数行のちょっとしたやり取りをすることが多い。その中には時々今やってるソーシャルゲームのアドレスなども送られてくるのでそのゲームの話題を話すこともあった。


 思えば昔も真央は物静かでじっと携帯ゲームを遊んでいるような少女だった。そんな彼女を子供の頃の夏樹は手を引いて無理矢理遊びに引っ張っていったものだ…………今考えるといい迷惑だったろうと思う。それでもなんだかんだと付き合ってくれたのだから彼女は子供ながらに彼より大人びていたんだろう。


 あまり踏み込んだことは聞けていないが夏樹の住む町から引っ越して以降も、親の都合で各地を転々として落ち着くことは無かったらしい。そのせいもあって彼のことは気になっていたが住んでいた場所も朧げになってしまっており、さらに連絡先も紛失してしまっていたのでどうしようもなかったのだという。


 それを考えると再会したのは奇跡のようなもので、それこそまさに自分の縁を結ぶ力あってこそのものなんだろうかと夏樹は思う。しかしその事が叶や氷華に疑念を抱かせる原因にもなってしまっているので一長一短というかなんとも言えない気分だった。


「叶さんと話し合いそうなのにな」


 蓮太もそこそこゲームはするが叶ほどではないし、真央も明らかに彼よりもプレイ頻度は高いように思える。家庭環境からか真央は携帯ゲームやスマホアプリ中心で、叶は据え置き機中心という違いはあるが共通した話題はあることだろう。


「別に不審なところはないし」


 流石に夏樹だって無条件に真央を信用したわけではなく会話の内容に気を配ってはいる。不審な点が無ければそれこそ二人に付きつける証拠になるからだ…………そしてこれまでのやり取りでもこちらが探られているような会話は無かった。


 むしろ当たり障りのない会話が多すぎて少し夏樹は寂しいくらいだ。せっかく十数年ぶりに会えたのだから彼としてはもう少し旧交を温めたい。


「やっぱりもう一度会うように頼んでみようかな」


 直接顔を合わせれば懐かしい記憶も自然と浮かんでくるものだ。その為の文面を考えつつ夏樹がスマホの画面を眺めていると右上のバッテリーを示す表示が赤くなる。


「あれ、もう充電か」


 そんなにスマホを使った記憶は無いのだがバッテリーはもう残り少ないようだった。


「最近やけに切れるのが早いなあ」

 

 そろそろ買い替えるべきだろうか、そんなことを考えながら夏樹は充電ケーブルを探した。


                ◇


「やっぱりおかしい」


 薄暗い部屋の中、ほとんどものが置かれていないその場所で無気力に座り込む真央の手にはスマートフォンが握られていた。そこに通知を示す音とポップアップが表示されるが彼女が気に留める様子も無くじっと画面を見続けている。


「GPSの記録が飛んでる」


 画面に表示されているのは特定のスマートフォンの位置情報だった。基本的には日常的な行動と変わりないように表示されているのだが、ある特定の時間だけその反応が消失してしまっている。


 もちろんスマホのGPSは万能ではない。その電波を利用している性質上圏外では反応が消えるし、電元が落ちればもちろん電波は飛ばせない。しかし街中で圏外になることなどほぼないと言っていいし、今時スマホの電源が落ちたまま長時間放置する人間はいない。


 しかしその記録は間違いなくその対象が定期的にスマートフォンを長時間GPSが働かない状態にしていることを示している…………しかも概ね決まった時間に。


 だが例えば勉強に集中したいからと電源を落とす可能性はあるかもしれない。

 けれどそれとなく聞いてみた感じでは彼はそれほど勉強に熱心ではなさそうだった。


「なっちゃん」


 その事実に真央は小さく呟く。


「なっちゃんも…………私の敵になるの?」


 それはひどく冷え切った声だった。


「だったらやっぱり、こんな世界いらないかな」


 そしてそれは強い憎しみの籠った声だった。

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