二十四話 再会
夏樹にとって自分の世界での暮らしは確かに素晴らしいものではない。多くの人が得ているであろう他者との交流による喜びはほとんどなく、周囲との最低限の付き合いがあるだけだ。
完全な孤独というわけではない…………けれど、それだからこそ余計に寂しさを覚える。愛情の反対は無関心なんて言葉があるけれど、自分は嫌う価値すらない存在なのかと思ってしまったこともある。
「すみません、それでも僕はしがみつけるだけはあの世界にしがみつきます」
なぜならあの世界に何一つとして夏樹に寄り添うものが無かったわけではない。
「両親には今日まで育ててもらった恩がありますし、いつか僕が世界から逸脱してしまうのだとしても返せるだけ返しておきたいので」
生まれたその瞬間に繋がれた大きな縁、それを簡単に切ることは夏樹にはできない。
「少年はまあ、そうだろうね」
わかっていたというように叶は肩を竦める。
「叶さんの方こそ、未練はないんですか?」
「ないね」
迷うそぶりすら見せずに叶は答える。
「両親と仲が悪かったんですか?」
「いいや」
叶は首を振る。
「両親はごく普通にお姉さんを愛してくれたと思うよ? これは単にお姉さんという人間の価値観の問題…………親不孝この上ないことは理解しているけれど、彼らを残していくことにお姉さんは何も感じないんだよ」
その言葉には一切の偽りも感じられなかった。血の繋がる両親ですらそうなのだからただの友人たちに関しては口にするまでもない。
「氷華も同じなの?」
「父も母も私を理解してない」
氷華の返答は端的であり、しかしそれが全てだった。
「ただ、今去るつもりもない」
「ふむ、その理由は?」
「私が消えれば目立つ」
あの部屋を見ても氷華が良家のお嬢様であるのは明らかだ。そんな家の娘がいきなり消えればどうなるかというのは考えるまでもない。そしてこのタイミングで彼女が消えたことが騒ぎになれば相手側の代理神が関連性に気付く可能性もある。
「別に戻るつもりがないならそれでも…………ああ、確かに少年が危険か」
「…………」
氷華が答えなかったがそれ以外に理由は無いと叶は判断する。偶然か必然かこの部屋に集められた三人の居住は近い。氷華の失踪が注目されたとすると当然残る夏樹の存在が相手に気付かれる可能性だって生まれるだろう。
「ま、別に急ぎの話じゃない。二人とも満足するか…………状況がどうにもならなくなってからでも遅くはないとお姉さんも思うよ」
叶が二人を誘ったのはあくまで警告ついでのおまけのようなものだ。状況がもはやどうにもならないようであれば手段など選ばず引きずむ方法を実行している。
「えっと、それじゃあ帰りますね」
「ああおやすみ」
「おやすみなさい」
その言葉で眠気を思い出したような顔をして、夏樹は部屋を出ていく。
「いやはや少年」
続いて氷華も出て行ったところで叶は呟く。
「気づいてるのかな、君は逸脱者との縁ゆえに縁を結べないんじゃなくて…………結んではいけないと感じているからこそ結べていないのだって」
だからこそいつか、彼は自身の世界との縁を自ら切ることになるだろうと。
◇
「結局学校さぼっちゃったな」
あれから自室に戻って夏樹は寝直したが、気が付くと昼になっていた。あまりに気持ちよく眠ってるから起こせなかったとは母親の談だが、そのまま休みにしてしまうことにも反対はされなかった。これはまあ、普段彼が真面目に学校へ行っていた事への信頼からだろう。
「でも買い物頼んで来るんだものな」
暇してるんだからと母親から買い物のメモを渡されて夏樹はスーパーへ向かっている。正直に言えば学校をさぼった身としては出歩きたくなんてなかったが、さぼりを見逃して貰った手前母親の要求を無視も出来なかった。
「全く」
基本的には優しい母親だがそういうところで気遣いが無い。
「そう言えば、この道を歩くのも久しぶりだな」
ちょっとしたものがあっても夏樹は近いコンビニで済ますことが多く、スーパーのある道を使うことはほとんどなかった。もちろん今日のように用事を頼まれることはゼロではなかったが、最近はあの部屋を経由する楽を覚えてしまっていたからだ。
「でも流石に昨日の今日だしね」
念の為に乱用は控えるようにと注意されている。その忠告を平然と破れるような精神を夏樹は持ち合わせていない。
「用件を済ませてさっさと帰ろ…………う!?」
驚きで思わず足が止まる。何の変哲もない道の先に歩く懐かしい顔。その顔を見た瞬間に藤次の記憶が鮮明に思い浮かんで、気持ちまで子供の頃に戻ったように夏樹は駆けだしてしまっていた。
「まーちゃん!」
駆け寄ってその名前を呼ぶとその少女は驚いたように彼の方を見た。長い黒髪に眠たげな瞳と病弱にすら見える白い肌、どこの高校のものだろうか一昔前のような古いタイプのセーラー服を彼女は来ていた。
「なっちゃん?」
少しの間目を丸くしていた少女は思い出したように懐かしいあだ名を口にする。
「ちゃん付けは止めてってずっと言っていたのに」
男と見てくれないことに頬を膨らませていた当時を思い出して夏樹は苦笑する。
「それはなっちゃんだって同じ」
「まーちゃんは女の子じゃないか」
「なっちゃんにそう呼ばれるのは…………恥ずかしいの」
顔を赤くして少女は夏樹から顔を逸らす。それに彼は思わず周囲を見回した…………確かに当時ならいざ知らず高校生にもなってもちゃん付けで呼ばれるのは恥ずかしいことのように思えた。
子供の頃に友人を本当に久しぶりに見かけたせいで、少し興奮し過ぎていたようだと夏樹は自嘲する。
「ごめん、それじゃあ如月……さん?」
「真央でいい」
少し不満そうに少女が夏樹を見る。
「真央、さん?」
「真央」
「ええと、真央」
「それでいい」
満足げに少女は頷く。
「なっちゃんは昔から少し距離の取り方が極端な時がある」
「…………そっちはそのままなんだ」
呆れるように自分を見る真央に夏樹は苦笑する。
「なっちゃんはなっちゃん」
「まあ、いいけどね」
目の前に居るのはそんな少女だったと夏樹はそれすらも懐かしく思える。
「それで」
「うん?」
「なっちゃんはどうしてこんなところにいるの?」
「こんなところって」
首を傾げる真央にむしろ自分の方が聞きたいと夏樹は視線を向ける。
「僕は昔からここに住んでるじゃないか、真央のほうこそいつ戻って来たの?」
真央と出会ったのは幼稚園の頃で、それから小学校の三年までは仲良く過ごしていたけど親の都合で引っ越していったのだ…………それからしばらくは連絡を取り合っていたのに急に音信不通になってしまってずっと心配していた。
「ここが…………ごめん、ちょっと忘れてた」
「忘れてたって」
夏樹は呆れそうになるがよくよく考えれば無理もないかと思い直す。真央がこの街を去ったのは子供の頃だし、昔に聞いた話では両親の実家がある街というわけでもなかったはずだ。
つまりは仕事の都合で住んでいただけで一度離れれば様子を見に来るような縁がある場所ではない。
昔とは風景も変わっているし真央が気付かなくても無理はないだろう。
「それで、真央は何の用で戻って来たの?」
厳密に言えば当人は戻ってきたつもりはないだろうが、ここにいるのだから何かしら理由はあるはずだ。
「私は、ちょっとした用事」
「そうなんだ」
つまりこの街でまた暮らすということではないらしい。流石に用事の内容まではプライベートな話になるし聞けないなと夏樹は判断する。
しかしそう考えると彼女と偶然に再会できたのは類まれなる偶然の重なった結果だ…………まさにこれこそ縁のなせる業かもしれない。
「なっちゃんこそ、こんな時間にどうしてこんなところを歩いてるの?」
そんなことを考えていると今度は真央の方から尋ねて来る。
「僕は買い物だよ」
頼まれた買い物メモを指で挟んで真央に見せる。
「こんな時間の部分に答えてない」
「うっ」
それに夏樹は痛いところを突かれたと顔をしかめる。時刻は昼の二時を過ぎたところで学生の歩いている時間ではないからだ。もちろんそれは同じ年齢であるはずの目の前の少女も同じだが、彼女の方はわざわざ別の街への用事でやってきているのだとすでに明言している。
「学校、行けてないの?」
少し労わるように真央が尋ねて来て夏樹は罪悪感を覚える。
「いや、ちょっと昨日は夜更かししちゃって…………うん、まあサボっただけ」
それで仕方なく夏樹は正直に答える。出来れば久しぶりに再会した幼馴染に明かしたい話ではなかったけれど、だからこそ適当な嘘も吐きたくはなかった。
「夜更かし? 昨日に?」
「え、うん、まあ」
「…………なんで?」
「えっ!?」
問い詰められて夏樹は返答に詰まる。嘘を吐きたくないと思った直後だが、流石に正直に答えるわけにもいかない。
「ええと、ゲームみたいなものをしててさ」
仕方なく嘘とも本当とも取れない曖昧な返答をする。
「ふうん」
幸いにも真央はそれ以上の追及はしてこなかった。
「せっかくだから色々話したいけど、真央も何か用事があって来たんだよね?」
これ幸いと夏樹はすぐさま話題を逸らす。
「用事、うん。出来るだけは早く解決するべき用事なの」
それに真央は頷く。
「僕もさぼりの手前あんまり外にはいたくないし、とりあえず今日はここで別れて今度ゆっくり話さない?」
「なっちゃんがそうしたいなら構わない」
こくりと頷く真央に夏樹はほっと息を吐く。せっかく再会できたのでこの場でお別れではあまりにも寂しすぎる。
「それじゃあ電話番号を交換しようか」
そこでSNSなどが出て来ない辺りが夏樹の交友関係の悲しさだ。
「うん」
しかし特につっこむこともなく真央は頷いて自身のスマホを取り出す。
「それじゃあまた」
電話番号を交換し終えて夏樹は手を振ってその場を去っていく。久方ぶりの旧友との再開にその足取りは軽かった。
「また、ね」
その後ろ姿を真央が見送る。
じっと、夏樹の電話番号が登録された自身のスマホを見据えながら。
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