二十三話 棄郷の誘惑 

「さて、方針は決まったけど…………撤退を選択した以上は急ぐ必要も無くなったね」


 なにせ逃がすべきミレイは最初から回収されている。魔王軍の軍勢も恐らくしばらくはあの場を動かないだろうし、動かそうにもその数が妨げになる。少なくともこの状態から別の場所を捜索するのはそれなりに時間が掛かるはずだ。


「まだ夜中だし二人は家に戻るといい」

「そうですね」


 夏樹としてもミレイの安全が確保されているなら無理してこの場に留まる理由もない。今は目が覚めているが眠った時間を考えれば睡眠時間は足りていない。


 放課後にまたこの部屋にやってくることを考えたら少しでも眠っておくべきだ。


「氷華も帰るよね?」

「うん」


 彼女も同意見のようで頷く。


「それじゃあ僕らは帰ります…………叶さんも休んでくださいね」

「ああ、そのつもりだよ」


 叶は頷き、けれど何かを思い出したように口を開く。


「そう言えば注意しておくべきことがあった」

「なんですか?」

「まあ、念の為程度のことだけどね」


 前置いて叶は説明する。


「この異世界を巡る争いの勝利の為には、勇者や魔王の対処ではなく相手側の代理神を狙うというのも一つの手だとお姉さんは思っている」

「えっ」


 予想もしなかった話に夏樹は驚く。それは言うなれば将棋の盤面で戦っているところでいきなり相手の棋士を叩きのめして勝とうというような話だ…………しかし言われてみれば神々の間に規約はあっても夏樹たちと相手の代理神で戦争のルールを共有したわけではない。


「そしてお姉さんがそう考えるという事は相手も同じことを考える可能性はあるわけだよ」

「それは…………そうですね」


 何度殺しても蘇る勇者を封印しなくても、蘇らせている代理神を直接叩いてしまえば勇者はもう蘇らない。


「もちろんお姉さん達だって所詮は代理。白の神からすれば代わりを用意すればいい話ではあるけど…………そんなに都合のいい代わりがたくさんはいないだろうね」


 話を聞く限り誰でも代理神になれるわけではない。夏樹たちは世界から逸脱してしまうような可能性を持っていて、神の規約の範囲外で任命が可能だったから代理神となれたのだ。そんな存在がいくらでも代わりが利くとは思えない。


「だからこの戦略は有効で注意するに越したことはない…………と、お姉さんは思うのだけど」


 しかしそれほど重要でもないというように肩を竦める。


「そう簡単に私達を特定できるものではないだろうし、何よりも相手が同じ世界の人間とも限らないわけだ」

「あ、確かに」


 そもそも夏樹たちが代理神をやっている先も異世界だ。話によれば世界は無数に存在するらしいので同じ世界から選ばれているかのせいは低いのではないだろうか。


「シラネ、その辺りは?」

「私の持つ情報では明確に答えることはできないのですよ…………ただ、同じ世界の人間が選ばれている可能性はゼロではないと思うのです。確かに世界は無数に存在するですが、世界間の距離のようなものあるのです」

「ふむ、つまり私達の世界はそこの異世界と近いということかな?」

「その通りなのですよ」


 白の神も無数に存在する世界の中で救う対象である異世界と近い世界から代理神を選んだという事らしい…………それはつまり敵対する黒の神も同じ考えの可能性もあるという事だ。


「しかし現状の認識を変えるほどではないな…………何せお姉さんたちの世界に限ったって特定するには人口が多い」

「そうですね」


 無数に存在する世界全体で見れば一部かも知れないが、地球だけで見れば80億近い人口の中かから夏樹たちを見つけるのは不可能に近い。


「この部屋の機能がお姉さん達の世界でも使えるなら話は別だけど、現状出来るのは移動機能程度…………これは向こうも同じと考えていいんだね?」

「はい、なのですよ」


 向けられた視線にシラネは頷く。


「黒の神の側も出来ることは同じと考えて問題ないのです」

「つまりはよほどの偶然でもない限りは見つからないわけだね」


 相手も同じ世界で、同じ日本の、それも同じ地域にでもいない限りは遭遇することだってないはずだ。


「ちょっと心配」


 しかしそれに氷華が口を挟む。その視線は夏樹へと向けられていた。


「えっ、僕?」

「余計な縁を引き込む可能性がある」

「ああ、確かに少年の才能は少し心配だね」


 相手との縁を結ぶ力。夏樹自身は自覚していないがそれこそが彼が世界から逸脱しこの部屋にやって来る原因となった力だ。


「あの、でも縁を結ぶって出会ってもない相手とは不可能ですよね?」


 夏樹の聞いた限りでは出会った相手との縁を深くするようなものだった。そうじゃなかったら今頃彼は世界中の人間との縁が出来てしまっている。


「はい、その通りなのですよ。あなたの力は現状では対面した相手にのみ働くのです」

「ほら、大丈夫そうですよ」


 現状では、という言葉に一抹の不安はあるが。


「少年に対面したことがあったらどうする?」

「えっ」

「子供の頃に会ったことがあるけど忘れている。そんな相手はいくらでもいるんじゃないかとお姉さんは思うね」


 横目で氷華を見ながら叶が口にする。


「あの、でも…………」


 否定はできないが覚えていない相手では夏樹もどうしようもない。


「別にお姉さんも氷華も少年を責めてるわけじゃない。ただ少しばかり気を付けて欲しいと思うだけだよ」

「…………気を付けようなくないですか?」


 縁結びの力も自覚しているわけではないし、それで寄ってくる相手がいたとしても夏樹にはどうしようもない。


「いやだから少年、気を付ける程度でいいんだよ。むしろ下手に動いた方が目立って相手に情報を与えることになる…………だから少年はいつも通りに生活しつつ、この部屋に入るタイミングだけ注意すればいい」


 疑われる要因があるとしたらそれくらいだ。


「当面は少年も氷華もこの部屋を安易に移動に利用せず、確実に人目のないところで入るようにするべきだろうね」

「それはまあ、構いませんけど」


 答えながら夏樹は氷華へ視線を送るが、彼女も問題ないというように頷く。


「でも僕と氷華って、叶さんは?」

「お姉さんはほら」


 手を広げて叶はふふんと笑う。


「そもそもこの部屋から出ないから」

「それ別に自慢できることじゃないですからね」


 なぜ誇らしげなのか。


「なんなら少年もこの部屋で暮らせば確実じゃないかな?」

「いやいやいや」


 流石に無理だと夏樹は首を振る。


「おや残念。ここで暮らせばお風呂上がりのお姉さんとかに遭遇できたりするのに」

「…………お風呂あるんですか?」


 別に風呂上がりの叶に惹かれたわけではないが単純に気になった。


「もちろんあるとも。お姉さんだって毎日お風呂に入りたいからね」


 叶によるとミレイの部屋と同じように別の空間に用意されているらしく、行くことを望めば自然と移動するらしい。


「運動がしたい時用ににジムも作ってあるし、生活するには実に快適な部屋だよここは」

「でしょうね」


 それは夏樹も認める。基幹となっているのはこの部屋で叶もここで暮らしているが、望めばお風呂と同じように個室だって作れるはずだ。


「ふむ、これは真面目な話だけどね」


 不意に表情を改めて叶が夏樹と氷華を見る。


「二人とも本気でここで暮らすというのも一つの手だとお姉さんは思う」

「…………安全のためにですか?」

「それもある」


 しかしあくまでそれは理由の一つだと叶は続ける。


「ぶっちゃけた話二人共もう元の世界で暮らす必要ないんじゃない?」

「いや、そんなことは…………」


 ないはずだと夏樹は思う。


「そう? でも氷華はそう思ってないとお姉さんは思うけど?」

「一理ある」


 叶の言葉に氷華は頷く。


「氷華!」

「そもそもお姉さんたちは世界から逸脱する存在なんだよ、少年」


 氷華へ咎めるような視線を向ける夏樹を嗜めるように叶は見やる。


「いずれは元の世界にはいられなくなるし、現状でも居心地がいいわけじゃない」


 だから叶は迷わず生まれた世界を捨ててこの部屋に引きこもっている。


「そんな、会社選びに失敗したくらいで…………」

「一応断っておくけどお姉さんが世界から逸脱するのはそれが理由じゃないよ?」


 苦笑しつつ叶は氷華に視線を向ける。


「わかってると思うけど、氷華の闘争本能を満たせる存在は私達の世界にはいない」

「…………知ってる」


 氷華の本質は闘争することを求め、けれどそれを満たすに値する存在がいないからこそ世界から逸脱する運命にある。そして彼女の置かれている環境はその本質を唯一緩和している読書を阻害する…………確かに無理して留まる理由が彼女にはない。


「そして少年」


 その視線が再び夏樹へと戻る。


「言っちゃ悪いけど少年には友達がいないよね」

「…………はい」


 嫌われているわけではないが親しくもなれない。それは夏樹がこの世から逸脱する相手と深く縁を結んでしまった結果…………らしい。


 そのせいで彼は普通の人間との縁を新たに結ぶことは出来ないし、いずれは縁を結んだ相手に引っ張られて世界から逸脱する。


「どれだけ世界にしがみついたところで少年は孤独だ…………しかしこちらには少なくとも私達二人がいるし、同じように元の世界から逸脱した存在に出会う可能性もある」


 異なる無数の世界が存在するなら同じだけ出会いもある。確実に言えることは元の世界にいる限り夏樹は誰とも深い関係になることは出来ず孤独であるという事だ。


「少年、そんな世界なんてさっさと見限ってしまったらどうだい?」


 心から夏樹を案じる表情で、この上ない誘惑を叶は彼へと告げた。

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