二十一話 包囲
大森林での魔物狩りが始まって二日が何事もなく過ぎた。ある程度ミレイを強化できたこともあり、氷華の提案通り神具を使わない魔物狩りに切り替えても氷華の技量も相まって問題なく魔物狩りは続けられた。
もちろん魔物を倒すペース自体は落ちた。さすがに神具を使わなければ範囲を攻撃することはできないし、一撃で相手を倒すことも難しい…………それに体力の問題もある。外部から氷華が動かすので死ぬ寸前だろうが気力の問題で動けないなんてことは無い。しかし単純に疲れれば体の反応そのものは鈍るし動く力も残ってないのに動けるわけではない。
基本的に多勢に無勢の戦いを延々と繰り広げるのだから少しでも動きが鈍ればいくら氷華と手捌ききれるものではなかった。そんなわけで何度か死んだりと休憩を挟みながらの魔物狩りとなったので神具を使っていた時のペースとは比べるべもない…………それでもミレイの肉体以外の部分を鍛えられるのだから必要な事ではあった。
何はともあれミレイが傷ついて夏樹が心を痛める以外に問題も無く、夜になりミレイが回収されるまで見届けて彼も家に戻っていた。
「少年」
自分を呼ぶ声に夏樹はうっすらと目を開ける。状況を確認すると自分は布団を被っていて自室のベッドで眠っていたようだった…………それは眠りにつく直前の記憶とも相違ない。
だとすれば叶に名前を呼ばれて目を覚ますのはありえない話だった…………そう、今のは間違いなく叶の声だった。
「叶……さん?」
声が聞こえた扉の方に視線をやると薄明りの中に立つ姿が見えた。なぜか扉に張り付くようにして遠巻きにこちらを伺っているようだが、そのシルエットは間違いなく叶だった。
「何してるんですか?」
寝起きで思考があまり回らずそのまま浮かんだ疑問を口にする。あの部屋を経由すれば夏樹の自室にだって簡単に入れるだろうが、その理由がわからない。
「夜分遅くにすまないね」
近づくことなく距離を保ったまま叶が口を開く。
「夜分って…………」
寝ていたのは確かだが今は何時だろうか、夏樹が枕元に置いてあったスマホで時間を確認してみると夜中の三時だった。
「えっと、こんな時間になんで」
「少しばかり緊急事態が起こってね」
「はあ…………きんきゅうじたい」
回らない頭でその言葉をゆっくりと噛み締める。
「緊急事態?」
その言葉の意味を理解すると同時に意識が一気に覚醒した。
「緊急事態って!? なにがあったんですか!?」
ミレイが最初に殺された時だって叶は夏樹に知らせなかったのだ。その彼女がこんな時間にわざわざやって来たのだからよほどのことだろう。
「まあ、実を言えば窮余の事態というわけでもないのだけど…………早急に方針を決めるべき事態ではあってね。安心させるためにこれだけは先に言っておくけれどミレイは無事でいつもの待機部屋にいるよ」
「そ、そうですか…………」
それを聞いてひとまずは息を吐く。一番最初に浮かんだ不安は一つ消えた。
「ところで叶さん」
落ち着いたことでふと気になることを夏樹は口にする。
「さっきからなんでそんなに遠いんですか?」
彼女は扉に張り付くように立っていて彼に近寄ろうとしない。別に話すのに支障のある距離というわけでもないがなんだか気になった。
「それはね、少年の寝顔を見ないためだよ…………そんなものを見たらお姉さんも自分の中の獣を抑えられそうにないからね」
「そ、そうですか」
もう起きているからいいのではと一瞬思ったが、ならいいかと迫られても困るので余計なことを口にしなかった。
「それはそれとして次は氷華を迎えに行くから少年は着替えてくれ…………その間お姉さんは外で待ってるからね」
「あ、はい」
頷き、叶が扉を開けて外に出るのを見送る。
「えっ」
その言葉の意味に気づいたのはその後だった。
◇
「お、お邪魔します」
仕方ないこととはいえ女の子の部屋に無断で侵入するのは抵抗があった。だから氷華を呼ぶのは叶にやって欲しかったのに、なぜだか彼女はバランスが大事だからと拒否した。
それなら電話で起こそうともと思ったのだが、氷華は就寝時にはスマホの電源を切っているらしい…………結局侵入以外の選択肢は無かったのだ。
「…………」
ここが氷華の自室かと思わず周囲を見回してしまう。部屋は広く夏樹の自室が四つは入りそうなくらいだった。さらに薄明りの中ではあるが置かれている調度品はどれも高そうな物ばかりに見えて、それらを鑑みると氷華は裕福な家庭の生まれなのだと容易に想像できた。
しかし、と夏樹は思う。本好きな彼女の部屋のはずなのに本棚らしきものが無い…………それがきっと彼女が本を彼の家に預ける理由なのだろう。
「…………っと」
目的と関係ないことに思考が行き過ぎたと夏樹は反省する。他人の部屋に無断で侵入して勝手に家庭環境を想像するなんて失礼にも程がある。さっさと本来の目的を果たしてこの部屋を出るべきだ。
「えっと、氷華?」
叶のように扉の位置から呼んでみるが氷華のベッドは部屋の端の方にあり当然気づく気配はない。彼の自室とは状況が同じでもベッドまでの距離が違い過ぎるのだ。もちろん声を張り上げれば届くだろうが、そうなれば部屋の外にも聞こえるような声量が必要になる…………流石にそれはまずいだろう。
で、あれば当然氷華の眠るベッドへと近づく必要がある。
「仕方、ないよな」
自分に言い訳するように口にして夏樹は扉を離れる。単純に軽蔑される懸念もあるし、声を掛けた途端に不審者と思われて氷華のあの戦闘力で粉砕される可能性もある…………だがまあ、そうなったら天罰と思うしかないだろう。
「氷華」
音を殺して近づき、ベッドから一メートルほど手前で立ち止まって声を掛ける。叶のように襲いたくなっては困るからではなく、純粋に無断で寝顔を見るのは悪いと思ったからだ。
「むぅ」
それに氷華が呻くように声を出す。どことなくそれが色っぽく夏樹が聞こえたのはこのシチュエーションのせいだろうか。思わず生唾を呑み込みそうになるが、不埒な考えが頭に浮かぶ前に氷華がもそりと頭を持ち上げる。
「…………夏樹?」
薄明りの中でその視線は真っ直ぐに彼に向けられていた。
「うん、そうだけどこれは事情があって…………」
「んー」
言い訳を口にしようとする夏樹にまどろむような視線を向けて氷華は手招きした。これでぶん殴られるのならそれもしょうがないと彼は素直に従う。
「!?」
その夏樹を黒豹のような素早さで氷華はベッドへと引き込んだ。彼が驚きの言葉を口にする前に羽交い締めの状態となり全く身動きが取れなくなる…………するとすぐに彼女の身体の温かさが伝わって来て夏樹の顔も熱くなる。
「ひょ、氷華!?」
「夏樹、温かい」
幸せそうな心地で氷華が呟く。夏樹にわかるのは間違いなく彼女は寝ぼけているという事だけだった。やむを得ず暴れるようにもがこうとするが…………動くとより氷華の身体の感触が感じられてしまって思わず体が硬直してしまう。
数分後、スマホで助けを求めた叶がやって来るまで夏樹はその状態で耐えるしかなかった。
◇
部屋に三人が揃ったところでとりあえず夏樹はコーヒーを三杯淹れた。時刻は夜中の三時で何時間かは寝たとはいえさすがに彼もまだ眠い。叶の話では緊急事態ではあるが一秒を争うような状況ではないという話だったので、まずは眠気覚ましが必要だと思ったのだ。
「叶さんどうぞ」
「うん、ありがとう少年」
礼を言って受け取るが、夜更かしは慣れているのか叶はあまり眠そうではなかった。
「ええと、氷華もどうぞ」
少し躊躇いつつも次に氷華へと夏樹はコーヒーを運ぶ。基本的に彼女は紅茶派だが別にコーヒーが嫌いなわけじゃなかったはずだ…………もちろん、彼が躊躇ったのはそれが理由ではないけれど。
「…………ありがと」
彼と視線を合わせず氷華はそれだけ告げる。
「その、さっきは」
「忘れて」
「いや、でも」
「忘れて」
謝罪を口にしようとする夏樹に氷華はそれだけを繰り返した。横目に見えるその顔色は真っ赤になっている…………あの寝ぼけて夏樹を抱き枕にした一件は彼女にとってそれくらい恥ずべきことだったらしい。
「それで叶さん、緊急事態って?」
夏樹はあえて氷華を刺激するつもりも無かったので素直に話題を変えた。
「それは見てもらった方が早いな」
答えると叶は長机に映し出された異世界を操作してミレイがレベル上げ中の大森林を映し出す。遠巻きに映し出されたその森の光景は、なるほど確かに見ただけで理解できるような状況になっていた。
「なんかすっごい魔物が集まってません?」
その光景を一言で表すならそれに尽きる。大森林の周囲は平原が広がっていたわけだがその一帯に大量の魔物らしき集団が鎮座して森を取り囲んでいた。向こうもこちらと同じく深夜で闇に包まれているはずだが、月明りなのか叶が光度を調整したのかそれがはっきり見える。
「うん、囲まれているね」
その通りと叶が返す。
「しかもただの魔物の集団じゃなくて統制が取れてる。拡大してみてみると集団の中に人型の奴らが混ざってるのが見えるし…………こいつらが魔族って連中なんだろうね」
言いながら叶が操作すると映像が拡大されて集団の中の人型を映し出す。褐色肌に頭には獣のような角。体格も明らかに一回り人間よりも大きく、強靭な筋肉が民族衣装の様な服の上からでもよくわかった。
「これってつまり魔王軍がミレイを狙って来たってことですよね?」
「そういうことだろうね…………夜襲を懸けて来たってことなんだろうけど、彼女を夜には回収するようにしてたのが功を称した形だよ」
そのおかげで魔王の軍団はミレイを見つけられず待機の状態が続いているらしい。
「でも、なんで急に?」
ミレイの存在はまだ魔王軍にはばれていなかったはずだし、大森林にも彼らの勢力がいないことを確認したはずなのだ。
「それなんだけどね」
少しばつが悪そうに叶が頬を掻く。
「これを見て欲しい」
そして映像を操作すると大森林を更に上空から映し出した。するとそこには空を飛び交う無数の大きな鳥…………いや、鳥人間とでもいうような姿を映し出す。
「どうにもこいつらが大森林を監視していたらしいね。ここに映し出されるのは俯瞰視点でも空の一番上から見えている映像ってわけじゃなかったことに気付かなかったんだよ…………それで空からの監視にも気づけなかった」
例えるなら航空写真と衛星写真の違いだろう。衛星写真であれば空の上から目標物の間の全ての物が映っているが、航空写真であればそれを撮った飛行機より上の物は映らない。それと同じで長机の映像も一定の高度から上は映っていなかったという事なのだろう。
「それに気づかなかったのは私の失態だよ…………申し訳ない」
珍しく殊勝な様子で叶は頭を下げる。いつも飄々とした様子の彼女ではあるが、それも最低限の仕事を果しているという自負の上でのことだったのかもしれない。
「いやあのっ、叶さんに任せきりだった僕も悪いですから!」
そんな彼女の様子に夏樹はうろたえたようにフォローを入れる。
「ふふ、ありがとう少年」
それに叶は普段見せないような種類の笑みを見せて…………夏樹はその表情から少し目が離せなかった。
「それで」
そこに水を差すように氷華が口を開く。
「これをどうするの?」
「それを決めるために二人を呼んだんだが…………その前に確認事項が一つ。そもそも魔王軍が大森林を監視していたこと自体が一つの可能性を示しているとお姉さんは思う」
「…………なんですか?」
「魔王軍は勇者という存在を知っているという事だよ」
だからレベル上げに適した場所に監視を置いていたのだと叶は口にする。
「そんなわけだからシラネ」
その名を呼ぶとどうじにそこにシラネの姿が現れる。
「なんです?」
「一つ聞きたいんだが、私達が白の神の代わりに勇者を導いているように…………黒の神に選ばれた人間がその代わりに魔王を導いている可能性があるんじゃないか?」
「!?」
夏樹はそんな発想を思い浮かべたこともないと驚きを浮かべ、
「はい、その可能性は十分にあるのですよ」
そんな彼を余所にシラネはあっさりと肯定の意を示すのだった。
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