二十話 森での始まり
森に侵入したその日は結局魔物狩りの為の準備にあてがわれた。叶はレベル上げの場所を森の中心部分と決めていたらしく、中心付近とその道中にいくつかの中継地点を作っていた。
なにせ森の中では平地のように穴を掘って埋めるわけにもいかない。仕方なく大きめの木を選んで高所に設置することにしたが、気を登る様な魔物が存在煤することと枝を組んで作った土台の不安定さもあって壊されることは前提のようなものだった。
それでも無事に残ってくれれば一々日を跨ぐたびに移動する必要がなくなる。流石にミレイを森の中で一夜過ごさせるわけにもいかないので日の終わりには回収する予定だが、中継地点が壊されればその度に森の入口から移動する羽目になるのだ。
「うん、大丈夫のようだね」
そんなわけで翌日に三人が集まったところで改めて叶が中継地点の確認をしたが、壊されることもなく無事残っているようだった。
「えっとじゃあ」
「本格的なレベル上げの始まりだね」
伺う夏樹に叶は頷き、氷華へ視線を向ける。
「氷華、今日は存分に暴れていい…………まあ、あまり派手にはやらないで欲しいけど」
「わかってる」
風纏いの力を最大限使うのは森の中心に台風を発生させるようなものだ。そんなことをすれば森の外からでも異常があることがわかってしまう…………それくらいの分別はちゃんと氷華にもあった。
「えっと、氷華!」
空間を移動しようとする彼女を夏樹は呼び止める。
「なに?」
「その、なにかあるってわけでもないんだけど」
夏樹の持つ才能についての話以来彼と氷華はあまり話せていなかった。祖父の書斎にもよる事無く直帰が続いていたし、別に夏樹を避けているわけでもなかったけれど話しづらい雰囲気だった。
このままでは駄目なことは夏樹にもわかっていた…………けれどようやく声を掛ける勇気が出たのが今日だったという話だ。
「が、頑張って」
「ん」
しかし気の利いたセリフが出ることなくエールを送るに留まる…………それに氷華はそっけなく、けれどどこか満足そうに頷いて部屋から消えた。
根本的な問題が解決したわけじゃないが、これで次から夏樹ももっと気楽に氷華に話しかけることが出来る。
「うんうん、よく頑張ったぞ少年」
ほっと息を吐く夏樹に後ろから叶が抱き着いてきた。
「か、叶さん!?」
柔らかくて温かい感触にいきなり包まれて動揺する。咄嗟に夏樹は抜け出そうと身じろいだが、しっかりと両腕で抱えられて全く動けなかった。
「は、離してくださいよ」
突然のスキンシップに夏樹の顔は真っ赤になっていた。
「い、や」
答えるその表情は見えなかったが、夏樹には楽しそうににやつく叶の顔が容易に想像できた…………実際は辛抱堪らないという表情をしているのだが現状に差異は無い。
「ふふん、氷華だけじゃなくお姉さんにも少年はいい思いをさせて貰わないとね」
「べ、別に氷華に何かしたってわけじゃ」
なんとなく気まずい感じだったのを解消しただけだ。
「その気遣いが垂涎もののご褒美じゃないか」
「意味がわかりません」
傍から見ればこの状況でご褒美を貰っているのは夏樹の方だ。
「お姉さんだって少年に構って欲しいんだよ」
「…………結構構ってますよね?」
氷華は口数が少ないのでこの部屋での会話は大体叶とになる。
「そういうのじゃなくて、氷華は何度も家に招いているみたいじゃないか」
「だって叶さんここに住んでるじゃないですか」
誘うもなにも夏樹が知る限り叶はこの部屋を出ていない。
「お姉さんが言いたいのはそういう事じゃなくてね、少しばかり私にも寄り添って欲しいなあと思うのだよ」
「寄り添うって…………」
つまり距離を縮める努力をしろという事だろうかと夏樹は思う。確かに氷華に対しては共通の趣味として読書で交流を深めているが、叶には頼まれたこと以上のことはしていない気がする。
「えっと、今度一緒にゲームでもします?」
そう言えば昨日も誘われたが断っている。叶と会うのがこの部屋だけのせいでどうにもただ遊ぶのは気が引けていたのだ…………ミレイに悪い気がするせいで。
「よし!」
明らかに弾んだ声にそれでいいんだと夏樹は少し気が抜けた。
「ではそろそろ氷華の仕事ぶりでも確認しようか」
気を切り替えたように叶がそう言う。
「それは賛成ですけど」
賛成ではあるのだけど。
「なにかな、少年」
「離してはくれないんですか?」
「せっかくだからこのまま見ようじゃあないか」
明るい声のまま返答がされる。
離してはくれないらしかった。
◇
魔物を狩り続けるミレイの姿はやはり移動の時と同じく目まぐるしかった。
熊のような魔物の首を半月を描くような蹴りで刈ると、そのまま宙へと駆けのぼって巨大なモモンガのような魔物の胴体を蹴り上げてへし折る…………その反動とも言えないような軌道で斜め下へと落下するとそこにいた巨大なカマキリの頭を踵落としで粉々にする。
さらには地面と着地と同時に突風を発生させて着地の隙を狙って殺到した魔物たちを怯ませた。
そこからはまるでバレエでも見ているようだった。両足の風纏いの一方を軸に、その逆を軸にとくるくると宙を回るようにミレイの身体が魔物たちの間を行き来する。しかし殆どすれ違うだけのようなその交差で魔物の首が落ち、心臓が貫かれ、正確にその命が刈り取られていく。
夏樹が見始めてほんの数分と経たないうちに十数体もの魔物が光の粒子となって回収されていた。
「氷華もすごい、けど…………ほとんど絶え間なく魔物が寄って来てません?」
殺した端から
なにせ一種類の魔物だけならそう言うこともあるかと思うが、集まってきているのは多種多様な魔物たちだ。異なる種族の生き物たちが獲物の奪い合いをすることもなく一糸乱れず行動するといのはどう考えてもおかしい。
「それが魔物の本能ってことなんだろうね」
魔物はまず本能的な優先事項として人間を敵として殺すことがある。情報収集の過程で叶も魔物同士の争いを何度か確認しているが、その場に人間がいる時だけはいがみ合っていたはずの魔物も協力するようにして人間を襲うのだ。
「でも、昨日は…………」
「昨日は準備の為に出来る限り戦闘しないように立ち回って貰ったから気づいた魔物も少なかったんだろうけど…………今日はこれだけ血の臭いを撒き散らしているからねえ」
魔物を殺すことそれ自体が撒き餌をしているようなものだ。普通の野生動物だって血の臭いは敏感なのだからそれよりも身体能力が高い魔物であればなおさらだろう。
それに魔物だって他に人間がいることを知らせることもできるだろう。そして魔物の身体能力があれば遠くからでもあっという間に集まることが可能だ…………実に都合がいい。
「まさに入れ食いというわけだ」
「いやでも、本当に終わりがなさそうなんですけど」
目に見えてミレイが、つまりは氷華が無双しているのは確かだが…………いくら強くても人は数には勝てない生き物だ。動けばいつかは体力が尽きるのだから、際限なく現れる魔物の姿には不安しかない。
「全く少年は心配性だねえ」
微笑ましいものを見るようにぽんぽんとその頭を軽く叩く。
「昨日も言ったと思うけど氷華はあの神具を完全に使いこなしてるからね、激しく動いてるように見えても体力の消耗なんてほとんどないよ」
氷華はミレイ自身の力はほとんど使わず神具で発生させた風邪を推力にしている。魔物の攻撃も完全に躱しているし負担はほぼゼロだ。
「でも、完全に消耗しないってことじゃないでしょう?」
「そりゃあねえ」
推力は神具に任せても体のバランスは自身で取る必要がある。そういったほとんど力みのない動きでも繰り返せばそこに少しずつ疲労は溜まる…………そして現状際限なくそれを繰り返す状況であるのも確かだ。
「でもね、忘れてるとは思うけど少年」
「回収をお願い」
「そうそう、限界が来たら一旦回収してやれば…………って」
そこまで口にして間に挟まれたのが夏樹の声じゃなかったことに気づく。
「氷華! 回収って何か問題でもあったの!?」
慌てて夏樹が尋ねる。姿は見えないが向こうの声が届いたようにこちらの声も届いているはずだ。しかしその間も彼はミレイが魔物を倒し続ける映像を見ていたが、何か問題が起こったようには見えなかった。
「ちょっと相談」
短く氷華が答える。恐らく相談事が浮かんだがさすがに戦いながらではミスが起こる可能性があるのだろう…………実際にミスしたところで結局はミレイを回収すれば済む話だが、どちらが夏樹に対する印象が良いかは言うまでもない。
「少年」
「すぐに回収します」
念じてミレイを光の粒子へと変えて彼女の待機部屋と回収する。それから程なくして二人の前に氷華の姿が現れた。
「…………なんでくっついてるの」
そして不機嫌そうに二人を見る。
「こ、これはね…………」
「軽いスキンシップだとも、なんなら氷華もくっつけばいい」
言い訳を探そうとする夏樹をよそにしれっと叶は言いのける。
「いや何を言って」
るんだと叶を問いただそうとする前に音も無く氷華が忍び寄っていた。
「…………」
そして叶が後ろからならば自分は前からというようにその両手が開かれる……………しかしそれが閉じることは無かった。
葛藤の表情と共にその頬が僅かに赤らみ、自分には無理だと言わんばかりに力なく両手が垂れる。
「ん」
けれどその代わりに夏樹から見えないよう顔を背け、そっと身を寄せて彼に肩を預ける。
「えっと、その、僕はどうすれば…………」
ここまでされて人の好意に気付かぬほど夏樹は鈍感ではないが、動揺せず対応するにはあまりにも経験が足りなすぎる。
「とりあえず、氷華の話を聞こうじゃないか」
「…………このままでですか?」
「もちろん」
当然のように叶は頷く。
「それが少年の役目だからね」
「…………」
自分はぬいぐるみか何かかと思ってしまうが。確かにまず氷華の話を聞く必要はあった。彼女がわざわざ自分の好む戦いを中断してまで戻ってきたのには理由があるはずだからだ。
「氷華?」
仕方なくそのままの体勢で氷華に尋ねる。
「勇者の育成についての話」
彼に身を預けたまま氷華が答える。
「彼女には見稽古をさせていた」
見稽古とは見本となる動きの相手を見て学ぶことだ。ミレイの場合はそれよりももっと効率的で、氷華が動かす自分の体の動きで直接学ぶことが出来る。
氷華は彼女にその動かし方を覚えるだけではなく、戦闘においてどの敵から仕留めていくかなどの戦術的な面も学ぶように指示していた。
「それの何か問題が?」
「問題はあの神具」
予想外の物を氷華は口にした。素人目から見ても風纏いは正に神具という性能で何か問題があるようには思えなかったからだ。
「あれは便利過ぎる…………違う、戦い方が特化し過ぎる」
「ああ、なるほど」
それだけで察したらしく叶は視線を上げる。
「つまりはそれ以外で戦えなくなる可能性が出てしまうと」
風纏いの性能をフルに活用すれば氷華がやっているようにそれ自体が要となった戦い方になる。当然だがその戦い方は風纏いあってのことで、それが無くなれば完全にその戦い方は出来なくなる…………代わりが利かない武器なのだ。
「基本があればいい、けど彼女にはない」
氷華も風纏いを使っているが彼女には基本となる動きがある。それがあるから初めて使う風纏いにも対応できたし、それが失われても即座に基本に戻って対応できるだろう…………しかしミレイにはそれがない。それどころか風纏いを使った動きが基本として叩き込まれてしまったら今後他の神具を手にした際にも困るだろう。
「つまり風纏いを使わず魔物狩りがしたいってこと?」
「うん」
氷華は頷く。しかしその場合効率が明確に落ちるからこその相談だ。今しがた狩った分でまた強化は出来るだろうが、それでも魔物を狩るスピードは落ちるだろうし、披露するペースが段違いとなり魔物に殺されることも増えるだろう。
「んー、まあ仕方ないね」
それでも叶は承諾する。レベル上げのスピードは重視したいがそれで根本に歪みが生じても先々で困る。一から覚えるのと違って一度覚えたものを修正するのは難しいからだ。
「それで少年もいいだろう?」
「えっと、まあ」
ミレイが傷つく可能性が増えるのは少し嫌ではあるが、反対できるような話でもない。
「じゃ、そういうことでいこう」
効率が落ちることを叶はあまり問題視していなかった。結局はミレイが強くなるまで敵側に見つからなければそれでいいのだから…………その為に、設けた中継地点を通して監視の目がないか確認することを彼女は怠っていなかった。
「キョウハ、モリガサワガシイ」
ただその視界の外から俯瞰するその目に、彼女は気づいていなかったのだ。
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