十九話 鳥の目

 位置関係で言えば緑の神の眠る場所と呼ばれる大森林はミレイの村から北西の方角にあったらしい。

 例によって彼女の強化を移動特化のものに偏らせ、日中は周囲に警戒しながら移動させて夜は部屋に回収するという形で移動させる。


 ミレイはまず北へと連ねる山々を踏破し、その後は海沿いに大森林を目指した。


 元々叶は検討中もミレイを大森林の方へと歩かせていたらしく、辿り着くまでにはそれほど時間はかからなかった…………そんなわけで、茨狼の討伐からおよそ一週間でミレイの眼前には果ての見えない緑が広がることとなった。


「どうすればいいって聞いてますね」


 念話で伝わって来るミレイからの言葉を夏樹は口にする。これまで彼女は指示の通り迷いなく進んでいたが、目の前に広がる大森林は考えなしに飛び込むことを躊躇わせるような存在感がある。


「まずはリスポーン地点の確保だ。彼女に適当な場所に穴を掘らせてくれ…………そうだね、目印になるようなものが何もない平地の方がいい」

「穴、ですか?」

「うん、掘り返されないよう二メートルくらいは掘らせてくれ」


 そのためにわざわざミレイの荷物に叶はスコップを持たせていた。


「表面の土は偽装の為にも他の土と混ぜないようにも伝えて欲しい」


 せっかく埋めても他の場所と色が違えばそこに何かあると分かってしまう。


「えっと、何を埋めるんですか?」

「何をも何も、セーブポイントだよ」


 白き神を祀る簡易神殿。それは周囲にその加護を届かせる中継地点であり、闇の領域であってもその範囲なら勇者を復活させることができるようになる。


「それを、埋めるんですか?」


 神殿といっても簡単なものだとシラネは説明してはいた。白き神に似せた木像とその周りに石積みする程度で機能すると…………確かにその程度なら埋めることは簡単だろう。


 しかし夏樹が思い浮かべた問題はそれが白き神への冒涜にならないかという点だった。


「少年、流石にその辺りはお姉さんも確認を取っているよ」


 いくら叶が薄情であろうが…………いや、むしろ薄情だからこそリスクは避けるものだ。


「シラネが問題ないって言うんだからないだろう」

「…………ならいいですけど」


 白き神とやらは寛容なのか、それともあまり頓着とんちゃくしないタイプなのだろうか。


「そういう事だからささっと済ませて欲しい」

「わかりました」


 森の手前は開けていて障害物があまりない。仮にどこかから見られているなら筒抜けなので手早く行った方がいいと言うのは夏樹にもわかる。すぐにミレイに念じて指示を伝えると彼と同じ躊躇いを彼女も抱いたらしい…………苦笑しつつ問題ないと伝えた。


 そうと決まればやる気だけは充分あるミレイは早い。一匹だけとはいえ強力な魔物であった茨狼で強化していることもあり、ミレイはほんの数分でその作業を終えることが出来た。


「よし、じゃあここからは氷華の仕事だ」


 中継地点が問題なく機能していることを確認すると、叶は氷華へ視線をやる。その視線に彼女はようやくかというように立ち上がる。


「すぐに狩り始めるんですか?」

「いや、まずは移動だよ」


 尋ねる夏樹に叶は首を捻って顔を向ける。


「暴れるならできるだけ森の奥深くの方が露見はしにくいからね」


 穴掘りを短時間で済ませたこともそうだが彼女は油断していない。大森林は人類魔族双方にとって重要でない場所だからレベル上げの場所に選んだが、それでも想定外の事態を予防するための備えは怠るべきではないのだ。


「だけど移動の間にも当然魔物は襲ってくるだろうから氷華の出番というわけだ…………氷華、神具も使って全速移動して欲しいけどあまり派手にはやらないようにね」

「わかってる」


 頷くと同時に氷華のその姿が消える。この部屋では体を動かすには障害物が多すぎるから別の広い空間に移動したのだ。その姿は見えなくなったが代わりにミレイの方へ変化が起こる。


 長机に映し出された映像の中でミレイの動きがぴたりと切り替わった。それまでのどこか気の抜けたような自然体から、全身の力を抜きつつも隙を感じさせない態勢へと変化する。さらにそのまま足に履いていた神具を起動させてその身が僅かに浮き上がる。


 風纏い。それがナツキたちの回収した神具の名前だ。それはエメラルドブルーの金属で形作られた靴でありその形状通り履いて使用する。非常に軽く頑丈であり試しに氷華がミレイの身体で使ってみたところ岩盤を軽く蹴り砕いた。


 さらにその靴は使用者の望む通りに風を発生させることが出来る。きっちり反動こそあるものの現状では一蹴りで竜巻を発生させることくらいまでは確認済みで、他にも風の刃を纏わせて蹴りを斬撃に変えるということなども出来た。しかもその風纏いの効果によって常に宙に浮いているような軌道が可能であり縦横無尽な戦い方ができるのだ。


 それらは格闘的な戦い方を好む氷華とマッチしており、最初に手に入れる者としては理想的と言っても良かった。


 トン


 と、映像の中でミレイが宙を蹴って森へと進み始める。そこからさらに宙を蹴る、蹴る、蹴る。その度にどんどんと加速していき、ほんの数秒と経たないうちにその姿は森の中へと突っ込んだ…………それはつまり夏樹たちからは見えなくなったという事だ。


「ええっと、拡大すれば見えるかな?」


 俯瞰風景では生い茂る木々によって完全にその内部は塞がれて見えない。しかしミレイの姿が大きく映るまで拡大すればそれだけ対象に近づくので映るはず…………が、氷華の操作による移動スピードが速すぎて捉えきれない。


 当然ながら拡大すると映る範囲が狭まるので一瞬でその範囲外へと行ってしまうのだ。


「ふふん、少年。こうするのだよ」


 横から叶が手を出してささっと画面を操作する。すると机上に映し出されていた映像が立体から平面のテレビのような横画面へと変化し、そこに恐らくミレイの物であろう視界が映し出された。


 俯瞰視点で捉えきれないなら直接その視界を見ればいいだろうという事らしい。


「こんなことで来たんですか?」

「少年。フィーリングだよ、フィーリング」


 ちっちっちと叶は指を振る。


「頭を柔らかくして出来ること以外が出来ないとは思わない事だよ…………この部屋はやりたいと思ったことをやりたいようにさせてくれる仕組みだからね」

「え」


 つまりは元々機能として備わっていないものでも望めば追加が可能であり、今しがたの叶の操作も存在しなかった機能を追加させた結果だったという事なのだろうか。


「もちろん、神様の規約とやらに引っ掛かるようなものは無理だけれどね」


 直接異世界へ干渉するような機能は追加できないという事だ。


「まあ、それはそれとして…………見ないのかな?」

「あ、そうですね」


 せっかく表示して貰ったのに見ていなかった。しかし見たら見たでそこに映っていたものは夏樹の認識の範疇を超えていた…………どう見ても人間が走っている映像ではない。速度がおかしいのは別としても上に斜めに真下にと視界がぐるんぐるんと動き回る。


 端々に辛うじて木々や魔物らしき姿などが確認できるから、恐らくは風纏いの能力を完全に生かしてそれらの隙間となる空間を文字通り飛び回って通り抜けているのだろう。叶の注文通り派手にやらないよう戦闘を全てスルーしているのだ。


「いやはや流石氷華だね」


 感心するように呆れるように叶が肩を竦める。


「これ、ミレイは大丈夫なんですか?」


 傍から見ている夏樹ですら何が起こっているかわからないような移動だ。その体を使われている当人であるミレイにどれだけ負担が掛かっているかは想像するしかない。


「まあ、全くの負担がゼロというわけでもないだろうけど大丈夫だとお姉さんは思うよ。なにせ移動の為のエネルギーは全部神具から出ているものだし、見ての通り氷華は何とも接触せずに通り抜けているだけだしねえ」


 流石に密集した木々の中の小枝や葉などまでは避けられず体を掠めまくってはいるが、その速度にも関わらず傷一つついていない。今のミレイは多少とはいえど強化されているのだから普通の人間の尺度で考える必要はないのだ。


「しかしこれ、操作できるわけでもないから見てるだけだと退屈だね」


 いきなり身も蓋もないことを叶が言い出す。


「いや、確かにそうかもしれないですけど…………」


 正直に言えば夏樹も見ていたところで進んでいるという以外の情報を認識できない。しかしミレイもそれを動かす氷華も頑張っているのだから、それをちゃんと見守ることに意味があるのではないかと思うのだ。


「少年、偶にはお姉さんとゲームでもしてみない? せっかくだからレースゲームとかね」

「いや、それはさすがにちょっと」

「でも多分これ移動に一時間以上はかかると思うよ?」

「え」

「見たところ速度的には時速四、五十キロってところだけどとにかく大きい森だからねえ。狩場以外にも中継地点をいくつか作ってもらうつもりだけどそれくらいの間隔は空けたいし」

「…………それでも。見ます」


 それが夏樹の出来ることでもあるのだから。


「うんまあ、お姉さんは止めないけど…………酔わないようにね」


 それだけ忠告して叶は映像を離れて自身のパーソナルスペースへと移動する。


 それから数分と経たないうちに夏樹は気持ち悪くなってきてしゃがみ込んだ。


                ◇


 それはその任務に就いてからずっと懐疑的な思いに囚われていた。それに任務を与えた魔王という存在のことをそれは尊敬していたが、それでも毎日変わり映えのしない木々を見続けていれば疑問を覚えるのも無理はない。


 緑の神の眠る場所と呼ばれるその大森林はそれであっても下手に入り込めば命を落としかねないような場所だ。その場所を監視したところでわざわざ自殺しに来るような人間が現れるはずもない。


 それにそもそもこの広大な森をそれ一体だけで監視することも無茶だ。確かにそれは広範囲をカバーできる能力を持っているがそれでも対象が広すぎる。絶対に監視が必要だというならもっと数を増やすべきだし、そうでないなら他の適切な場所へそれを再配置すべきだ。


 疑問なのはそんなことがあの魔族を率いる聡明な王にわからないはずないことだ。ではなぜと考えそこに無理やり理由を当てはめるなら…………命令、だろうかとそれは思い至る。


 例えば魔王様が逆らうことのできない存在から大森林の監視を命じられて、しかし無駄に思えるそんな場所に限りあるリソースを多く消費も出来ない。

 しかし無視するわけにはいかないし達成の努力はした姿勢を見せなくてはいけない…………だからそれなりに監視の能力に秀でたそれを派遣した。数こそ一体ではあるものの広範囲のカバーは出来るから最低限の体裁は整えたと言い張れる。


 だがそこまで考えてそれは自分の考えを否定した。魔王とはその名の通り魔族を率いる王であり最高権力者だ。


 それに命令を与えられるとしたら、それこそ黒の神くらいしか存在しないのだか

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