十八話 恋バナ
「さて、少年もいなくなったところで少し話がしたいんだけどいいかな」
夏樹はミレイに声を掛けて彼女の記憶を元に作られた空間に行っている。
「…………私?」
「他に誰がいると?」
面倒くさそうに叶を見る氷華に彼女は肩を竦める。
「話って、なに」
手短に済ませろと言わんばかりに氷華は眉を落とす。
「いや実のところ明確に話したいことがあるわけじゃない…………ふと二人きりで話す機会というのも無かったなと思ってね」
基本的にこの部屋での会話は夏樹がいる時しか起こっていない。もちろん彼がミレイの相手している時に叶と氷華の二人になることはあったが、これまで氷華はずっと本を読んでいたし叶も声を掛けることなくゲームをするか戦略を練っていた。
「どういうつもり?」
つまるところ互いに仲良くなろうという意識が一切なかったのだ。それを突然話そうと言われれば氷華だって警戒する。
氷華は彼女をこの部屋での仕事をするのに必要な存在と認めつつも信用はしていなかった。
「別にそう警戒しなくていい。単に私は女同士の話…………そうだね、いわゆる恋バナがしたいだけだとも」
「…………恋バナ」
氷華も流石にその単語くらいは知っている。
「私とあなたで?」
だからそれが自分達に似つかわしくない事を理解していた。
「確かにそんな柄ではないけどね…………まあ、ぶっちゃけて言うと氷華は少年をどう思ってるか聞きたいという話さ」
「…………何とも思ってない」
「へえ、君は何とも思ってない男の家に度々お邪魔しているのかい?」
叶は基本この部屋から出ていないが、それでもそれなりの頻度で二人が連れ立って帰っているのをきちんと把握していた。
「あれは、彼のお爺さんの書斎が目的」
即座に氷華は否定する…………しかし本心を隠すように叶から目を逸らしていた。
「だがそこに少年も同席しているんだろう?」
「自宅で勝手されないよう他人を見張るのは当然」
「人がいると落ち着いて本が読めないとでも言えば、きっと少年なら気を利かせてくれると思うけれど?」
「…………」
その反応は容易に想像できたので氷華は押し黙った。
「それになんとも思ってない相手なら、昔のことを忘れてたって怒る必要ないんじゃないかな?」
「!?」
本題を切り出した叶に氷華は露骨な反応を見せる。まるで触れられたくない場所を無理矢理触られたように、不機嫌そうに眉間に皺を寄せると叶を睨みつけた。
「そんな怖い顔しないで欲しいね」
目を細めて叶はその視線を正面から見据える。ここで氷華が本気で怒れば自分程度では抗えないだろうと彼女はよく理解している…………そして氷華が手を出せないことも。
「…………あなただって」
吐き出す気持ちの方向を変えるように氷華は静かに口を開いた。
「あなただって、一目惚れとか言って夏樹のことをからかっているだけ」
そして人のことを言えるのかと指摘する。
「生憎だがそれは違う…………私は少年のことを本当に愛しているよ?」
そう言って叶は少し気恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「具体的には、だ。気恥ずかしくて少年のことを名前で呼べないし…………お姉さんぶってないとまともに会話できないくらい愛している」
自分を作らないと単純に恥ずかしくて喋れないのだと叶は語る。
「感情のままに行動したらまた少年を押し倒すだろうね」
「…………」
この部屋に初めて来たときのことを思い出したのか氷華は無言で眉を寄せる。
「なにせほら、私にとってこれは初恋だからね」
一目惚れなだけではなく、初めての恋なのだと。
「ほんとに?」
「本当だとも。何せ私は少年に会うまではこの世の何もかもが疎ましかったからね…………今はもう彼がいるだけで世界がそこにあることを許しちゃうくらいだけど」
疑う視線に叶は
「というか少年に会うまでは恋愛なんてものはこの世から消え失せればいいとすら思っていたよ…………ほら、自分で言うのもなんだけど私は美人でスタイルもいいからね。学校でも職場でも情欲に
それは氷華も同じじゃなかったかと叶は問いかける。彼女も方向性は違うが端正な顔立ちをしているのは今更確認するまでもない…………で、あれば同様の体験をしていることだろう。
「私はずっと女子高だったから」
「おや、そうだったのかい」
「…………でも、気持ちはわかる」
頻度が少ないだけで同じような体験はしている。
「よし、これで私達は同じ悩みを体験した間柄というわけだ…………それなら少しばかり本音を語ってもいいんじゃないかな?」
「なんでそこにこだわるの」
「最初に恋バナがしたいと言っただろう?」
「…………はあ」
諦めたように氷華は溜息を吐く。
「私は夏樹のことを悪いようには思ってない…………彼を男として意識している」
そして渋々と本音を口にした。
「うんうん、正直でよろしい」
それに満足げに叶は頷く。
「そのまま少年が忘れてるらしき過去の思いでも話してくれると私は嬉しいな」
「…………何が目的?」
再び警戒した様子で氷華が尋ねる。
「なに、話してくれたらそのことを少年が思い出す手伝いをしてあげようと思ってね」
「何が目的?」
答える叶に氷華は同じ質問を繰り返す…………まるで信用が出来ないゆえに。
「ふむ、流石に警戒するか」
流石に叶もこれで話してくれるとは思っていなかった。
「まあ、本音をぶっちゃければ二人の間に共通の思い出があるのなら気になるし、それが気に食わない気持ちもある」
例え少年の側が忘れていても叶からすれば嫉妬を感じてしまう。氷華の反応を見ればそれが印象深い思い出なのは明らかだし、それはつまり少年が思い出せば大きなアドバンテージになるという事だ。
「ならなんで」
「まあ、なんというか氷華とはうまくやりたいと思ってるわけだよ…………つまり少年との恋愛面でね」
「フェアに競争しようってこと?」
「いや、二人で少年に愛されないかってことだよ」
「!?」
さすがに驚いたのか氷華が表情を崩す。
「正気?」
「もちろん正気だとも」
思わず正気を疑った氷華に叶は冷静な言葉で返す。
「考えてみるといい。仮に私と君が少年に思いを告げたとして彼がどちらかを選べると思うかい?」
「…………思えない」
あの人のいい少年はどちらかを選ぶことでもう一方との関係を悪くすることを望まないだろう。きっとどちらも選ばないままの状態を維持しようとするはずだ。
「そりゃあ私だってせっかくの初恋だし少年を独占できるならばしたいさ…………でもそれ以上に結ばれないままで生殺しにされ続けるのは耐えられない」
それよりは恋敵と協力してでも夏樹を篭絡することを叶は選ぶ。
「幸い私と君はタイプが違うし少年も優劣を付けにくいだろう?」
「…………それは嫌味?」
氷華は叶の無駄に大きな胸部を睨みつける。彼女自身の胸元は平坦とまでは言わないがあまり起伏に富んでいるとは言い難かった。
「こんなものは大きかろうが小さかろうがそれも個性だよ…………結局は少年が受け入れてくれるかどうかの問題だ」
フォローでも何でもなくそれが叶の本音だった。世の大半の男に対して煽情的な効果があろうが肝心の夏樹に対して効果がなければ何の意味もない…………幸い夏樹も気になるようで視線を時折向けて来るが、だからと言って氷華の胸と比べるような様子を見せたことは無い。
「それで、どうする? もちろん過去の話に関しては君とっても大事な思い出のようだし無理に話せとまでは言わないとも…………ただ、話してくれるならちゃんと少年が思い出す協力をすることは約束しよう」
「…………わかった」
少し迷いは残しつつも氷華は頷いた。
「叶と敵対するのは面倒」
武力を用いて良いなら自身はあるが、氷華もそれで夏樹に嫌われたくはない。
「それは重畳」
満足そうに叶は頷く。
「それで、昔話の方はどうする?」
「別に大した話じゃない」
そう氷華は前置くが、それが強がりなのは叶には見え見えだった。夏樹が覚えていなかったのがショックだから、大した話じゃないのだと思っておきたいのだ…………もっともそれをあえて口にして今しがた結んだ同盟関係を台無しにするほど叶も愚かではない。
「子供の頃の話」
そんな叶の内心を知る由もなく氷華は幼い頃に出会った少年の話をする。正直に幼い頃の話で相手の顔をよく覚えていないことも彼女は伝えた。
「ふむ、つまり氷華にもその少年が夏樹であるという確信はないのか」
「そう…………けど、夏樹の才能を考えると符合する」
「それは確かに」
納得できると叶は頷く。彼が幼い頃に世界から逸脱する運命の誰かと縁を結んだのは確かであり、その縁が世界からの逸脱の巻き添えという形で果たされたなら一緒にこの部屋に招かれたどちらかがその相手であると考えるのは自然な流れだ。
そして残念ながら叶には夏樹と初対面であるという自覚がある。そうなれば消去法として氷華が縁を結んだ相手と考えるのが妥当だ…………ましてや過去にそれらしき少年との記憶があるのだからほぼ間違いないと言っていい。
「そもそも世界から逸脱するような人間なんてそう多くはないだろう」
叶もこの部屋に来るまでは自分がそういう存在なのだとは知らなかったが、少なくとも他人とどこか違うことは理解していた。そしてこれまでの人生の中で自分の同類だと感じるような相手はこの部屋にやって来て氷華を見るまではいなかったのだ。
その辺りを考えるとやはり夏樹が氷華以外に縁を結んだと考えるのは難しい。
「で、それを踏まえて少年にどう思い出させるか何だが…………」
そこまで口にして語尾を叶は濁す。
「…………」
「うん、ごめん。私から提案しといてなんだが正直これといって思い浮かばない」
じっと自分を見る氷華からばつが悪そうに叶は目を逸らす。
「正直に言わせてもらうと少年が覚えてないのも無理はない…………と、言うのもね。氷華には悪いが少年にとってそれはそんなに印象深い記憶じゃなかったんだと思う」
彼女にしては珍しく、相手を気遣うような優しい声だった。
「もちろん氷華にしてみればそれがその後の人生を変えた出会いだったのはわかる…………でもね、その相手をした少年にしてみれば偶々出会った少女の悩みに答えてあげただけのことでしかないんだよ」
その答えがまさか相手の人生を大きく変えるようなものだったとは少年も意識していないだろう。なにせ偶々出会った少女にあまり深く考えずその悩みを解決する方法を教えてあげただけなのだ。
きっとその日の内は今日はいいことをしたなくらいに思っているだろうが、次の日には忘れてしまうような出来事でしかない。
「その後に少年に会ったりはしたいのかい?」
「…………しばらく家から出してもらえなかった」
勝手に家を抜け出したことを咎められてしばらくは厳重な監視が付いたのだ。その後も何度か抜け出しはしたが長時間は難しく、少しの時間では偶然出会った少年を見つけることなど出来るはずも無かった。
つまりはアドバイスで変わった結果を相手に見せることも出来ていないのだ。それではその思い出が印象深くなりようもない。
「もう何かの拍子に思い出してもらうか、直接少年にそのことを話すしかないと思うよ」
「…………」
単純ではあるが他に方法は無い。幸いにして氷華は端正な顔立ちをしているから幼少期も人を惹きつける顔立ちをしていた事だろう…………子供の頃の写真などを添えれば夏樹の記憶を刺激してくれる可能性は高い。
「…………怖い」
一言、震えるような声で氷華が呟く。それで思い出してもらえなかったいよいよ方法は無くなってしまう。
そうなれば完全にその思い出は氷華の一方的なものになってしまい、大切な思い出が本当に実在したものなのかすら疑わしく思えてしまうことだろう。
それが怖いから氷華は躊躇う…………それは彼女の頼みとする力では解決しないから。
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