十七話 緑の神の眠る場所

「待たせてすまなかったけれど彼女のレベル上げ場所が決まったよ」


 茨狼を倒して一週間ほど経った頃、いつものように部屋へとやって来た夏樹に叶がそう告げた。

 それを聞いて彼はようやく進展すると喜びつつも、またミレイに危険な真似をさせなくてはならないことに罪悪感を覚える。


「少年、今回は彼女に無茶させる必要はないからそんなに心配しなくていい」


 そんな彼の表情を察してすぐに叶が付け加える。


「なにせレベル上げなんてものは効率的なルーティーンだからね」


 無理なく無駄なくひたすら魔物を狩り続けるだけだ。無茶が必要ということは効率的ではないという事でありそんな場所はレベル上げに適していない…………もちろん蘇生可能という勇者の特性を生かして無茶をし続けるという選択肢もあったが、夏樹の精神面に配慮して叶はそういう場所は選ばなかった。


「もちろん魔物と戦う以上は危険が無いとは言えないけれど」

「…………それはわかってます」


 それはいくら叶が配慮しようがどうしようもない部分だ。結局のところ夏樹がミレイを勇者に選んだ時点で彼女が戦いに明け暮れる運命は定まってしまったのだから。


「それでどこに決めたんですか?」

「それは氷華も来てから…………と、ちょうど来たようだね」


 叶の視線を追うとちょうど扉から氷華が入って来るところだった。視線が合うと叶は彼女を手招きして呼び寄せる。


「すまないが先にちょっと話を聞いて欲しい…………ちゃんと氷華の欲求を満たす提案もある話だからね」

「わかった」


 欲求という言葉に反応したのか氷華は本棚へ直行することなく叶の言葉に従う。


「ありがとう。なに、話自体はそれほど長くはない」


 そう説明しながら叶はちらりと夏樹を見る。それがお茶を淹れて欲しいという意味だと察して彼はすぐに淹れに行った。


「で、だ。少年にはもう言ったがレベル上げの為の場所を決めてね。まずはその場所の説明と魔物狩りの方針を話そうと思う」


 話ながら叶はいつものように長机の上に映し出された異世界を操作する。すべるような手付きで移動や拡大を繰り返して表示されたのは巨大な森だった。拡大の尺はミレイの住んでいた村を映した時よりも小さい。


 それなのにその森は全体が表示しきれておらず、つまりはそれだけ大きく広がっているという事だろう。


「ここがお姉さんの選んだ、異世界では緑の神の眠る場所と呼ばれている大森林だ」

「緑の神の眠る場所、ですか」

「そういう伝説があるようだよ。どうにも異世界では固有名詞ではなくそういった逸話で地名を呼ぶことが多いらしい」

「そうなんですか」


 やっぱ異世界は違うなと夏樹は思ったが、すぐにそうでもないかと思い直す。考えてみればこちらの世界だって逸話や災害に基づいた地名はある。ただ大抵は呼びやすいよう単語が略されて短くなっていくものだが、異世界ではそうでないだけの違いだ。


 そもそも異世界の言葉とこちらの言葉は違う。それが翻訳されて表示される結果として文章のような地名になってしまった可能性もあるだろう。


「大昔に神々の戦いがあったらしいんだがその中で緑の神がそこで死んだらしい。そしてその死体から様々な植物が生まれて森が広がっていった…………と、まあそんな逸話はどうでもいいのだけれどね」

「…………どうでもいいんですか」

「勇者のレベル上げという目的には関係ない事柄だしね」


 重要なのはそこが大森林であるということだけだ。


「それで、だ。この森はあまりにも広大な事と神が眠る場所という逸話もあって神聖視されていた…………つまりは手つかずの大自然だ。そんな場所には当然だけど木々だけは無くその恩恵を受ける野生動物が大量に生息している」


 そして、と叶は続ける。


「その野生動物のほとんどが今は魔物と化している」

「うわ」


 夏樹は思わず呻く。この広大な森の全てが魔物の巣だと想像するとなんとも嫌な気分だ。


「さて、続きを話す前に少しおさらいしておこう。少年、魔物というのが元は野生動物だというのは今も口にした通りだが、その原因は覚えているかな?」


「えっと、魔王や魔族の力の影響でしたっけ」


 何の変哲もない野生動物がその力の影響下に入ることで変質して魔物になるのだと前に説明された気がする。

 だから完全なその影響下にある闇の領域の中には強力な魔物が多く、そこから離れるほど魔物は弱くなり普通の野生動物の姿も見かけるのだと。


「うん、その通りだよ。そしてだからこそなのか魔物は人間を敵視していて積極的に襲ってくる…………だけどね、その全ての魔物が魔王勢力の味方というわけでもないんだよ」

「そうなんですか?」

「どうやらそうらしい。変質して本能的な人間への敵意を刷り込まれて入るけれど、魔王勢力に対する忠誠心まで刷り込まれているわけじゃないようだよ…………だから手勢に組み込むにはそれなりの手間が必要なようだ」


 何かの儀式かそれとも魔法的なものかか。叶もまだその確認は出来ていないが状況から判断してそれはほぼ間違いない推測だった。


「そしてこれが重要なんだけどね、この大森林の魔物は魔王勢力に組み込まれていない」


 それには二つの理由があった。一つは大森林に生息する魔物の数が多すぎて下手に入れば魔王勢力と言えども危険すぎたことだ。魔物自体は他の場所にまだいくらでもあるのだから危険を冒す必要もない。


 そして二つ目の理由は大森林に戦略的な価値がないことだ。先にも説明した通り大森林は人もあまり近寄らず近くに大きな街もない。拠点とするには森を切り拓く必要があるが、地形的に戦略の要所でもないのだから無駄な労力だ。


「つまりあちらの勢力の魔物もいないし、重要視もされてないから警戒されずに魔物を狩り続けるには最適だと?」

「うむ、そういう事だよ少年」


 そもそも人が近寄らない場所だから、魔王勢力もわざわざ監視を置いて貴重なリソースを無駄遣いする真似もしないはずだ。


「えっとでも、危険なんじゃ?」


 話を総合すると魔王勢力ですら手を出すのにリスクを躊躇う場所ということになる。それはミレイに無茶はさせないと明言した叶の言葉に相反するような気がした。


「その為の神具と戦神だよ、少年。お姉さんだっていきなり彼女を魔物の群れの中にぶち込むような真似はしないさ……………ある程度の強化が出来るまでは氷華が身体を動かして魔物を狩り続ける。そして簡単に死なないくらいの強化が出来たら交代して戦いに慣れさせるという方針だよ」


 今は素人にすぎないミレイでも氷華が体を動かせば一騎当千の戦士になる。そこに神具の力が合わされば茨狼分の強化が足されただけの現状でも魔物狩りは問題なく行える。


 ミレイ自身の戦闘技能の向上はその後で問題ない。


「ミレイに危険が少ないなら僕としては反対するところはないですけど…………氷華は問題ないの?」


 ミレイの身体を動かすのも反動があると夏樹は聞いていた。動かせる時間にも制限があるらしいし格闘ゲームでキャラを動かすのとは話が違うだろう。


「私は問題ない。好都合」


 戦うという欲求を満たせるなら氷華に異存はない。むしろ戦い方を気にする必要のない今回のような魔物狩りであれば存分にその欲求だけを満たすことが出来る。


 強敵と戦えないことは少し残念ではあるが、ミレイの身体を使うのもハンデと考えればそれはそれで悪くなかった。


「ならこれで満場一致という事だね」


 締めくくるように叶がそう口にする。勇者を導く次の方針はこれで定まった。


「それじゃあ少年はその旨を彼女に伝えてくれるかな」

「あ、はい」

「せっかくだ、ずっと歩き通しだろうしこっちに呼んで話すといい」


 ミレイには神具を手に入れた後は安全の為にも人間側の領域に向かって村から離れるように移動して貰っていた。夜こそ休んでいるものの日中はずっと歩き続けている…………強化の恩恵があるとはいえ相変わらずの勤勉さだった。


「そう言えばミレイにずっとこっちにいてもらうのは駄目だったんですか?」


 この部屋は一言に部屋と呼んでいるがかなりなんでもありの空間だ。それは以前ミレイを待機させていた時のように個別に空間を作り出すこともできる。


 彼女にこの部屋を見せるのはまずいにしても自由に立ち入れるのは夏樹たちだけなので問題ないように思えた。そうした方が今のように移動させるよりもずっと確実にミレイの安全は確保できただろう。


「ああ、それはお姉さんも一度考えたんだけどね。シラネに確認したら彼女をあまりこの部屋に長居させるのは良くないらしい」

「えっと、体に悪影響があるとか?」

「まあ、ある意味ではそうだね」


 含みのある言い方で叶は頷く。


「簡単に説明するならこの部屋に長くいると彼女もお姉さん達と同じく元の世界から逸脱してしまうらしい…………まあ、お姉さんたちの場合は存在そのものが元の世界の規格に収まらなくなるからで、彼女の場合は元の世界の所属を失う感じらしいけれどね」


 どちらにせよ元の世界に存在するにふさわしい存在ではなくなるのだ。


「もちろん少年がこれ以上彼女に勇者をさせるのは忍びないというのならそれも一つの選択肢だとはお姉さんも思うよ…………その場合、新しい勇者を結局は選ぶ必要があるけどね」

「それは…………」


 思い浮かばなかったと言えば嘘になるが、即決も出来ない話だった。ミレイを勇者から解放できるならばしてやりたいところだが…………その為に他の誰かをまた勇者に選べと言われると躊躇ってしまう。結局は誰かが重荷を背負わなくてはならないのだ。


「ま、本人の意思も聞いてから考えればいいさ」

「…………聞いたら絶対に嫌がるじゃないですか」


 むしろ自分が至らないせいでそんなことを言われるのかと追い詰めそうだ。


「とりあえず、話してきます」


 とりあえず現状きついところは過ぎている。


 ひとまずは頭の片隅に置いてまた必要な時に考えようと夏樹は決めた。

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